第八十九話 震える切っ先
気が付けば、サフィに押し倒されていた。
彼女の手には小ぶりなナイフが握られており、その切っ先はアイナの心臓に向けられていた。
状況を飲み込む暇もなかった。
ただ、自分が殺されようとしているということだけは理解出来た。
抵抗する意思はあった。誰だって殺されたくなんてない。だが、サフィに殺されるのなら、それは仕方がないことだ。そんな風に感じてしまう自分が居た。
何だろう、このおかしな感覚?
振り下ろされるナイフを見つめながらアイナは思った。
※
「――お姉さんを助けて! このままじゃ殺されちゃう」
ラピスが放った言葉に、ナッシュとステインは平静を保つだけで精一杯だった。
オーディマ・ディグラとの死闘の直後であり、二人とも心身ともに疲弊し切っていた。
「殺されるって……、サフィに何かあったのか!?」
「まさか、まだ怪物が残って!?」
「どっちも、違うよ」弱々しい声でラピスが答える。「殺されそうなのは、もう一人のお姉さんの方」
「アイナが!?」ステインが声を上げる。「どういうことだ、ラピス?」
「気を失っていた僕に、リコリスが遠見で見た景色を伝えてくれたんだ。……お姉さんが、アイナお姉さんを殺そうとしてるって」
「……サ、サフィ、が?」ナッシュが唖然とした声で言う。「な、何で、サフィがそんなこと……。ありえないだろ!」
「僕に言われても、分からないよ。そんなことより、早く二人を追い掛けて! まだ、間に合うかもしれない」
「く、くそっ!」
わけも分からないままナッシュが飛び出す。
ステインもその後を追おうとしたが、踏み出した傍から膝が折れ、その場に倒れ込んだ。
『限界よ』と、セント・ローズが言った。『不完全な契約で力を使い過ぎた所為ね』
(……どうにかならないのか!?)
ステインが頭の中で呼びかけると、『無理ね』と素気無い答えが返って来た。
『今はあの子を信じて任せるしかないわ』
――間に合ってくれ、ナッシュ!
薄れ行く意識の中でステインはそう願い続けた。
※
いつの間にか目を瞑っていた。
しかし、どれだけ経ってもアイナの心臓にナイフが突き立てられることはなかった。代わりに頬に冷たい感触を覚え、アイナは目を開いた。
そこにはボタボタと涙を流すサフィの姿があった。振り上げたナイフは震え、苦悶に耐える様に唸り声を上げるその様に、アイナはどちらが加害者なのか分からなくなった。
サフィが何かを抱えていたのは知っていた。その理由が自分にあるということも、何となく察しは付いていた。だが、ここまで彼女が追い詰められていたとは思わなかった。
「……どうして?」
「え?」
「どうして、あなたなの!?」絞り出すような慟哭がサフィの口から零れた。
その姿があまりに痛々しかったせいで、アイナは思わず、「泣かないで」と言っていた。
「……サフィ、教えて? 一体、あなたに何があったの?」
アイナがそう口にした時だった。
誰かが、すごい力でサフィを突き飛ばした。




