<教授の椅子>
「中山先生、さあ、ご案内します。」
「あ〜? 水田さんかね。君は2年前に亡くなったんじゃなかったかな? …たしか君の葬儀に参列したはずだが…。」
「はい。私は2年前、定年直前に亡くなりました。」
人気の無い今は主を失った教授室の大きな木の執務机の蕎麦で、ミヤサワ君(水田前准教授)は教授の椅子に座る中山教授の霊に声を掛けた。
「君ももう少し業績があれば教授になれたのに。大学運営の雑務ばかり押し付けられ、時間と労力を取られて、研究がおろそかになったのかな? 残念なことだったなあ。」
「仕方が無いですよ。それが私の限界だったんです。」
「まあ、大泉内閣の大学の定員削減の煽りで、学科の教授ポストが2つも無くなると、教授になれない准教授や講師の先生がどうしてもでてくるもんだ。 許してくれ。 …もしかして恨みに思って化けてでて来たのかな?」
「いいえ。私は教授にはなれませんでしたが、前任教授の退職後は研究室を引き継いで、研究室持ちには成りましたし、PI (Principal Investigator) としてやりたい研究を好き放題やれましたし、別に恨みなど残っていませんよ。」
ミヤサワ君(水田前准教授)は苦笑した。
「そうか。 それじゃ、今日は何で化けてでて来たのかな?」
「お迎えに上がりました。」
「お迎え?」
「はい、中山先生。もしかして、先生はご自身が亡くなられたことを認識されておられないんですか?」
「な、亡くなった? わしが? ウッソ〜」
「本当です。先生の退職前の最終講義の翌日にポックリと…。」
「…そう言えば、最終講義の後の記憶が無いな。 まあ、ワシもやりたいことはやったから、文句はないが…そうか、死んだんか、ワシ。」
「御愁傷様です。」
「それは、残された家族にかける言葉じゃ。本人に言う言葉じゃないな。」
「そうですね。」
「そうじゃな…ワハハハハ。まあ、女房殿も4年前に亡くなっているし、この世に未練は無いな。」
二人は顔を見合わせて笑いあった。
「ところで、水田さん。その奇妙な緑色のとんがり帽子は何かね?」
「お洒落でしょ?」
「オシャレって…そんなふざけた格好をしているから、学内での評価が上がらなかったんじゃないのか?」
「放っといてください。 これは僕のアイデンティティですから。」
「ふむ。その奇妙な格好だと、確かにあの世からのお迎えにも見えるな。」
「ところで…有機化学分野の先生葉定年前後で亡くなる方が多いようですね。Q大のK教授も、N大のO教授も、…K大のY教授も定年前後に亡くなられてますね。」
「君やワシもな。 そりゃ、この仕事はブラックだからな。時間拘束も長いし、気疲れするし。おまけに有害な有機溶媒を長いこと吸っているし…」
「先生みたいに、いつも大笑いしている方から、『気疲れ』という言葉を聞くと、なにか違和感を覚えますが…。」
「失礼な、繊細なワシに何という暴言を吐くのか。 長かった重荷がとれて心が軽くなったのだろうな。」
と口調は怒っているようだけど、中山先生の目元や口元は笑顔であった。
「さて、先生、あの世に御案内します。」
「ワシはもう少し、この椅子に座っていたかったのぉ。」
「でも、4月には次の先生がこの部屋を使われます。」
「そうじゃな…」
と、中山先生の魂は、古い箱椅子の肘掛けを名残り惜しそうにさすりながら呟いた。




