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救われなかった世界のために  作者: 無徒 静
第三章
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第四話 アネモネ

 ナッシュとステインは、聞こえて来た謎の声のした方へと向かうことにした。

 彼らが居るハーネットは、大災厄の折、いくつも生み出された悲劇の地の一つであり、そうした土地のご多分に漏れず、幽霊の声が聞こえるなどといった噂話には事欠かなかった。


 所詮は、ただの噂話。

 だが、実際にその声を聞いてしまうと背筋が冷たくなってしまう。

 それも二人、同時に同じ声を聞いたとなればなおさらだった。


「……ステイン、何か見つけましたか?」


「いいや。確かにこっちの方から聞こえて来るんだが……」


 不気味さを感じながら尋ねたナッシュに、ステインは特に動じた様子も見せずに答える。

 流石に肝が据わっていると思いながら、ナッシュは町の散策を続けた。

 しかし、一向に声の主は見つからなかった。


「ステインさん……、これってやっぱり?」


「いや、それはないだろう」


「でも、だったら、さっきからずっと聞こえるこの声は何なんですか?」


『……けて。……か、……を……けて』


「ほら、また聞こえてた!? やっぱ、絶対何か居ますよ!」


「落ち着け。幽霊なんて居るはずがないだろ?」


「いや、でも……。精霊が居るんなら、幽霊も居たっておかしくないじゃないですか?」


「ああ、そうだな」


 そう答えたステインの声はどこか呆れているように聞こえた。

 軍人の癖にこの程度で狼狽えてどうする?

 そんな風に言われているような気もしたが、今の彼の態度はそういうものとは違うように思える。


「もしかして、何か知ってるんですか?」


「そういう訳じゃない。ただ……」


 ステインが何かを言い掛けた時、今度こそ、はっきりと声が聞こえた。


『お願い……。誰か、助けて』


 懇願する様な子供の声。誰も居ないはずのこの場所で、どうしてそんな声が聞こえるのか。ナッシュは別の意味で不安を感じた。もしかしたら、子供が迷い込んでしまったのかもしれない。理由は分からないが、もしそうだとしたら一大事だ。


 日が落ち切った町の中をナッシュは駆け出す。

 すると、町の外れの開けた場所に、ぼんやりと何かが光っているのが見えた。


「……何だ? あの光?」


「どうした、ナッシュ?」


「ああ、いえ。あそこに何かが光っているのが見えて」


「……何も見えんが?」


「え? おかしいな、確かにあそこに……」


 微かな光を見ながらナッシュが首を傾げていると、「やはり、そうか」とステインが一人で何かを納得する。


「君には、見えるんだな? あそこにいる精霊が」


「え、精霊?」ナッシュはぽかんとしながら答える。「……いやいや、それはないしょう。だって、俺、今まで精霊が見えた事なんて一度もないんですよ?」


「精霊の存在に気付く時なんて、そんなものだ」


「そういうものですか?」


「ああ、俺の時もそうだったからな。……ただ、残念だが、君が見ているその精霊は、おそらくもう消滅しかかっている」


「えっ!?」


 ナッシュは思わずその光に目を向ける。

 虚空を揺蕩い、今にも消えてしまいそうな儚い光。

 助けを求める声は、最後の力を振り絞っているようにも聞こえ、気が付くとナッシュはその光を両手で包んでいた。


 そんなことをしても意味など無いのかもしれない。

 それでも、こんな誰も居ない場所で一人で消えさせてしまうのは、あまりにも不憫に思えた。


「どうにかならないんですか!?」


 ナッシュがそう尋ねると、ステインのすぐ傍から知らない女性の声が聞こえて来た。


『名前を呼んで上げて。……その子の名前を』


「え……、今のは?」


『ああ、良かった。ちゃんと私の声も聞こえるみたいね――』


 耳を(くすぐ)るような柔らかい声音にナッシュが目を見開くと、ステインの隣に浮世離れした美貌の女性が現れた。


『――初めまして、ナッシュ。私は、セント・ローズよ』


 その名前は知っていた。

 ステインの契約精霊――セント・ローズ。

 まさか自分がその姿を見る日が来るなんて……。


「ローズ、お前にはそこの精霊が誰なのか分かるのか?」


『当然でしょ』ステインの問いに、セント・ローズはナッシュから視線を外さずに答える。『アネモネ。それがそこに居る精霊の名前よ』


「アネモネ……。やはり、そういうことだったか」何かを得心したようにステインが呟く。


「あの、何がどうなって……」


『質問は後よ。それより早く、その子の名前を呼んで上げて』


 セント・ローズに急かされて、両手をそっと開いたナッシュは浮かび上がった光に向かって呼び掛ける。


「アネモネ?」


 直後、ナッシュの手の上で揺らめいていた薄光が急激に輝き始めた。その光は、ゆっくりとナッシュの前に降り立つと、突然、弾けるように消え去り、代わりに小さな女の子が姿を現した。


 腰まで伸びた薄紫の長い髪とその髪と同じ色のワンピースを身に纏ったその女の子は、まるで何かに怯えるようにナッシュを見上げていた。


「君が、アネモネ?」ナッシュは出来るだけ怖がらせないように尋ねる。


『……うん』


「あー、その、俺はナッシュって言うんだ」


『ナッシュ?』


「うん」


『ナッシュが、私を見つけてくれたの?』


「まあ、多分……。そういうことになるのかな?」


 ナッシュの返事にアネモネが安堵の笑みを浮かべる。


『ありがとう、ナッシュ。……ようやく、見つけてもらえた』


「ああ、うん……。どういたしまして」


 正直、自分でもなぜこんな状況になっているのか分からなかったが、それでもこの小さな女の子が消えてしまわなくて良かったと心の底から思えた。 


 二人が遠慮がちに笑い合っていると、状況を見守っていたセント・ローズが口を開いた。


『久しぶりね、アネモネ?』


『ローズ? ……うん、久しぶり』


『あなた、どうしてこんな所に居たの?』


『それは……』


『まあ、大体の察しはつくけれど。……()を待っていたのでしょう? あなたの主人だったカーライル・ベルツを』


『……うん』アネモネはそう答えると、セント・ローズの隣に目を向ける。『アーロンも久しぶり』


「ああ」


『……何だか、ちょっと変わった?』


「十年も経てば多少は変わる」


『うん、そうだよね……。人間は年を取るんだものね?』


 そう言って背を向けたアネモネを、ステインとセント・ローズが切なげに見つめていた。

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