005
誠達が一通りの『役に立ちそうな物』を回収し終えた頃。体育館から無数の生徒達が列を作って出て来るのが見えた。無数のパソコンが並ぶ四階の情報処理室から彼等の表情を窺い知ることはできなかったが、その雰囲気に暗い物はあまり感じ取ることができなかった。
少し奇妙にも思うが、誠と創志もそれ程に気が落ち込んでいるわけではない。むしろ、この非日常を楽しんでいる部分があるのは否定しきれない。『教師を除く学生全員が見知らぬ場所に突然に移動している』まるで漫画やアニメの様な展開だ。自分達が主人公の様な状況だ。嬉しくなるのも仕方がないだろう。
誰だって人生の主役だと言うことは簡単だが、実際にそう自分自身に言い聞かせることが出来る人間は少ない。歳を取るにつれて現実が見えて来て、自分と世界の限界がわかって来る。主役と言っても世界を揺るがすイベントに関われるとは限らないし、世界は人間のどんな創造物よりも完全で決して敵わない。
しかしそんな諦観を打ち壊す今がここにはある。
自分達の力だけで、世界を変えることができるかもしれない。
そんな期待に胸を躍らせていた。
そして直にわかることなのだが、世界は寛容だ。受け止められない物など何もない。彼等の期待を裏切る形になるとは言え、世界はとっくのむかしに闖入者である学生達を自らの運命に組み込んでいるのだった。
「んじゃあ、武道場に行こうか。生首を置きに」
「ああ」
そんなことは露とも知らず、創志と誠のはぐれ者二人組は取り敢えず一階の生徒会室を目指す。既に拝借した学校の備品は生徒会室と隣の倉庫に隠しており、二人は手には何も持っていない。少し時間が余ったので、最もこの場所で役に立たないコンピューターの類を冷やかしに来ていただけだからである。
もっとも、役に立たないと考えているのは誠であって、創志は近い内に発電所を作りたいと考えているらしい。彼が言うには、電気と言うのは割と簡単に作れるものであるらしい。既に発電機はあるので燃料さえあれば電気はいつでも起こせる。原油に端を発する液体燃料に限りはあるが、多少の手を加えれば固形燃料でも十分にエンジンは動かせる。そうでなくとも、河でも見つかれば、手回し式の携帯充電器の要領で、発電することも難しくない。その為に必要な工具は工作室にあったし、電線の類は情報処理教室に溢れている。細かい問題は無数にあるが、不可能でないと創志は得意げだ。サバイバル生活を真面目にする気はなさそうだ。
ちなみに、誠は半信半疑である。
「いやいや。バグダッド電池って知っているだろう? 電気ってのは発生させること自体はそんなに難しくないんだって。結局は二種類の金属間に起こる電子の移動だからね」
「その時点で、俺には遠い話しに思えるがな」
陸上部二年生の生首をバッグに詰めて誠が首を横に振る。特別に頭が悪いわけではない誠だが、それはあくまで学業に対してと言うことだ。電気関係の法則や理論は一応頭に入っているが、それが『何故そうなのか』を問われると答えに窮してしまう。
反面、創志はその理屈をしっかりと覚えている。科学と言う概念を科学史として学んでおり、法則や方程式の『何故』を道筋立てて説明することができた。元々、学ぶと言うのはそう言うことなのだが、現在ではそれを十全にこなすのは難しい。
まったく頭に入って来ない創志の電気が起こる仕組みに相槌を打ちながら、特別棟から教室棟へと渡り、玄関から校舎を出る。既に二人は下靴を履いているので下駄箱を経由する理由はないのだが、その辺りは無自覚な癖であった。
二人は肩を並べながらグラウンドへと出る。だだっぴろい学園の外周は、マラソン大会の時の距離が正確なら約三キロ程度。以前にも説明した日の字状の校舎を中心にして、北側に校舎と同程度の敷地面積の図書館、東はグラウンド、南には体育館、水泳場、武道館、部室棟と言った施設が並ぶ。西側は駐輪場と駐車場に大きくスペースを取っている。本来ならば隣あった野球部とサッカー部のグラウンドがあるのだが、現在は原始の森に覆われて確認が出来ない。
それらは誠よりも更に高いコンクリートの塀で囲まれており、誠はその様子に学校ではなく監獄の様だと入学当初は思っていた。今は、森の浸食を妨げている偉大な壁に思えなくもない。実際、どうなのだろう? どうして高くそびえるあの木々は、学校の敷地内へと入って来ないのか? 謎である。
恐らくは、一人で頭を抱えても解ける問題の類ではないだろう。誠はかぶりを振って余計な考えを頭から追い出し、通い慣れた武道場の扉を開けると一礼し、靴を脱いで武道場へと上がった。
「ここでは脱ぐんだね」
「当然だ。お前も正面に礼をして、靴を脱げ、靴を」
「礼儀ね。こんな所まで、神様は見ていてくれるのかな?」
急に真面目なことを言い出す誠に呆れたように創志は言われた通りにして武道場へと上がる。武道場と言っても実際はほとんど剣道場のようなもので、全面床張りになっている。柔道部は畳マットを床の上に並べて練習をせざるを得ないのだが、管理の都合を考えれば仕方がないのかもしれない。
勝手知ったると言わんばかりに誠は広く何処か静謐さを感じさせる武道場の端を歩きながら部室へと進む。
部室へと入った誠は、自分の防具の入った革の袋をロッカーの上から下ろし、二組の胴着を無理矢理にその中へと押し込む。誠の個人ロッカーの中にはプロテインや粉末のスポーツ飲料、竹刀の整備用の小道具などが入っていて、取り敢えずそれも全て回収しておく。流石に、鉄アレイは使い道がなさそうなので諦めたが。パンパンになった防具袋を背負い、二本の竹刀と一本の木刀を竹刀ケースに入れて部室を後にする。
部室を出ると、創志が生首入りのビニール袋を取り出し、床へと置く所だった。結構な時間誠は荷物を纏めていたので、何処に置くか彼なりに迷ったらしい。その結果が、武道場の入口からもっとも奥の壁際だと言うのが如何にも平凡で、らしくないと言えばらしくない。わざわざ奇を衒うような場面でもないと言えばその通りだが。
隅っこの方にぽつんと置かれた生首の入ったビニール袋。今はまだまだその字面に違和感はあるが、それも数日の内に消え去ってしまうだろう。死体が並んだ武道場を想像する。最初は几帳面に並べられ、死者にも敬意が払われるのだが、数が増える度にそれは難しくなっていく。死体の間の隙間はどんどん短くなり、次第に重ねられるようになっていき、最終的には死体の山ができるだろう。忌避感を丸出しで死体を運んでいた少女達はその内に、ただ面倒な作業を行うことに嫌気がさし、そして次第に自分の順番がいつ来るのかと怯え始める。死体の服は深刻な材料不足と共に剥ぎ取られるようになり、一線を超えた人間がそれを食う時が来るかもしれない。或いは、腐って蛆が脇、忍び込んだ鼠によって散乱し、疫病の温床となる可能性もゼロとは言い切れない。
「誠ちゃん、何か考え事かい?」
と、まだ見ぬ死体について考えを巡らせていると、創志の声が耳朶を打った。いつの間にか、誠の正面に立って本心を悟らせない胡散臭い笑顔をしている。こう言う展開の場合、一緒に行動する相棒ポジションは女の子じゃあないのかと、一瞬理不尽に腹が立ったが、それは相手にも言えることだろう。黙って誠は首を横に振った。
「ここは結構通ったからな。死体安置所になるのは少しだけ思う所があったんだよ」
「ふーん。そう言う感慨が誠ちゃんにもあるんだね、意外だよ」
本当に意外そうに、創志は言う。確かに物事に強く執着する性質ではないが、そこまで冷血漢扱いを友人にされているのは流石の誠もカチンと来る。思わず口調を強くして反論してしまう。
「お前は人のことを何だと思っているんだよ。俺はお前と違って人斬りだが、死体を解体する趣味はない」
自虐を行いながら相手の古傷を抉ると言う、誰も得をしない皮肉に、
「君こそ僕を何だと思っているんだい? 今更人間の死体をぶっばらそうとは思わないよ」
唯一の友人はクールに肩を竦めて首を横に振るだけだった。そして「それよりも」と話を戻した。
「生徒会室に戻ろうぜ。その防具も邪魔だろう? その前に、手を洗いたいけどね。まだ、トイレの水動くかな?」
どのみち、口先で誠が創志に敵う道理もない。誠は大人しくそれに合わせる。
「あの水って何処から来ているんだ?」
「断水時のことを考えて予備の貯水タンクがそれぞれの建物の上にあるから、暫くは動いてくれると思うけど」
「じゃあ、その内に詰まるな」
そして何故かトイレの話しをしながら武道場の正面に背中を向けて歩き出すのだった。
「ああ。そう言えば、トイレについては何も話しあってなかった。詰まったら最悪だ。それに上手く発酵させれば肥料になるし、無駄に水に流すのも勿体ないかも」
「肥溜って奴か? アレって何かしら管理方法とかあるのか? 垂れ流し?」
「そりゃ、小便は基本的に無菌だけど、大便は放っておいたら病気の元だよ。だから、肥溜には藁とかを投げ入れいてたんじゃなかったかな? 微生物が糞なり藁なりを分解する時の熱を利用して菌を殺しているはずだよ、確か。流石に詳しいことは調べないとなぁ」
「ふーん。熱さえ通せば良いのか?」
「多分、大丈夫じゃない? 畑の肥料になるのは、窒素化合物だからであって、別に細菌じゃあないはずだから」
そんな人間失格である誠と創志の二人がウンコから広がる話しに盛り上がりながら武道場のトイレに寄って手を洗う。蛇口のセンサーが反応しなかったが、掃除用の蛇口を捻れば水は普段通りの勢いで流れ出た。
果たして、この水は何時まで出続けるのだろうか? 誠はふと考える。一回手を洗うだけで、少なく見積もっても一リットル程度は使っただろう。一日に生徒全員が手を洗えばおおよそで一〇〇〇リットル。勿論、他にも諸々水は必要だ。一日に最低でも二リットルは水分を摂取するべきだと言われているし、安全に物を食べる為に湯が必要になるだろうし、手洗いうがいは健康管理上欠かせない。風呂やシャワーだって同じだ。
貯水タンクがどれだけの量を蓄えられるかは確認しないとわからないが、早い内に水源を見つけなければあっという間に脱水症状で死ぬ人間が出て来ることは想像に容易い。
さっきは暫く見に回ると創志は言っていたが、そんな余裕があるのだろうか? 大量消費文化に浸りきった現代の高校生が、自粛することが出来るのだろうか?
ここが死体で溢れ返るのはそう遠い未来の出来事ではないのかもしれない。改めて、死人が少しでも少なくなることを祈りつつ、水を止める。緑色のホースの先から零れ落ちて行く勢いのない水のことを惜しむ日は何時来るのだろう。
「また、何か考えていたね」
ホースを適当に掃除道具入れの床に落として便所サンダルの先で押し込んでいると、目敏く創志が言った。こいつは俺のことを見過ぎだろうと、誠は背筋に寒気を覚える。いや、純粋に観察力と洞察力故の発言なのだろうが、優男面と相まって嫌な想像が頭を過ってしまう。
かぶりを振って馬鹿な考え払い、飲み水の確保と言う命題について提言をしようと口を開く――
「きゃーーーーー!」
――が、低い誠の声は甲高い叫び声によって掻き消されてしまう。男子トイレの窓から飛び込んで来たその悲鳴は一つではなく、男子の声も混ざり、ちょっとした阿鼻叫喚。なんにせよ、ドッジボールが始まっただとか、更衣室に覗きが出たとか、そう言った程度の話しではなさそうだ。
二人は窓の外の途切れることない悲鳴に顔を見合わせる。その後、慎重に窓から外の様子を覗き見るが、残念ながら何かしらの変化が起きていることを確認することはできなかった。声の方向から考えると、どうやらグラウンドで何か起きているらしい。
「見に行く?」
「ま、物は試しだ」
と、竹刀袋から木刀を一本引き抜くと武道場の出入り口へと走る。靴を履き替え、外に出た誠の視界に移ったのは、空から降って来る少女だった。
勿論、そこにファンタジーなような雰囲気や、ラブコメの予感はない。在学中に何度か顔を見たことがある少女が頭からグラウンドと武道場を繋ぐレンガの道に落下し、あっけなく首の骨が折れ、右の眼球と前歯の何本かが吹き飛ぶシーンを非常にマイルドに表現しただけだ。
名前も知らない同級生が助かりそうにないことを直感すると、誠は空を仰ぎ見る。変わることのない青い空には、黒い染みの様な物が幾つか浮かんでいる。比較物がないので大きさは分かりにくい。が、それが悲鳴と騒動の原因だと察するには十分だろう。
「わお。死体がひいふうみい」
少し遅れて来た創志が地面の上に散らかる同級生を見て驚きの声を上げる。
「創志。下がってな。どうやら、つまらなくなって来たぜ?」
視線は空に向けたまま、誠は木刀を左手一本で正眼に構える。影が動く。矢のように真っ直ぐに落ちる影の姿は、猛禽の狩りにも似ている。いや、人間の動体視力を超えた急落下は正にそれだ。
誠の前方二十メートル程度の所を走っていた女子の足が影に浚われる。
「きゃあ!」
悲鳴を上げた時には既に遅い。少女の華奢な身体は影によって中空へと持ち上げられ、五メートル以上上昇した所で足を放される。重力に従い少女は大地へと引き寄せられ、全身を強く打って動かなくなった。
最も大きな猛禽類の一種であるヒゲワシは、捕獲した亀を岩の上に落として甲羅を割って食べることで知られているが、まだ息の根のある少女の頭蓋骨を嘴で叩き割り、その中身を啜る影の姿は猛禽に似ても似つかない生き物だった。
強いて近い物を例えるのであれば、なんだろうか?
全長はおおよそ二メートル。嘴は猛禽。顔はどことなく凶暴な犬を思わせるが、何処か作り物染みていた。縦に長い鱗塗れの胴体は蛇のようだ。頑丈そうな漆黒の外殻と透明な薄羽は昆虫のそれ。奇怪なことに足はなく、代わりに尻尾に当たるであろう部分に熊の掌の様な物がくっついている。
死体を縫い合わせて作ったフランケンシュタインの怪物……いや、そんな格好の付くものではない。小学生の自由帳に画かれた落書きだ。適当な生き物の部位をくっつけた、アンバランス極まりない不自然な生き物。
現実にこんな生き物が空を飛べるわけもないし、あんな身体で女子とは言え人間一人を持ち上げられるとは思えない。
だが現実に空には七匹のそれが宙を舞い、数分前まで同級生だった少女達を食い散らかしている。
「『魔物の群れが現れた!』ってね、どうする? 誠ちゃん」
おどけた様に言って、創志が制服の胸ポケットから愛用しているバタフライナイフを取り出して手の中でクルクルと回す。その口ぶりや手先は随分と余裕層ではあるが、その眼は珍しく笑っていない。人に慣れた猫や野良犬の類ならまだしも、未知のふざけた生物が相手では流石に腰が引けるらしい。
「知ってるだろ? 俺は絶対に逃げない派だ。逃げるくらいなら、リセットボタンだ」
「だったら、僕は今日の朝のデータをロードしたいよ」
生きながら喰われる女子生徒の悲鳴。怪鳥のメランコリックな野次にも似た鳴き声。グラウンドから走って逃げる生徒達の騒音。校舎からそれを見て叫び声を上げる生徒達。
「違いない」
最低のバックグラウンドミュージックと共に、誠は一歩前へと踏み出した。




