007
北沢誠の所業を、殆どの生徒が校舎の中から見ていた。ふらふらと武道場の入口から出て来たかと思えば、手に持った木刀で怪鳥を一瞬で切り刻み、同級生の死体を並べて揃えたかと思えば、その細い首を大根のようにすっぱりと切り落とした。
武道場にいたのはまだわかる。誠が剣道部員と言うのは有名な話しである。武道場にいても不思議はない。が、明らかに刃物ではない木刀を使ってあの落書きのような生物を斬り捨てた現象には理屈がつかない。ただ、北沢誠が《人斬り》であると言うのは有名な話であり、改めて学園でも一二を争う問題児の異端さを全校生徒が思い知った。
その異常性はそればかりに留まらない。
腸や脳髄を貪られた少女達を集めて並べるだけでも、一般常識を持つ生徒達には衝撃的な光景だった。身体の中から生命力と言う物を失った彼女達を素手で触れる人間がどれだけいるだろうか? 生徒の中には校舎の中から人が喰われるのを見ただけで気絶し、嘔吐した者すらいると言うのに、誠は何の動揺も見せずに、生きている人間を相手するように彼女達に触れて見せた。
そして、最後に彼は彼女達の首を刎ねた。胴体から頭部が離れると言うショッキングなシーンに、悲鳴すら上がらない。死刑執行人が如く、誠はまだかろうじて生きていた少女の息の根を止めて行く。
化物に喰われた人間の血が広がって行く。その中心には人間の首を斬る巨漢。
まさにそれは地獄だった。
「では、第二回生徒代表会議を始めたいと思います。司会は暫定生徒代表宮尾進が僭越ながらやらせていただきます」
総勢十二人の人間が着席する体育館内事務室に、爽やかな声が響いた。
宮尾進。
恐らくは、この学校で最も知名度の高い男。サッカーアンダー二〇の日本代表に選抜されたサッカー青年であり、その爽やかな雰囲気とすらりと伸びた手足はまるでモデルのようでもある。サッカー雑誌の表紙を何度か飾り、サッカーファンでなくともテレビで彼の顔を見たことがある人間は多いだろう。その顔に似合わず攻撃的なプレイヤーとして知られており、三か月前の海外交流試合ではチームの勝利を確実にする追加得点を入れたことも記憶に新しい。
そして現在は、異常事態に陥った学園の暫定的なトップと言うに就いている。
人間と言うのは単純なもので、同じ情報でも知っている人間と知らない人間では受け取る印象が随分と変わる。仮に明らかに間違った情報でも有名な人間が言えば信じるし、どれだけ正しかろうと知らない人間の言い分は怪しむ。故に、彼が最も現状でリーダーに相応しいだろう。
と言っても、所詮は高校生である。現実に適応する間もなく起こった先の事件の対応もスムーズにはいかず、その顔は早くも疲れが見えた。
「まず、現状の確認だ。緊急全校集会を行った後、女子生徒と男子生徒を合わせた三十二人で俺達は保健室によって適当な物資を得た後、食堂へと向かった。理由は、怪我人が出た場合の緊急搬送先として食堂を利用できる状態にしようと言うことだった。あそこは机を除ければ広いし、簡単に火を起こすことが出来るから……だったよね、真壁会長」
「うん」
「その途中、《怪鳥》と仮に名付けた原生生物に襲われた。近くにいた真壁会長と北沢君の手によって怪鳥は退治できたけど、七人の女子生徒が命を落とした。ほぼ全ての生徒がその様子を見ており、学園中は軽いパニックに陥り、現在は殆ど生徒達がコントロール不能に陥っている。症状は大きく分ければ――一つ、気絶。これは女子生徒が多い。ショッキングな光景に気を失ってしまったらしい。二つ、混乱。間近で見る現実的な人の死に興奮って言うのかな? 落ち着きを失くした生徒。これによって生徒同士での喧嘩や失踪が多発して、怪我人や行方不明者が出ている。三つ。不安。これは結構意味が広いけど、簡単に言えば俺達に対する不安だろうね。のこのこと三十人を引き連れて移動して、七人も生徒を犠牲にしている。『こんな連中の下にいて大丈夫なのか?』みたいなことを思っている連中も多い筈だ」
あの出来事から一時間。大して状況をまとめる時間があったようにも思えないが、進は詰まることなく学園の現状を説明して見せた。
控えめに言っても、かなり不味い状況だろう。人の死と言う重過ぎる現実が、生徒達の正常な判断力を奪い、かろうじて纏まりかけていた皆の意識がバラバラになってしまったのだから。
この場に集まった人間の多くも不安に心が押し潰され、とてもではないが人の上に立てるような精神状態ではなく、事務室には重い沈黙が沈澱している。
「そして、最も不信を集めているのが、君だよ。北沢君」
悲惨な空気に追い打ちをかけるように、進が誠を指差して言った。
「君が『人を斬り殺した』って噂は知っている。でも、それは比喩だと思っていた。剣道の練習中、勢い余って殺してしまった。銀行強盗に出会って、当たり所が悪くて偶々殺してしまった。そう言った事故だと思っていた。でも、それは違った。本当の意味で君は『人斬り』だった。躊躇なく、化物を斬った。それと同じくらい無感動に学友の首を刎ねた。北沢誠。君は何者なんだ? 何故、そんなことが出来るんだい? 君は僕達の味方なのか?」
その問は、多くの生徒の気持ちを代弁した物であった。『とてもではないが、同じ人間とは思えない』そう言った意味の籠った質問。恐怖に満ち満ちた問。
意外なことにその疑問に答えたのは、誠でもなく、創志でもなかった。
「そいつは、『鬼』だよ」
重々しく口を開いたのは、剣道部部長の長谷川裕次郎だ。同級生に『おっさん』と呼ばれるほどに老けた、学年に一人はいるような高校生だ。剣道の腕前は大したものだが、どちらかと言えば、面倒見の良いその人柄で部長に選ばれた所が強い。剣道が精神修行にもなると言うことの好例の様な秩序を重んじる青年である。
ただし、それ故に無秩序にして理解不能の『人斬り』の誠と『人払い』の創志を忌み嫌っている。正義感から来る敵意に、誠はいつもうんざりとしていた。
「余りにも剣を振るのが巧くて、何でも斬っちまうんだ。それ以上の理由はない」
「そ、そんなことが有り得るんですか?」
胡散臭過ぎる説明に保険委員長の島原楓が小さく訊ねる。制服ではなく、ださいジャージ姿に着替えていて、事務室の隅っこに背中を預けて立っている誠を酷く警戒していた。
「実際、そうだから仕方がないよ。楓ちゃん。見ただろう? 誠ちゃんが怪鳥をぶった斬るシーンを。殺された保健委員の仇を取る所を」
「ああ。見たぜ。その保健委員の首をチョン斬る所もな」
創志の説明することを放棄した台詞に、二階堂宣野球部部長が噛み付く。間違いなく球界入りするであろう本格右腕のエースは、典型的な体育会系であり、創志の様な細くて白いなよなよした人間が大の嫌いであった。明確な序列が彼の中にはあるらしく、その頂点に自分のことを置いている。その態度から実はあまり周囲には好かれていないのだが、本人はそれに気がつく様子もない。
「あの子達は助からなかった。無為に苦しみを伸ばすならと思っただけだ」
創志と宣の相性が悪いことを承知している誠は、嫌々と言った風にヒートアップする事務室の空気に煽られない様に静かに言った。
「俺の話しは良いだろう? 何時も通り、腫れ物の様に扱ってくれ。所詮俺は一人だ。学園中の人間が一斉に石でも投げれば死ぬ。ビビることもないさ。それよりも、問題は校内の完全に死んだ雰囲気だろ? このままじゃあ、予定していた明日の探索に参加する生徒はゼロだぜ?」
「確かに、それは一理あるわよね」
誠の台詞に風紀委員超の伊吹愛望が相槌を打つ。腰まで届く黒髪が特徴的な少女は、ちらりと誠を一瞥して続ける。
「私達は北沢君に殺される心配よりも、明日のご飯を心配する必要があるわ。食料が尽きるまで一週間って言うのが私達の見解でしょ? 何としても、探索は成功させなくちゃならないわ」
「ああ。伊吹の言うことももっともだ。が、既に一〇人以上が森に入って戻って来ていない。死亡率一〇〇パーセントの場所に誰が行く?」
重々しく陸上部部長の高坂長谷雄が頷く。痩身の長距離ランナーの彼は、決して人を導く派手さはないが、その確かな実力と行動に多くの後輩の尊敬を集めている男だった。この異常事態にもあまり驚いている様子はなく、委員長部長達の中で最も落ち着きがあり、冷静で、そして全校生徒を守ろうと言う意志が見えた。
「ま、ここで足踏みしていても、死亡率は一〇〇パーセントなんだがな」
「長谷雄の言う通りだ」
そろそろ纏まりがなくなって来た会議に、進が再び口を開いてその流れを止める。
「取り敢えず、北沢君のことだが、皆には『凄い剣道家だから』で押し通すことにしよう。北沢君。確認するが、君に僕達を害する気はないんだね?」
「はいはい。ありませんよ。話しを進めな」
「なら、僕達の問題を整理していこう。まず、未知の生物だ。生徒の中には森の中に生物を見たと言う者も少なくない。その内のどれだけかが、人を襲うだろう。その時、それに対抗する術が僕達にはない」
「結果、森の中に入るのが凄くリスキーなものになる」と、裕次郎。
「森の中にしか私達は食料を得る術がないから、貯蓄を食い潰すことになる」これは愛望。
「そして、それがなくなれば…………」楓はそれ以上先を言わない。
「その前に、生徒同士で食料の奪い合いとか起きるかもね」気軽に創志が言う。
「そうならない為にも、俺達はどうにかして森に入らなければならない。何か案はないか?」
再び進に話しが戻った所で、各々が思い付きを口にし始める。兎に角、最終的に男子生徒を森へ探索させる為にはどうすれば良いか意見を出し、纏めて行く。
やはりネックは原生生物の存在だろう。見たこともないあの怪鳥に、最低でも勝てる手段や見込みがなければ誰も付いて来てはくれない。この解決策は武器を作ることが一番なのだが、ここは学校である。武器となりそうな物は少ない。家庭科室の包丁や、技術室の工具、科学室の薬品、後は部活動で使う竹刀やらバットだろうか? 余りにも心許ない。
となれば、必然的に注目が集まるのは誠の存在だ。実際に怪物を相手にし、一瞬でそれらを屠った巨漢。彼を探索のリーダーとして人を集めることが一番現実的で有効な手段であることに疑いの余地はないだろう。当初の数人の集団で多方向を探索すると言う方法は諦め、誠を中心とした探索団で一転集中して探索を行うのが最も安全に思える。
もっとも誠と行動を共にするということ自体を恐ろしく思う生徒も少なくないだろう。よって、あくまでも探索団の頭は剣道部と言うことになった。木刀を持った三〇人前後の集団は確かに人間が相手であれば十分な脅威であり、彼等に守られているとなれば安心感も違うだろう。
勿論、それでも人が来るとは思わない。
だからわかりやすい形の報酬として、初日のみ一食分の保存食を追加で配ることにした。また、探索の参加者には優先的に収拾した食べ物が配給されることとする。これには少し反対もあった。最も危険に身を晒す者に、最大の報酬を与えるのは当然のことかもしれないが、自由やら平等と聴いて育った現代の高校生がそれに納得をするだろうか? 明確に食事の量が違えば、不満が出て来るかもしれない。
「でも、そうしないと探索やる奴が損じゃん」
が、結局『探索者』と『待機者』のどちらを優先すべきかは考えるまでもない。トラブルの元になるのは目に見えているが、食糧配給の優遇は欠かせないだろう。なるべく、男子生徒の多くが参加してくれることを祈るばかりだ。
女子生徒の活動の方に変わりはない。基本的には校内で何かしら作業をしてもらう予定だ。誠と創志が言っていた『トイレ』の事情の解決や、男達が取って来た食材らしい物の選別、図書館でサバイバル知識の蒐集がメインになるだろうか?
探索には、やはり連れてはいけない。先程の怪鳥が全員女子を狙ったと言うのもあるし、そもそも基礎体力が違う。文句は余り出てこないだろう。わざわざ危険地帯に行きたい女子がいるとも思えないし、男子がそんなことを言い出すのは余りにも格好がつかない。男女差別、どんと来いだ。
それ以上の細かい事は明確に決定することができなかった。想定外から始まったこの事態は、想定外の事態の連続になることに疑いの余地はなく、どれだけ予定を建てても無駄に終わることが多いからだ。一ら少しずつ成功と失敗を積み重ねて行く以外に術はない。
取り敢えず、今日に残された仕事は、探索に出てくれる人間を募集することと、探索に必要であろう物資の準備と言ったところで話しを一端まとめた。
「それじゃあ、ここまでで質問や意見はあるかな? 馬場さん。全然しゃべってないけど大丈夫?」
進がペットボトルの水に口を付けながら文化委員長の馬場双葉に訊ねた。場の緊張にそぐわない穏やかな言い方で、あまり自己主張が激しくない同級生をねぎらう物であることは誰の耳にも明らかだった。
が。
「大丈夫なわけないじゃないですか!」
その言葉に対して、双葉は怒声を上げた。小さな両手で机を叩く。そのまま封も開けていない目の前のペットボトルを机の上から払い落した。声は震え、瞳には涙が溜まり、身の丈に合わないたわわな胸が乱暴に机を叩くと同時に揺れる。
「皆! 馬鹿じゃないの! 人が死んでるんだよ! 救急車はどうして来ないの? なんで電話が通じないの? 人殺しと一緒に何を話しあってるの! 警察を呼ばなきゃ! おかしいよ! 皆も! ここも! ねえ! 何なの? どうしてこうなっちゃったの!」
普段の彼女からは想像もできない声量で喚き、涙に濡れた血走った目で誠を指差し、何人かの名前を叫ぶ。誠がその首を落とした少女達の名前だった。
「コイツが殺したんだ! 何で! 何で殺した!」
「何でって言われてもなぁ」
対照的に、誠のテンションは低い。彼女達を殺した自責の念――からではなく、独断と偏見による『彼女にしたいランキング』上位に位置していた少女に睨まれ、怒鳴られていると言うことにかなり凹んでいるだけだ。
「何なの! どうして死んじゃったの! こんなのおかしいよ! 皆どうして当たり前の様にしているわけ? ねえ! ヒトゴロシは北沢誠だけじゃないの?」
他のメンバーは、遂に現実に耐え切れなくなって正気を失い、ただただ現実から逃避するように『何で?』を繰り返す同級生からそっと目を逸らす。現在、多くの生徒が同じように恐慌状態に陥ったことが確認されている。そのまま泣き疲れて教室か保健室で看護されているが、狂乱しながら失踪して居場所が掴めていない生徒も少なくない。
「うぅ! もういや! お家に帰して! ママ! パパ!」
双葉はそのまま泣き崩れ、その場に膝をつく。愛望と楓が彼女の横に寄り添い、抱きしめ、宥めた。
九〇〇人の全校生徒の内、現在は何人の人間が正常な状態を維持しているのか、早急に確認する必要があるだろう。今日中に行うべきことが一つ増えた。




