第3話:登録者0人の個人チャンネル。奈落の入口で、底辺配信者は生配信ボタンを押す
奈落の穴の闇へ足を踏み入れた瞬間、地上の雨音は完全に消え、代わりに低い唸りのような振動が耳の奥を揺らし続けていた。
濡れた服の内側まで冷気が入り込み、皮膚を刺すような感覚が走る。
この場所が世界最凶のダンジョンと呼ばれる理由を、まだ何一つ知らない。
それでもここまで来たのは怒りと意地だけだった。
事務所に切り捨てられ、底辺配信者として嘲笑され、数字だけで評価され続けた三年間の全てが、今この瞬間、背中を押していた。
照明は最低限しか設置されておらず、黒い岩壁が湿り、ところどころに水滴が落ちている。
地上の喧騒は完全に途切れ、警備員の声ももう届かない。
ここは別世界だった。
濡れた手でスマホを取り出し、画面に映る個人チャンネルを見つめた。
登録者0人、フォロワー0人、コメント履歴もゼロ。
数字だけ見れば存在していないのと同じだ。
だがそんなことはどうでもよかった。
怒りと意地だけがここまで連れてきた。
生配信開始の赤いボタンが画面に浮かぶ。
迷いなくそれを押した。
画面が切り替わり、配信が開始される。
視聴者数は当然ゼロ。
しかし数秒後、数字が「1」に変わり、さらに「2」、そして「3」へと増えた。
たった三人。
それでもゼロよりは多い。
ゼロから始めた身にとっては十分すぎる数字だった。
コメント欄が動き始める。
「自殺志願者か?」
「バズ狙いのヤラセ乙」
「どうせ入口だけ映して帰るんだろ」
冷めた反応、嘲笑、皮肉。
それが最初の視聴者たちだった。
だが胸の奥で何かが静かに燃えた。
この三人は配信を見ている。
行動を見ている。
奈落の穴に立っているという事実を画面越しに見ている。
それだけで十分だった。
スマホを持ち直し、奈落の奥へ向けてカメラを向けた。
闇しか映らない。
底は見えない。
ただ黒い穴が永遠に続いているように見えるだけだ。
コメント欄が再び動く。
「おい、本当に入る気か」
「やめとけ、死ぬぞ」
「どうせ入口だけだろ」
短く答えた。「入るよ」
その言葉は誰に向けたものでもない。
視聴者でも警備員でも事務所でもない。
自分自身に向けた言葉だった。
奈落の穴の奥から吹き上がる冷気がさらに強くなり、スマホのライトが揺れ、岩壁に不規則な影を作る。
その影はまるで飲み込もうとしているように見えた。
だが一歩踏み出した。
視聴者数は「3」のまま。コメント欄は冷めたまま。それでもいい。
底辺配信者が世界最凶のダンジョンで生配信を始めたという事実は、数字が少なくても揺るがず、むしろこの静けさこそが覚悟を際立たせていた。
闇の奥から吹き上がる冷気が肌を刺し、ライトに照らされた岩壁の影が不規則に揺れ続ける。
その揺らぎはまるで試すように蠢いていた。
奈落の闇が、迎え入れた。
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