プロローグ3 覚醒――Hex
その城は、いまはもう過去の災厄を思い出すためだけに存在していた。
悲しい役目だとアイナは思う。
だが、本当の悲劇はこの城が王国の墓標にさえならなかったということだ。
悲劇は今も続いている。
いや、これから起こるのか……。
災厄の魔女である自分を起点として、真の大災厄が起ころうとしていた。
かつて顔も知らない父が座っていたはずの玉座に腰を下ろしたアイナは、眼前で頭を垂れている怪物たちに目を向ける。
あれほど恐ろしかった怪物たちが、今は自分のことを神のように崇めている。
その異常な状況にアイナがごくりと喉を鳴らすと、玉座の間の入口から軽薄な声が聞こえて来た。
「アイナちゃーん。元気?」
「これが元気そうに見えますか?」
「だよねえ」声の主であるハンザは、未だ頭を垂れ続けている怪物たちの横をすり抜けるとアイナの隣までやって来た。「で、どう?」
「どうって、何がですか?」
「その椅子の座り心地だよ」
「別に」
「あらら。今日もご機嫌ななめか」
「当たり前じゃないですか」
数日前までアイナはこの城の地下牢に幽閉されていた。
そこでハンザに自分が滅亡した王家の生き残りであることを聞かされた。
だが、それより衝撃だったのは、自分がこの世界に終焉を齎す災厄の魔女であったということだった。
「信じられません」
「だろうね。でも、事実だ」
「証拠はあるんですか?」
「状況証拠だけならいくつかあるけど、決定的なのは君が怪物の発生を予見出来るということだ。それは災厄の魔女が有する力の一つだからね」
あのビジョンを見る度に、自分は一体何者なのだろうとアイナはずっと思って来た。
何故、こんな力を持って生まれて来たのか。
ハンザの与えた答えは、アイナも腑に落ちる所があった。
それでも、はいそうですかと頷く気にはなれなかった。
しかし、昨日の昼、アイナが災厄の魔女であることを決定づける出来事が起こった。
心身ともに疲労が溜まっていたアイナは、ハンザが持って来た食事を摂った後、いつの間にか眠りに落ちていた。
そこで悪夢を見た。
アイナは今まで何度も悪夢を見て来た。
だが、今回のそれはまったく別次元のものだった。
地図が黒く塗り潰されて行くようにリンドベルが燃えていた。
あまりに非現実的な光景だったが、アイナにはそれが現実に起こるという確信があった。
次に目を覚ました時、アイナの周りには五体の怪物が立っていた。
その姿はいずれも人間のようだった。ただ、人間と違い、彼らは全身が大理石のように白く、この世のものとは思えない悪意を発散していた。
「おはようございます。我らが母よ」五体の怪物たちの中で最も長身の怪物が言った。
「……は、母って、わ、私のこと」
「左様にございます」
「私、あなたたちを産んだ記憶なんてないわ」
「いいえ。あなた様は我々を認識した。それが重要なのです。そのおかげで我々はこちら側に顕現することが出来た」
「それって私が、予見をしたから?」
「理解が早くて助かります」
今までアイナは自分の力は、未来を予見する者だと思っていた。
だが実際は、自分が予見することで彼らをこの世に産み落としていたのだ。
……何てことなの。
ハンザの言っていたことは本当だった。
結局、自分がすべての元凶だった。
「どうして私が……」
ふと、そんな言葉が口を衝いて出た。
それは、決して口にしないようにと自分に誓った言葉だった。
アイナは慌てて自分の口を手で塞いだ。
だが、吐いた言葉は呑み込めない。
それがたとえどんなちっぽけなものでも。
何か、とても大切なものを失ってしまったような気がした。
それからアイナが悄然としていると、牢屋にハンザがやって来た。
いつの間にか夜になっていたらしく夕食を運んで来たようだった。
ハンザは怪物がアイナの傍に居ても特に驚くことはなかった。
ただ、少しだけ悲しそうにアイナを見ていた。
「完全に覚醒しちゃったみたいだね」
「ハンザさん?」
「間違いだったら良かったんだけど……」
「あの、これはどういうことですか?」
「言っただろ? 君は災厄の魔女だって。怪物たちにとって、君は生殺与奪の権を持つ神のような存在なんだよ」
「私が? で、でも私には怪物をやっつけることなんて出来ませんよ」
「出来るんだよ、君には」
ハンザがそう答えた時だった。
五体の怪物の中でもっとも小柄な怪物がハンザを殴りつけた。
「ハンザさん!」
盛大に吹っ飛ばされたハンザは、牢屋の鉄格子を突き破ると、正面にあった別の牢屋の壁に激突した。
土と埃と黴が舞い上がる中、小柄な怪物はハンザの近くまで歩み寄るとその頭を掴み上げた。
「……あれ、生きてる? 殺すつもりでやったのに」そう言って、怪物がもう一度拳を振り上げる。
「彼を離しなさい」
それは自分でも信じられない程、暗く、冷たい声だった。
まるで別の誰かが自分に乗り移ったかのようだった。
アイナの言葉に、怪物はハンザを掴んでいた手をぱっと離した。
すると尻餅を着いた体勢でハンザが舌打ちをした。
「――痛ってて。いきなりやってくれたな、ちくしょう!」
「ハンザさん! 良かった、無事だったんですね」
「全然、無事じゃないよ」ハンザはそう言うと、アイナの前までやって来て頬を見せる。「ほら見て、めっちゃ腫れてるでしょ?」
「……良かった、無事だったんですね」
「おおう……。何か、アイナちゃん、エレノアやサフィちゃんに似て来たかも……」
ハンザの顔は暗くてよく見えなかったが、これだけ軽口を叩けるのなら問題はなさそうだ。
アイナがこっそり安堵の息を吐くと、突然、長身の怪物が小柄な怪物の頭を殴りつけた。
その衝撃で、小柄な怪物の頭部が吹き飛んだ。
「失礼をいたしました。まさか斯様に矮小な存在があなた様の友人だとは思いもよらず。我が母よ、奴の非礼は、これで手打ちにして頂けませんか?」
長身の怪物の慇懃な態度に、アイナは思わず頷く。
「わ、分かったわ」
「寛大なご配慮、痛み入ります」長身の怪物が深々と腰を折る。
すると、その場に居た残りの怪物たち――頭を吹き飛ばされた小柄な怪物を含む――が、一斉に膝を着き頭を下げた。
それは、まるで家臣が主に傅く様だった。




