第七話 契約
精霊――アネモネを救出した後、ナッシュたちが仮宿にしていた民家に戻ると、そこには既にサフィたちの姿があった。
湯上りの所為か、微かに紅潮した肌が艶めかしい。だが、そんなことよりも、ナッシュは楽しそうに談笑している彼女たちの様に気を取られていた。
ここ最近は感じられなかった弛緩した雰囲気、温泉で何かあったのかとナッシュが考えていると、エレノアとサフィがこちらに気付いた。
「ああ、二人とも、おかえりなさい」エレノアが右手を上げて言う。
それを聞いて、こちらに背を向けていたサフィとラピスが振り返る。
「お、おかえりな……、え?」
「二人ともやっと帰ってたの……。って、何? これどういうこと!?」
サフィとラピスの視線は、ナッシュの腰に注がれていた。
正確には、そこにしがみついているアネモネの姿に。
「お兄さん。その子、どこから攫って来たの?」
「人聞きが悪いこと言うな! この町で彷徨っていたのを見つけたから保護したんだ」
「何だ、そういうことかあ。僕、てっきり、お兄さんは小さな女の子が好きなのかと思ったよ」
「断じて違う」
「だよね。良かったあ。もし、そうなら、身の危険を感じちゃうところだったよ」
「安心しろ。仮にそうだとしても、お前には何もしないから」
「うわ、ひっど!」
「あの二人とも。じゃれ合っているところ悪いのですが、私にも説明をしてもらえますか?」
精霊が見えないエレノアは困惑した様子だった。
ナッシュは改めてエレノアたちに、事情を説明した。
「――へえ、じゃあ、その子はおじさんの古い友達なんだ?」
「まあ、そのようなものだ」
「ふーん。でも、正騎士と契約していた精霊の割には、大人しそうだね?」
ラピスがそう言うと、突然、彼女の後ろからナッシュの知らない人物が姿を現す。
『それは誰と比べて言ってんだ?』
「君のことに決まってるじゃん」
「ラピス、そこに居るのは、もしかしてお前の契約精霊か?」
「うん、そうだよ。そういえばお兄さんはまだ見たことがなかったね。リコリスって言うんだ」
『よろしくな、兄ちゃん』
「あ、ああ、うん。よろしく」何だかガラの悪い精霊だなと思いながらナッシュが答える。
『お前も久しぶりだな、アネモネ』
リコリスに名前を呼ばれたアネモネは、露骨に嫌そうな顔を浮かべると、さっとナッシュの後ろに隠れた。
『何で、リコリスがここに居るの?』
『何でって、それは俺がこいつらの仲間だからだよ』
『……最悪』
ぼそっと一言。
どうやらアネモネとリコリスは、あまり相性が良くないらしい。
『っていうか、俺が一方的に嫌われているだけなんだけどな』
考えていたことが顔に出ていたのか。ナッシュに小声で話し掛けるリコリスは何故か楽しそうだ。契約者共々、本当にいい性格をしている。
「……あの、そろそろ私にも状況を説明してもらっても良いでしょうか?」一人だけ精霊が見えないエレノアが不満そうな顔をして言う。
それからステインが事の経緯を説明した後、「ところでさ」とラピスが口を開いた。
「その子はこれからどうするの?」
ラピスの言い分はもっともだった。これからナッシュが向かう場所には、間違いなく危険が待っている。それがどの程度のものになるかは分からないが、この小さな精霊を連れて行くことは憚られる気がした。そんなナッシュの逡巡を見透かしたように、アネモネが強く袖を引っ張って来た。
『私、ナッシュと一緒が良い』
「いや、だめだ。せっかく、この世界に留まることが出来たんだから。君は君にふさわしいパートナーを見つけて、今度こそ幸せに暮らすべきだ」
『私にふさわしいのはナッシュだよ』
「どうして?」
『私を見つけてくれたから』
「いや、それは本当にただの偶然で……。だから別に俺なんかじゃなくても……」
『ダメ』
頑として譲らないアネモネに、ナッシュが助けを求めるようにステインを見る。
だが、ステインは首を横に振ると、「受け入れてやれ」と言って来た。
「精霊が誰かに存在を認識されることは、何百年に一度あるかないかの奇跡みたいなものらしい。だから彼女たちにとって、その出会いは本当に特別なものなんだ。特にアネモネは契約者を失ったことで、自分も存在が消えかかっていた。そんな時に偶然、次の契約者足り得る人物に出会うことなど奇跡に等しい」
「でも、精霊が見える人は他にも居るじゃないですか? だったら、俺じゃなくても……」
「いや。例え精霊の姿を見ることが出来ても、精霊の側が相手を受け入れなければどうにもならん。それこそセント・ローズやリコリスのように運良く継承先が見つかればいいが――」
『私たち、別に運は良くないわよね?』
『だな』
話の腰を折った二人の精霊にステインとラピスが睨みを利かすと、彼女たちは煙のように姿を消した。
ステインは軽く咳払いをすると、話の続きを口にする。
「とにかく、精霊であるアネモネが君と契約することを望んでいる以上、簡単に代わりが見つかるとは思えない。……彼女の一途さは折り紙付きだからな」
前の契約者を失ってからも、アネモネはずっとこの場所に留まり続けた。
それだけ大切だったのだろう。
カーライルという前の契約者が。
アネモネが心の優しい精霊であることは、ナッシュにもよく理解していた。
だが、だからこそ躊躇う。
これから向かう先には、何の安全も保障されていない。
もし、そこで自分が死ぬことになれば、またアネモネを一人ぼっちにさせてしまう。
そう思うと、どうしても決断が出来なかった。
『ナッシュは優しいね?』アネモネがナッシュを見上げてそう言った。『私と契約すれば、ナッシュは精霊の恩恵を受けることが出来るはずなのに。それなのに、今のあなたは自分のことより私のことを心配している』
「そんなの当たり前だろ?」
『違うよ。私と契約しようとした人たちは、皆、私の力だけを求めて来た。唯一、ライルだけがそれを望まなかった。私が一人ぼっちにならないようにって、いつも一緒に居てくれた。……あなた、あの子によく似てる。だから、私にあなたを守らせて』
真っ直ぐこちらを見上げる瞳に、「分かった」とナッシュは答えた。
「僕で良ければ、君と契約させてくれ」
『うん』
そう言ったアネモネは、子供の様に無邪気な笑顔を浮かべていた。




