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「あと数ヶ月でパン屋と思えば、私この針の筵にも耐えることができましてよ」
勇者さまの進攻を聞き及ぶ限りでは、もっと早く決着がつくかもしれませんわね。ああ、楽しみですわ。
生地と蜂蜜をまぜ、バターを切って加えたその生地は、考えている間により良くまとまったようです。
発酵種が手に入らなかったので、種なしではありますが、お母さん直伝のレシピを試すことができましたわ。お父さんを落とした、と馴れ初め話に出てきたレシピなんですの。
冷蔵室がありましたから、そこで一晩寝かせ、明日の朝にふっくらと焼き上げます。
たくさん用意いたしましたから、一週間ほどはこのパンで過ごして、ほそぼそと肉や野菜を手に入れて、庭を出来る限り整え薬味を調達すれば、なんとか予算内に収まると思いますわ。ああ、鳥をちゃんと仕留められるかしら。それより何より、野獣がいれば、干し肉でも作って凌ぐことができるのだけれど。
粉をはたき、そのまま手を見せるとカリアが水でゆすいでくれました。
にこりと笑うと、カリアは少し目を細め、私を見返します。
「ご主人様」
「なあに?」
「庭に虫がおります。どういたしましょうか」
見ると、小さな子どもたちが、私の庭で遊んでいました。
「あらまあ」
あの庭は数ヶ月の間つつが無く過ごすことができるよう、整えるつもりなのです。具体的には習作のパンに挟む野菜や、ハーブを育てようと思っています。
そういう場所に子どもが入り込むのは歓迎できません。
王子が用意すると言った、衛兵は何をしているのでしょう。守っているのは入り口だけですの。庭に入ってこないのはありがたいけれど、子どもが入ることができるような隙間なんて、暗殺者にとっては鍵のあいた勝手口と同じですわよ。
はあ、とため息をつくと、背中が丸まっているのに気が付きます。ゆっくりと体の芯を意識し、目をつむりました。
久々の遠出、慣れない王族の暮らし、軋轢、――そうね、私少し疲れているみたい。
心の澱はパンを捏ねることである程度流れましたけれど、肉体的な疲労はまだ、どうともなっていないようです。
カリアが持ってきてくれた美味しいパンの名称と特徴、考察を書き出す時間も必要です。でなければせっかくのカリアの好意を無駄にすることになりますわ。私同様、カリアとてこの王城の圧力に、何も感じていないはずはありません。
その上で買い物に城下に赴き、王城の厨房に入り小麦粉まで調達してくれたのですもの。
「まだ通達がいってないなんて、やっぱりどうしようもない王子ね。――まあ数日様子を見ましょう」
「寛大な処置ですね」
「まあ」
カリアは一刻も早く追いやりたいようです。声も表情も平坦ですけれど、切り返しが鋭くて、私少し驚いてしまいました。
カリアにしては珍しい反応ですわ。
どうしましょう。見返すカリアの視線が真っ直ぐで、――少し悲しくなります。
「虫よりもパン、ですわ」
短くそう返すと、私は早々に自室に戻りました。