第七十五話 見守り続けてくれたヒト
不意を衝いた怪物の攻撃をステインは超人的な反射速度で剣を抜いて受け止めていた。
膂力だけなら零等級に匹敵するその攻撃に全身の骨と肉が軋む音が聞こえ、踏ん張る足が地面に大きな亀裂を作る。
「むっ!?」
思わず、ステインが声を漏らした瞬間、受け止めていた怪物の前足がまるで液体のように変化した。刃をすり抜け眼前に迫ったその怪物の一部は、今度はまるでアイスピックのように鋭利な針へと変化する。
眼球目掛けて飛び出して来たその針をステインは、首を曲げることで辛うじて交わすことに成功したが、怪物の攻撃はそれで終わらなかった。不意打ちに失敗したと見るや否や、怪物は全身から伸ばした無数の針をステインに解き放った。
さながら驟雨のような猛攻。鉛の雨でも降り注いだかの様に地面が抉られる。堪らず後退したステインがさっきまで自分が居た場所を見て眉を顰めると、怪物の頭部に刻まれた三つの目が嗜虐的な笑みを浮かべた。
怪物にとって人間はただ蹂躙するだけの存在だった。今、目の前にいるステインもそれは例外ではない。だからこそ、彼が次に取った行動は、怪物の怒りを買うのに十分だった。
剣を鞘に納めたステインは、無警戒な足取りで怪物の射程圏内に踏み込んだ。そこはまだステインの剣が届く距離ではなく、獣並みの知性しか有さない怪物にも自分が侮られていることが伝わって来た。
「イギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャァァァァァッ!」
奇声と共に立ち上がった怪物が、その怒りを爆発させたように前脚を巨大化させる。それは小さな家なら丸ごと踏み潰されてしまいそうな大きさだったが、ステインはその瞬間を待っていたと言わんばかりに剣を横にして振った。その勢いで突風が生じ、怪物が目を閉じる。
次に怪物が目を開けた時、そこにステインの姿はなかった。慌てた怪物は、三つの目を駆使して周囲を見渡すがやはり獲物の姿は見当たらない。代わりに先程までそこになったものが視界に入った。
ステインが立っていた場所に、自分が削り取った地面より遥かに大きな穴が空いている。刹那、怪物の脳裏に過ったのは死の予感。直ちにこの場を離脱せよと告げる本能に従い、後ろ脚に力を込める。
だが、その時には既に上空から落下して来ていたステインによって、怪物は背中から腹部に掛けて一刀両断されていた。
霧散していく怪物は、一等級に比肩する力を持っていた。それは今のステインでも、決して容易に倒せる相手ではなかった。だが、蓋を開けてみれば無傷での勝利を収めていた。
「力は貸さないんじゃなかったのか?」戦闘中、無言を貫いていた精霊にステインが勝利の理由を問い質す。
『仕方ないでしょ? あなたに死なれると、私の目的が達成出来ないのだから』
セント・ローズの目的。
エストフィア王家の血を引くサフィを祀り上げ、王国の再建を果たす。
「……諦める気はないのか?」
「当然」
その願いが現実的ではないことなど、人より遥かに賢明な彼女なら分かっていることだろう。それでもなお願い続ける理由は何なのか。
太古より王国を守り続けて来たことへの執着か?
それともただ意地になっているだけなのか?
どちらも間違っている気がした。
「お前は、どうしてそこまで――」
そう言い掛けた時だった。
『アーロン!』セント・ローズにしては珍しく、狼狽した声を上げた。
ステインがいま居る街の東口とは反対の方角から、尋常ではない悪意の奔流が発生している。
四度目の遭遇ともなれば間違いようがない。
「……零等級か?」
『ええ。でも、問題はそこじゃないわ』
「どういうことだ?」
『零等級が居る場所に、あの子が向かっている……』
「あの子って? ……まさか、サフィか!?」
『そうよ。しかも、どういう訳か、あなたのお気に入りのあの子までそこに向かっているみたい』段々とセント・ローズの口調に苛立ちが混じって行く。『最悪な状況だわ……。あの場所に居るのはナッシュって魔法使いだけ。彼じゃ到底、サフィを守り切れない!』
「セント・ローズ、今すぐ俺を零等級の所まで飛ばせ!」
『それが出来たら苦労しないわよ! 契約不履行者のあなたには、これ以上私の力を与えることは出来ない』
「何故だ!?」
『そんなの私が王家を守護する精霊だからに決まっているでしょ!』
「……どういうことだ?」
『王家を守るためなら、私はいくらでもあなたに力を貸すことが出来る。でも、あなたは言ってしまった。よりにもよってこの私に。王国を再建することなど無理だと。……意思無い者に精霊は力を貸すことは出来ない。私がどれだけをそれを望んだとしてもね。それが人間と精霊との契約というものなの』
「しかし、プロントではそれが出来ただろう?」
『あの時はまだ、あなたは何も明言していなかったから……。だから、あんな契約の穴を突いた力業を使うことも出来たのだけれど……』
まったく、どうして俺の選択はいつも裏目に出てしまうのか。
そう思った時、ふとある可能性が頭を過った。
(こいつが、執拗に王家の再建を俺に願ったのは、まさか……)
『それは見当違いよ』ステインの思考を遮るようにセント・ローズが言った。
かろうじて繋がっている回路を通じて、ステインの心を読んだのだろう。だが、それはステインも同じであり、逆流するようにセント・ローズの動揺が伝わって来た。
「……お前は、俺のことを恨んでいるのだと思っていた」
『ええ、そうよ。私はあなたを許さない』
「だったら、どうして契約を完全に解除しなかった?」
『ただの気まぐれ。他意はないわ』
どこまで行っても天邪鬼なこの精霊にステインは肩を竦める。そもそもやろうと思えばいつだって契約を解除することは出来たはずだ。だが、そうすることはせず、まるで罰則のように貸与する力に制限を掛け続けた。
思えば、それが彼女に出来る最大限の譲歩だったのだろう。エストフィアが滅亡し、自暴自棄になっていたステインを一人にしないために。
『……本当に、碌なものではないわね。人間との契約って』自身の心を覗かれたことに気付いたのか、セント・ローズが忌々しげにそう呟く。
何故、今まで気付かなかったのか。
少し考えれば分かるはずだったのに。
合理主義の化身の様なこの精霊が、何のメリットもなく他人に力を貸す理由。
「お前は、ずっと俺のことを?」
『勘違いしないでね。別にあなたのためじゃないんだから』
何だか、どこかで聞いたことのあるような台詞に、「くっ、くっ」と嚙み殺したような笑い声をステインが漏らす。
「本当にお前は面倒くさい奴だな」
その声に気付かない振りをしてセント・ローズが言った。
『それで、どうするの?』
「決まっているだろ? サフィたちを助ける」
事態は一切好転していない。
それでも、自分をずっと見守り続けてくれた精霊がいる。
その事実がかつてないほどステインに勇気を与えた。




