004
「誠ちゃん。会議、終わったぜ?」
額に汗を浮かべて素振りを続ける誠の目の前に飛び出して来た創志が言った。疲労を感じさせない胡散臭い笑みは変わらずで、見ていて愉しい物ではない。飛び出して来た創志を見えない日本刀で切り捨てない様に腕を止め、誠は素振りを辞めて周囲を見渡す。例の一〇人は丁度会議室を後にする所で、その足取りは重い。
「どうなったんだ? 結局? 選挙編でも始まるのか?」
制服の裾で汗を拭い、誠が訊ねる。話し合いに興味はなかったが、結果だけは一応しりたいらしい。
「うーん。一口で説明するのは難しいし、取り敢えず戻ろうか」
「戻る? 何だ、帰れたのか?」
戻る。と言う言葉のニュアンスに誠は驚いたように訊ねる。
「いや。生徒会室に戻ろうってこと。どうせ、教室にいても居づらいだろう?」
素振りをしている内に全てが解決している程、この世の中は甘くないようだ。創志は「そんなわけがないだろう?」と困ったように肩を竦めて見せる。ただ、誠として『戻る』と言う言葉を使う程に生徒会室に帰属意識はない。まだ、駅前のコンビニの方が馴染み深い。
が、もしここから帰れないとのだとすれば、暫くはあそこが誠にとっての拠点になるのだろう。「なるほど」と納得をした振りをしておく。同級生達と同じクラスで寝泊まりするなんて考えただけでぞっとしないし、この状況下一人で眠るなんて言うのも論外だ。創志と行動を共にするというのは、巨漢の彼にとっても悪いことではない。
誠と創志は誰も口を付けなかったペットボトルと、教卓に隠した陸上部らしい後輩の首を回収して隣の生徒会室へと戻る。首はどうする心算なのだろうか? 流石の誠も持ち歩いて良い気がするものではない。
「後で彼等が引き取りに来るよ。取り敢えず、死者は武道場に並べることになったからね」
気になったことは取り敢えず訊ねてみると、あっさりと創志は答えてくれた。既に死者が多数出ることを前提にしているのにも引くが、武道場を死体安置所代わりにするのには言葉も出ない。武道場について一番発言力を持つであろうは、剣道部部長佐竹勇次郎だが、政治力はゼロの様だ。
「埋めたり、燃やしたりしないのか?」
「僕はそう提案したんだけどね。病気とかあるし。でも、やっぱり忌避感があるみたいだ。帰った時に親御さんに『死体は燃やして埋めちゃいました。てへぺろ』じゃあ済まないだろうしね」
それ以前に、死んでしまった時点で合わせる顔がないと誠は思う。かと言って頭髪だとか、焼けた頭蓋骨だとかを渡されても困るだろうし、それが妥当な所なのだろうか?
生首と数本のペットボトルを持って、生徒会室へと入る。
「そういや、どうしたんだ? この水。まさか、自販機をぶち壊したのか?」
こんな量のペットボトルを校内で手に入れようとしたら、それくらいしか想像できない。
「近い内に、そうする必要が出て来るだろうね。でも、違う。アレは保存されていた奴さ」
「保存?」
机の上に腰を下ろし、ペットボトルの蓋を開けながら、誠が鸚鵡返しに訊ねる。
「そ。ここは災害時の緊急避難場所に指定されているからね。体育館の下が倉庫になっていて、約一万食の保存食と水があるんだよ。あと、毛布とか簡単な医療設備とか、発電機とかね。で、僕は生徒会長としてその場所を教えられていたわけさ」
なるほど。一端、別行動をしている間にその場所を確認して来たようだ。生首を拾いに行っていただけではないらしい。この辺りの行動力と判断力は流石だ。どっかの剣道部部長とは雲泥の差だ。
しかし一万食と言うのは凄まじい量ではないだろうか? 勿論、誠の一食と例えば愛望の一食には数倍の差があるだろうが、一万人の人間の食事があると言うのは驚きだ。これならば当分の食事には困らない。
能天気に誠が楽観視をしていると、創志は首を静かに横に振って生徒会長の席に腰を下ろす。
「いや。足りないよ、全然。僕達は九〇〇人もいるんだ。つまり、全員が一日三食を食べたら、それだけで二七〇〇食が消えることになる。単純計算で持って四日だよ。一日一食にしても二週間も持たない。しかもカロリーメイトとか缶詰とか、喉が渇く奴ばっか。ま、水の方は取り敢えず浄水装置があるから、最悪プールの水を浄水するって言う手もあるけどね。女子はまだしも、男子が入ったプールの水を飲むのは少し気が引けるけど」
「浄水すれば一緒だろ。って言うか、プールの水くらいなら普通に飲めないか? 消毒してあるんだろ?」
「あの塩素消毒の濃さはちょっと危険かな。勿論、薄めれば飲めるよ。って言うか、そうだね。浄水した後に塩素消毒はした方が良いかもね。煮沸するには燃料がないし」
「水一つでそんなに苦労しそうなのか? 俺達は既に飢え死にの危険性が出て来るってことか。ヤバいな。真っ先に餓死するの俺だろうな」
人より三倍は喰う誠は、この異常事態になって一番の焦りを見せた。そうだ、食事だけではない。ここにはプロテインはないのだ。折角ここまで鍛えた筋肉が衰えていくのは忍びない気持ちになる。
「そ。さっきの話し合いでは、取り敢えず一日一食を朝に配ることにした。全員にね。後は、回りの森から見つけて来るしかない」
「そんな都合良く食い物が見つかるのか? 俺達はターザンじゃあないんだぞ?」
わけのわからない森に食べ物があると期待するのは無謀ではないだろうか。誠は不安を露わに訊ねる。
「大丈夫だと思うよ。少なくとも僕達人間を食う生物がいるんだ。つまり、食物連鎖がある。僕達の様に食べられる生物が他にいるなら、その生物が食べる物も必ずある。それはまず間違いなく、僕達も食べられる物だろうさ」
「なるほど」
確かに創志の言い分は筋が通っている様に誠には聴こえた。科学的な飼料が一般的になるまで、家畜は基本的に人間と同じ物を食べていた。逆に言えば、家畜が食べることが出来る物は人間も食べることができることは多い。
そして森の中と言うのは、人類の祖先達のホームグラウンドだ。平野で農耕を始める以前の人類文明は、深い森と共に生きていた。狩猟と言う奴だ。その子孫である誠達に森での探索が出来ないわけがないだろう。
「でも、やっぱり都合よく行くのか?」
しかし、原始の人類は無傷で、無血で、進歩をし、その勢力を伸ばして来たわけではない。そこには少なくない犠牲があり、神様なんて物を作りだす必要がある程に絶望を経験する破目になった。
二十一世紀の日本に産まれた誠達は、確かに知識や経験と言う点に置いて遥か遠い祖先を上回っているだろう。太陽が無数にある恒星の一つであることを知っているし、物が燃える為に必要なのはフロギストンでないと証明した。
が、便利な機械や弱者に優しいルールで守られて育った肉体や精神までもが、偉大なる祖に勝っているだろうか? 初めてキノコを食べた人間の心情を理解することができるだろうか? 泣きながら腐ったパンを食ったことがあるだろうか?
恐らくは、多くの生徒がそうではない。生首を見ただけであそこまで冷静さを失う連中ですら、決して劣った人間ではないのだ。むしろ、この学校でも最上位に位置する者達だ。
森に入り、命の危機に怯え、仲間の死体を見ても立って逃げることのできる人間が何人いるだろうか?
「うん。死ぬだろうね。その責任を負いたくないから、僕は進ちゃんにリーダーを譲ったんだよ」
少なくとも、誠の目の前の一人はそれに該当しそうだった。
「一体全体何が起きているか知らないけど、バンバン人は死んでいくだろうね。勿論、長期的なことを考えるなら、マンパワーはあった方が良い。それを支配できるリーダーの立場は美味しい。けど、明日明後日のことを考えるなら、無謀だ。こんな大勢で無能な連中は要らない。僕でも纏められない。有象無象が生きていられるのは、社会があってこそだよ。増え続ける世界人口を見ればわかるだろう?」
創志に取って、最初から死人が出ることは前提。命の重みと言う物を、口振りからはまったく感じることができない。
「楽しみだね。僕達がトップになる頃には学校はどうなっているんだろうか?」
「随分と趣味の良いことで」
そんな創志の台詞に、誠は呆れたように呟くが、そこに強い批判の色はない。養豚場の豚を見て、『食べられるのは可哀想だけど、しかたがないよね』程度の感想を抱いているかも怪しい。
結局の所、誠が恐れられ、創志が畏怖されるのは彼等の現代社会にそぐわぬ価値観にあった。創志はその優秀さ故に自分を特別視し、誠は特別であるが故に優劣が意味を持たないと言う違いはあるのだが、行き着く所は同じ孤独だ。
「それで? これからはどう動くつもりなんだ? 委員長達と、お前は」
「こうやって説明するのが面倒だから、会議室にいて貰ったんだけどなー」
文句を言いながら、創志はポケットから折り畳まれた紙片を数枚取り出す。何処にでもある(これからはこの表現を使う機会が減って行くのだろうか?)コピー用紙だ。そこには意外な程に汚い字が書かれている。内容は、先程の会議のメモであった。水を飲みながら、誠はそれに眼を通す。
最初から結果が決まっていない会議の迷走は凄まじく、メモ用紙には纏まりがない。が、要点は見えて来た。
まず、大目標として『帰還』が掲げられている。取り敢えず、元の日常へと帰ることが九〇〇人の目的となるようだ。これには、誠も大いに同意せざるを得ない。プロテインは恋しいし、読みかけの漫画もある。そう言えば、新作DVDもレンタルしていた。帰らなくてはならない理由は多い。
次に、その為の目標として中目標の『調査』だ。学校や近くの森を調査し、この異常事態の謎を解こうと言うらしい。正直言って、これは無謀そうだと誠は感じる。青空に突然雷が落ちたかと思えば、周囲が樹海になっていた。こんな異常事態に説明が付くとは思えない。よしんば出来たとしても、宇宙の始まりと終わりだとか、生命の起源と進化だとか、そう言った現象の説明をするのと同じくらいの時間と労力が必要になるに違いない。
しかし『帰還』と言う目標がある以上、やらないわけにもいかないだろう。この現象を正確に理解し、再現を行うことは帰還の為に必須なのだから。
そして、それらの目標を達成する為に必要な目標である小目標が『拠点』となる。先も話題に上ったが、食事を取らねば人は飢え死にをする。一万食の保存食があるとは言え、それは既になくなることは目に見えており、最優先すべき目標だろう。
その為に、体力に自信のあるスポーツ特待生と有志のメンバーで森の中の食料を探索するチームが組まれるようだ。既に死者が出ている以上、もっとも危険な仕事となることは間違いない。が、行かなければ結局は飢え死にだ。
その間、女子は校内の改造や、備品の確認、そして図書館でサバイバルに必要な情報の収拾を行うようだ。命の危険はなく、生徒の数を考えると明らかに仕事が少ないのだが、その辺りはどうしようもない。男女差別をするわけではないが、体力的に女子に探索をさせるのは難しいだろう。足手まといならまだいいが、死体になって貰っては困る。
この辺りに、今も根付く男性優勢文化の起こりがあるのかもしれない。
一通りの内容を確認すると、「それで?」と誠はメモ用紙をもう用済みだと丸めて机の上に転がす。部屋を片づけられない男の所作であった。
「俺達はどう動くんだ? 取り敢えず、生首を置きに行きたいんだけど」
「生首は後にしよう。今、全校生徒が体育館へと移動中のはずだから」
「はあ。全校集会でもするのか?」
「そうだよ? わかってるじゃあないか」
皮肉のつもりで言ったことが正解だったようだ。空回ったようで少し恥ずかしい。
「……九〇〇人を相手に、さっきのメモみたいなことを説明して納得させられるのか? できなかったらどうする」
「まあ、そう言う奴には保存食が配られないからね」
「餌が欲しかったら働けってか? 水族館のシャチかよ」
「サラリーマンみたいだとも言えるよ」
学生の分際で現代社会を支える労働者を揶揄すると、創志は表情を真面目な物へと変える。
「僕達が何をするかと言えば、自由行動だよ。自由って言うか、集団行動の邪魔だから勝手にしてくれって言われたんだけどね」
「俺達、基本的に周囲に合わせるってことができないからなぁ」
半ば馬鹿にしていたサラリーマンよりも自分達が窓際にいることに、誠は呆れた笑みを浮かべる。高校三年生だと言うのに進路のことなど全く考えていなかった彼だが、サラリーマンにすらなれそうにない。これは協調性がない面倒な部下が世の中に出ないと言うことだし、誠にしても満員電車に乗る心配がないと言うことなので、決して悪いことではないだろう。
「うん。だから暫くはサボろうと思う」
サバイバル生活一日目からこんなことを言い出す創志も、やはり社会不適合者。類は友を呼ぶと言うのはこのことか。
「様子を見るってことか?」
しかし今現在はその『社会』が存在しないのだから、大きな問題ではない。むしろ、枠組みに収まらない厄介者になることこそが生存の秘訣かもしれない。
「そうそう。いきなり森に入るのも危険だし、ある程度情報が出てから動こう」
「そんな奴に飯をくれるのか? 飼育係は」
真っ先に食事の心配を誠が口にすると、創志は苦笑しながら立ち上がる。
「一応、貰えるように交渉したよ。それに僕には奥の手がある」
「奥の手?」
「隣を見て見ようか」
言われるがままに生徒会室を出ると、創志は生徒会議室と同じく、隣あった生徒会倉庫と書かれた部屋の扉を持っていた鍵で開ける。窓のないその薄暗い部屋はひんやりとして涼しい。倉庫内には大量の段ボールが天上まで積まれており、誠は眼を細めて段ボールの文字を読む。あまり馴染みのないメーカーの名前がでかでかと印刷されており、そして商品名には『カンパン』と書かれている。
カンパン。乾パン。焼き固めて水分を少なくしたパンの総称で、一昔前の非常食と言えば缶に入ったこのカンパンが一般的だ。ちょこっと入っている糖分補給用の金平糖が少し嬉しい。
「おい、これって」
しかし誠の頭に浮かぶのは喉が渇くカンパンの食感ではなく、どうしてこんな物がここに? ここの存在を他の生徒は知っているのか? と言う疑問。
「僕と誠ちゃんの秘密だけど、ここにも生徒用の非常食が備蓄されているんだ。一〇〇〇人に一日三食計算で、三日分の非常食約一万食がね。まあ、カンパンだけだし、水もないし、その他の備品もないから、あくまで体育館地下倉庫の予備品扱いって所かな?」
得意げに創志が口元に笑みを作る。全校生徒を三日間満足させられる量の食事を、二人きりで独占しようとこの元生徒会長は言っているのだ。これは学校の財産であり、全校生徒全員が受け取る権利がある貴重な食料だ。本来なら、今すぐにでも公表するべきだろう。仮にもし、黙っていたことが他の人間に伝わったら、顰蹙を買う所の話しではない。苦情を漏らすことすらできない人間だって出て来るかもしれない。
ただ幸いなことに、この部屋にいる二人にそう言った心の機微は無縁なものである。
「…………今の内に、家庭科室とか行って、塩とか砂糖を拝借しとくか?」
「そうだね。針と糸も使えるかもね」
「科学実験室の薬品はどうだ? 化学物質は持っておいた方が後々便利だろ」
「工作室からもある程度の工具も借りておこうか」
二人は次々と今後に必要そうな物を上げて行き、体育館に注目が集まっているこの時を利用して、学校中の備品をこっそりとくすねに行くのだった。




