第八十七話 ファインプレーだったでしょ?
あと少しでウズネラの力を引き出せる。
ナッシュがディグラの攻撃を受けたのは、まさにそんな時だった。
(くそっ! あと少しだったのに!)
迫り来る凶針に、ナッシュは死を覚悟した。
しかし、次の瞬間、彼はどこかの茂みの中に放り出されていた。
「今のは……?」
顔を上げ、そう呟いたナッシュはすぐに既視感のようなものを感じた。それはすぐに一つの結論を導き出し、ナッシュは茂みから飛び出すと、おそらくそう遠く離れてはいないだろう元居た場所へと向かった。
すると、そこには案の定、串刺しにされている自分の姿が見えた。
それを見て、ナッシュは確信した。
こんな芸当が出来るのはラピスだけだ。
であるならば、いまあそこで自分の代わりに串刺しになっているあれは誰だ?
問うまでもなかった。
ラピスが自分の身代わりになったのだ。
すぐにでも助けに入らなければならなければ!
だが、ナッシュはそれを選択しなかった。
ラピスが何の為に身代わりになったのか。
言われなくても分かっていた。
ラピスが稼いでくれたこの時間、決して無駄にするわけにはいかなかった。
ディグラがラピスを放り投げ、ステインが駆け寄るのが見えた。ステインはラピスに、「ナッシュ、ナッシュ!」と何度も声を掛けていた。
「……くそっ!」
ステインが拳を地面に叩き付け、肩を落とす。
時間の流れが異様に遅く感じた。
……そして、あの怪物を倒す力が成った。
「消えろ、無限の痛み」
深い怒りの声と共に、ナッシュの手から不可視の炎が放たれる。その炎は吹けば消えてしまいそうなほどか細く、ゆらゆらと頼りなく浮かんでいたが、誰にも気付かれることなく確実にディグラの傍まで近付いて行った。やがて、その炎がディグラに接触した。
直後、ディグラの体が真っ黒に染まった。
そこには一つの虚無があった。まるで、ディグラの居た場所だけが闇に塗り潰されたようだった。
※
「何だ、あれは!?」黒く、塗り潰されたディグラを見て、ステインが声を上げた。
「た、多分、あのお兄さんの魔法だよ」
「やはりか」ナッシュに擬態したラピスを抱えながらステインが答える。「……しかし、ラピス。お前は何て無茶なことをしたんだ」
先程、ステインがナッシュに駆け寄った時、ラピスの精霊であるリコリスの声が聞こえた。
ラピスはリコリスの魔法でナッシュと自分の位置を入れ替えていたらしい。
その所為でラピスはディグラの攻撃を受け重傷を負っていた。
「大丈夫、だよ。急所は逸れていたみたいだから」
ゆっくりとラピスの擬態が解けて行く。彼女は蒼白した顔に滝の様な汗を流していた。それでもなお、不敵に笑っている。とても子供とは思えない胆力だった。
だが、それでも、ステインはとてもラピスの行為を褒める気にはならなかった。
「そんなものは運が良かっただけだ。二度とこんな真似はするな!」
「分かったよぅ。そんなに怒らなくてもいいじゃん」
口を尖らせてラピスが言う。
相変わらずの軽口だが、その声は弱々しかった。
出血もひどい。早く、医者に診せなければ手遅れになるかもしれない。
ステインがそう思った時、ナッシュが茂みの向こうから現れた。
「やっぱり、ラピスだったのか」
「ファインプレーだったでしょ?」
「……ああ。おかげで助かった」ナッシュはそう言うと、手に持っていた小瓶の中身をラピスの腹に垂らした。「いまの魔法でほとんど使っちゃって。残り滓しかないけれど……」
「ウズネラ?」
「ああ」
「……まさか、僕の為に残したの?」
「いや。全部、使い切れなかっただけだよ」
「……そう。じゃあいいや」
そう言って、ラピスは気を失った。その体をナッシュが支えた。この戦闘を勝利に導いたのは間違いなくラピスだった。
ナッシュが労わるようにラピスを抱え上げる。その時には、ラピスの腹の傷が少しだけ塞がっていた。
「ステインさん。俺はラピスをアルフレッドさんの家に連れて行きます」
ラピスを抱え上げてそう言ったナッシュは、どこか足元が怪しかった。
先程の魔法でかなり消耗したのだろう。
それ以前にも、彼はかなりの数の怪物を相手にしていたはずだった。
ここらで戦場から離脱させても構わないだろう。
「分かった」
ステインがそう答えた時だった。
黒く塗り潰されたディグラの体が足元から崩壊し始めた。
「ところで、さっきは何をしたんだ?」ステインが尋ねる。
「消滅魔法を使いました」
「消滅魔法?」
「いつも僕が怪物との戦闘で使っているものと同じです。怪物をその存在ごと消滅させる。ただそれだけに特化した魔法です。ただ、今回はウズネラの力で別物になっていますけど」
あれだけ苦戦した零等級の体が、今は木炭のようにバラバラと崩壊を始めていた。
「……恐ろしい魔法だな」
「そうですね。僕も、ここまでの威力になるとは思いませんでした」そう頷いてナッシュがディグラに目を向ける。「ざまあみろ」
すると、ナッシュの言葉に反応したように、ディグラの頭部から瘡蓋が剥がれたように白い顔がのぞき始めた。そこに浮かんだ血走った眼がナッシュを睨みつけた。
『どうして、君が生きている!?』
「ラピスのおかげだ」
『何!?』
「この子が、俺を助けてくれた」
『……まったく、やられたよ。まさか僕がウズネラの力にやられるだなんてね」
「負け惜しみか?」
『そう思ってくれても構わないよ』ディグラはそう答えると、不気味な哄笑を上げた。『まあ、好きなだけその力を濫用すればいいさ。それがいずれ君たちの首を絞めることになるのだから』
「言い残すことはそれだけか?」
捨て台詞を吐いたディグラの頭部をステインが粉微塵に斬り刻む。完全に消滅したディグラを見て、ステインとナッシュは深く息を吐き出した。
「ありがとうございます」
そう礼を言ったナッシュにステインは首を振って答える。
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。君たちがいなければとても奴に勝つことは出来なかった。感謝する」
「王国正騎士にそう言われると、照れますね」
「元、だよ」
顔を見合わせ、ステインとナッシュは小さく笑い合った。
しかし、次に聞こえて来た声が、二人から笑顔を奪った。
「――お兄、さん。お姉さんを助けて! このままじゃ殺されちゃう」




