英彦山神宮、中津宮(前編)
あの時、諦めなければ…もうちょっと頑張っていれば。
うーん。
諦めて切り替えて、そのぶん他のことに時間を割いたことで、別の何かを獲れたこともあるから、正直なんとも言えない。
選択肢の先をそれぞれ経験できたら。
友人との馬鹿話で挙がった時、それ最高、と思った。
でもきっと、重みが減るんだろうなぁ。
―――
「おはようございます」
「っ、おはようございます」
「おはようございまーす」
俺たちは崖のような岩場を登った後、初めて人とすれ違った。
想定しない挨拶をもらい、戸惑いながらも返せた。
挨拶を交わしたのは、一人だけじゃなかった。
そしてその全ての人々が、俺たちみたいなスニーカーや薄着、肩掛けカバンではなかった。
自分たちの姿は絶対浮いてる、とか話しながら標識と出会う。
“英彦山神宮(上宮)1.7km”
今の俺は平坦な道でも、その距離は歩きたくない。
太宰府天満宮から竈門神社へ向かう2kmの山道を諦めた俺たちだ。
コレは期待が持てる。
奏恵さんが俺に笑顔を向けた。
あの時に見た笑顔と同じなのに、今日は前に進むぞオーラが乗っている。
なんなんだよもう。
“英彦山神宮(上宮)1.4km”
最初の標識から20分ほど歩いた場所。
二度目の休憩所に二人で座った。
足元に気をつけないと、石や木端に足を取られる。
前を向いて歩けないから、進み具合も良くないと思われる。
歩いているおかげで体は暖かいが、耳が冷えて痛い。
ずっと未舗装な山が続くわけではなく、場所により岩が並べられ、木で段を組まれていた。
車が入ってこれる場所じゃないから、全部人の手で整えてきたと思うと、頭が下がる。
「さっきから、コーヒーじゃなくてお茶買っとけば良かったと後悔してますよ…」
俺は耳を温めながら奏恵さんにこぼした。
「私も…ホットにしとけば良かった…」
それきっと冷めてたよ。
目の前を高校生くらいの4人組が通り抜けていく。
「「「「おはようございまーす」」」」
「「おはようございます」」
ゴミなんか基本的に落ちてないし、挨拶も徹底されている感じ。
登山者のマナーの良さに驚かされる。
「私たちを見た人に、”山を舐めるなー!”とか思われてたりしてね」
「思われても、気にしないんでしょ?」
「んふふっ」
でしょうね。
―――
俺は二度目の絶望ポイントに到達した。
倒木と岩に引っ掛けられた網と、垂らされた鎖で登る崖。
なに?英彦山はずっとこんな険しいの?
さっき両手に棒持った人たちを見かけたけど、どうやって登ったんだろう?
しかも、まだ1km以上これが続くの?
最初っから登るつもりじゃなかったから、前に進むのが億劫になってきた。
トートバックを広げてリュックのように背負い、ロングカーディガンを腰に括り出した彼女は、最初っから登りきるつもりだったのだろう。
もりもりと崖をよじ登っていく奏恵さんは既に遠く、話をするために登り終えた時に、残念ながら俺は限界を迎えた。
「ごめん、奏恵さん、先いって…」
「ありゃー、じゃあ一緒に帰る?」
「いや、奏恵さん、てっぺんまで行きたいでしょ? 俺はさっきの休憩所あたりで待ってるよ」
「あっはっは、そこ登る前に言えばいいのに」
いや、違うんだ。
登った時に変に力入れて、お腹痛くなったんだよ。
「気をつけて登ってね」
「はーい。そっちも気をつけてね」
軽装でズンズンと登り出した奏恵さんを見送り、登ったばかりの崖から下を見下ろす。
…こっわぁ…
しかし、帰ると決めて行動すると、あっという間にさっきの休憩所に到着した。
さっきも思ったが、心構え次第で体の調子が全然違う。
だってもう、お腹痛くないし…
冷えて痛い耳だけは、心構えだけではどうしようもなく、今着ているパーカーのフードを、耳を温めるために初めて使用した。
しばらくすると耳の痛みも癒えた。
こうしている間にも、人の流れは感じていた。
300mを20分ほどかけて登った俺たち。
奏恵さんが残り1kmほどだとしても、登頂まで一時間。
そこから降り出すとさらに一時間半。
…その間、通り過ぎる人たちの視線には、とても耐えられない。
はい、俺たち緊急集合。
俺が納得できる行動を提案したまえ!
「今みたいに後ろ向いてスマホいじってたら?」
却下!先ず寒い!あと、この小さな休憩所に、他の人が入りにくくなる!
「境内まで降りたらいいじゃん…」
この辺で待ってると言った手前、それはちょっと…
「じわじわ登って、降りてくる奏恵さんと合流したら、一緒に降りる?」
貴様っ!それだ、それが最高だ!最&高だ!
「…出来レースでは?」
そうですね。
心にも余裕が生まれたので、一人のペースでゆっくりと登ることにした。
さっきの崖の前にたち、降りなきゃよかったと後悔する。
何してんだ俺は。
崖を登り終え、ほんの少しだけ進むと…
登りが減り、まっすぐに伸びた岩の少ない道が続いた。
…もう少し早く、この道を見せてくれれば…
すれ違う人と挨拶を積極的に交わす。
その中にはカメラで撮影するための、子供の背ほどある脚立を担いで登る人を見かけた。
すげぇよ。
左側に人を感じたので、これまでどおり挨拶をする。
「おはようございます」
…
挨拶は帰ってこないが、無視ではない。微笑まれているような感じ。
不思議な感覚に、転ばないように見ていた足元から、その人を見上げた。
「あっ、は?」
湍津姫様?
「おはようございま〜す」
「おはようございます」
状況を把握しきる前に、その奥から女の子たちの声が聞こえた。




