第八十話 オーディマ・ディグラ
人生二度目となる零等級との闘いに、ナッシュは違和感を覚えていた。
『――そういえば、自己紹介がまだだったね? 僕は、オーディマ・ディグラっていうんだ。短い間だけど、どうぞよろしく』
自身が敗れることなど微塵も考えていない怪物――オーディマ・ディグラ――の軽口にナッシュの頭が沸騰しかける。
だが、それが相手の狙いであることは、ディグラの顔を見れば一目瞭然であり、返ってナッシュは頭を冷やすことが出来た。
もっとも、それさえも奴の狙いだったのかもしれないと、ディグラの攻撃をかわしながらナッシュは思った。
ディグラの攻撃はあまりにも単調で稚拙だった。一撃一撃の威力は、触れたら致命傷を負うような凶悪なものだったが、冷静に対処すれば避けられないものではなかった。
それはまるでこちらの戦力を測っているかの様で、少しずつ攻撃の精度が上がって行く。
『……へえ、結構頑張るね? 君、普通の人間にしてはいい線いっているよ!』
完全に嘗め切ったディグラの態度に、ナッシュの視線が鋭くなる。
奴が油断している今が好機だ。
プロントで遭遇した零等級には手も足も出なかったが、今はあの時よりも体調がいい。千を超える怪物の群れを滅ぼした後とは思えない程、心身共に充実している。
ディグラの攻撃を避けながら、ナッシュは魔法で無数の粒子を周囲に散布していた。その一粒一粒が少しずつディグラの体が纏わりつき、やがてそれらが視認できるほどの濃度になった時、小規模な爆発が起こった。
その爆発が次の爆発を誘発し、ディグラの体が弾ける様に何度も揺れた。ナッシュが行使した魔法は、自身の魔力を小型の爆弾として散布するものだった。その爆発の一つ一つは零等級を倒せるほどの威力はない。だが、それが何千、何万と繰り返されたらどうなるか。リンドベル軍でもトップの魔力量を誇るナッシュならではの力圧しの戦法だった。
『鬱陶しい攻撃だね、まったく。品がないったらないよ。これが現代の魔法使いの戦い方ってわけかい?』
爆発により巻き上げれた煙の中からディグラの苛立たし気な声が聞こえた。
直後、凄まじい殺気が迸り、ディグラを覆っていた煙が消し飛んだ。
再び姿を現した零等級――ディグラの体には、あちこちに欠損が見られた。
頭部は半分以上が吹き飛び、左足は皮一枚でかろうじて繋がっているという有様だった。
前回の惨敗を考えれば、それは大戦果と言えた。
「……ざまあ、見ろ」
ナッシュの言葉にディグラの顔つきが変わる。
『暇つぶしのつもりだったんだけどな……。本当に、いつの時代も魔法使いってやつは性質が悪い』
軽いままのディグラの口調から、見た目に反して余力があることが伝わって来た。それを証明するようにディグラの欠損した部位から無数の繊毛のようなものが飛び出し、彼の体を元の形状へと復元して行く。
見るも悍ましい光景に、「ふざけんなよ」とナッシュが舌打ちをする。
『さて、それじゃあ、続きをしようか?』
準備運動をするように体を伸ばしながらディグラが言った。
※
箒に跨り、サフィはナッシュの居るシャリアンの西口へと向かっていた。サフィの後ろにはアイナが同じように箒に跨っており、初めて経験する空の散歩に青褪めた表情を浮かべていた。それでも悲鳴の一つも上げず、怯えながらもアイナの目はずっと西の方を見続けていた。
「サフィ! また、何かが光った!」
「ええ。多分、もう戦いは始まってる」
「急がないと!」
「分かってるわ」
互いに張り上げる声が、風に乗って消えて行く。その下方では、ラピスが獣のように俊敏な動きで後を追って来ていた。
「……あの二人、僕のこと忘れてるんじゃない?」
『だろうな』
「そこは、そんなことないって言う所じゃない?」
『何のために?』
「……お前、本当に嫌な奴」
契約精霊――リコリスと憎まれ口をたたき合いながら、サフィたちの後を追っていたラピスは先程から妙な違和感を抱いていた。
アーノルド邸を出る前にサフィが見せたあの表情。思い詰めたような、それでいて何か覚悟を決めたようなその顔には既視感があった。
「……お姉さん、大丈夫かな?」
『気になるのか?』
「まあね」
『お前は、自分を一番大事だと考えるタイプだと思っていたんだがな。違ったのか?』
「違わないよ。ただ、自分のこともそれほど大事だと思っていないってだけ」
『……なるほど』
「何が、なるほどなのさ?」
『お前が、思っていた以上に面倒くさい奴だってことが分かった』
「そんなのお互い様だろ?」
『違いない』リコリスはそう言って笑い声を上げると、不意に真面目な口調で告げる。『さて、そろそろ到着だ。覚悟は良いか?』
「何の?」
『負けないこと、死なないこと、……そして見捨てること』
リコリスの言葉に、「はあ?」と馬鹿にしたような声で答える。
「そんな当たり前のことに覚悟なんて決める必要ないでしょ?」
『いい答えだ。それでこそ俺の主にふさわしい』
「うわー、全然、嬉しくないや」
ラピスが吐き捨ている様にそう言った時、彼女の目の前にサフィたちが下りて来た。その隣をラピスが並走すると、生暖かい何かに包まれるような感覚を覚えた。サフィが行使した認識阻害の魔法だった。
「おねえさん、この魔法って怪物に効果があるの?」
「期待は出来ないわね。プロントでも使ったけど、一瞬で看破されたし。この魔法は誰かに見破られたら効果を失うのが欠点ね。だからただの気慰めよ」
「ふーん」
「ねえ、サフィ。本当にラピスちゃんまで連れて来て良かったの?」アイナが心配そうにラピスを見て言った。
「大丈夫よ。少なくともラピスは私よりも強いから。それにいざとなったら、この子にはあなたを連れて逃げてもらうつもりだし」
「はあ!? そんなこと聞いてないんだけど!? 大体、僕とお姉さんの間には回路が繋がっているんでしょ? だったら、離れることなんて出来ないんじゃ――」
「だからね」そう言ったサフィの手がラピスに触れる。「解放」
同時に、サフィとの間にあった繋がりのようなものが消えるのをラピスは感じた。
「お姉さん!?」
思わず上げてしまっていた怒声にサフィが苦笑を浮かべる。
「どうしてそんな顔をしているの? これであなたを縛り付けるものはなくなったっていうのに」
「だからって、今、こんなタイミングですることないじゃない!?」
「かもね。でも、怪物との戦闘になれば、もう解除出来る余裕なんてないかもしれない。だから……」
「……お姉さん。回路がなくなった後、僕がすぐに逃げ出すとか考えないの?」
「それならそれで仕方のないことだわ」
その時のサフィの口調は、ラピスを信頼しているというより、どこか自棄になっているように感じた。そう感じたのはラピスだけではなかった。
「ねえ、サフィ。大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ」後ろを一瞥することもなく、サフィが答える。「それより二人とも、西口が見えて来たわよ」
サフィの視線の先では、先程から間断なく爆発音が続いている。
きっとナッシュの魔法だろう。
「綺麗だね」
場違いにもそんなことを言ったラピスに、「ええ」と呟く誰かの声が聞こえた。




