第六十八話 アーロン・マクギリスの最期
「あまりにあっけない幕切れだった。俺は肝心な時に役に立たず、自分の使命を果たすことも出来なかった」そう言って口を閉じたステインに、アイナは声にならない悲痛を感じた。
「で、でも、ステインは精一杯戦ったんでしょ? ステインのおかげでたくさんの人が救われた。それが王女様との約束だったのなら……」
何も間違ってなんかないじゃない。
そう言ってあげたかった。
しかし、その言葉を口にするより先にステインが首を横に振った。
「いや、俺は間違っていた。必死で守ろうとしたものにその価値はなく、本当に大切なものを履き違えていた。たとえ国中から恨まれても、彼女から軽蔑されても俺は彼女を守るべきだった」
「……どういうこと? 守ろうとしたものに価値がなかったって?」
困惑するアイナを見て、ステインの顔に戸惑いの色が浮かぶ。
「いや、何でもない。忘れてくれ」
「無理だよ」
「これは俺の個人的な問題だ。だから、お前に話すのは――」
「ステイン。私が本当に聞きたいのは、その個人的な問題なの」アイナはステインの目をじっと見つめて言った。「正騎士だったステインがどうして傭兵になったのか。王国が滅びてもステインだったら、リンドベル軍に入ることだって出来たでしょ? それなのにどうして?」
ステインは腕を組むと、諦めたように口を開く。
「ただ、嫌になったんだ」
「何に?」
「人と、俺自身に……」
そう答え、ステインは大災厄の後の出来事について語った。
※
王家が滅んでも時間は変わらずに流れることを痛感した。国の政に関わっていた者たちは、事後処理のために寝る間もなく働き続けた。だが、大災厄により多くの貴族を失った王国は、もはや国家としての機能を果たせずにいた。各地の被災者に十分な支援も出来ず、誰もが疲弊し切っていた。
指導者不在のこの国は、まさに死に体だった。頻繁に外敵からの攻撃にも晒され、死肉を啄まれるその様は、とても大陸最大の国とは思えなかった。また、稀にだが怪物の出現もあり、病巣を抱えたまま内と外との闘いを余儀なくされた。
貴族の中には国外に逃亡する者も大勢現れたが、それを咎める者はほとんどいなかった。
「――この国は終わりだ」
ある日、辛うじて残っていた騎士団の作戦会議室でマーベリックが言った。彼もまた山積した問題に、いつ倒れてもおかしくない状態だった。
「他国に支援を求めるのは?」
「無理だな。今のこの国に対して手を差し伸べても旨味が無い。それよりも各国で協調してこの国を分け合った方が手っ取り早い」
「そんなことは俺がさせません!」
怒気混じりの声を上げたステインにマーベリックが血走った目を向ける。
「その状態でか?」
大災厄のすぐ後、ステインはセント・ローズから契約不履行を言い渡された。そのせいで精霊の力をほとんど行使出来なくなっていた。
「それでも他国の軍人に遅れを取ることはありません」
「お前一人ならそうだろう。だが、この国には戦える者はほとんど残っていない。もし、四方から攻め入られたら、精霊の力を失った今のお前では対処することは不可能だ」
「……では、どうするのですか!?」
「どうもこうもない。さっき言っただろう? この国は終わりだと……」マーベリックはそう答えるとステインに背を向けた。「お前も、身の振り方は考えておけ」
大陸最強の騎士団を束ねていた隊長が今はすっかり老け込んでしまっていた。
本当に終わってしまったのか?
「ディア……、ローラン」
気が付けば、ステインは王城の北にある湖で二人の友の名を呼んでいた。結局、フローディアとその娘の死体は見つからなかった。だが、彼女たちが履いていた靴がこの湖の付近で見つかった。きっとローランが彼女たちだけは逃がそうとしたのだろう。
しかし、それさえも適わなかった。
「……何が正騎士だ」
何一つ、守ることが出来なかった自分にはその名を名乗る資格はない。
もう戦う気力も理由も無くなっていた。
どれだけそうしていただろう。
ぼんやりと湖を眺めていると、ふと一匹の狼が茂みの中から顔を覗かせた。
その口に咥えられていたものを見て、ステインの目が見開かれる。
あれは、間違いない。
フローディアが身に付けていた王冠だ。
反射的に立ち上がってしまったせいで狼が逃げ出す。ステインは慌ててその後を追った。茂みの中を逃げる狼をどうにか捕まえたステインは強引にその口から王冠を毟り取った。
王冠は狼の涎と誰かの血で汚れていた。
ステインはその王冠を湖の水で綺麗に洗うと、大切に鞄の中にしまった。
……本当に、死んでしまったんだな。
急に彼女の死に実感が湧いた。
涙は流れなかった。
代わりに茫漠とした寂寥感がステインの中に広がって行った。
それからただ時間だけが過ぎて行った。
ステインは王都で復興作業を手伝ったが、まったく身は入らなかった。
未練がましくこの地にしがみつく自分がただ滑稽に思えた。
事態が急激に変わったのはその頃だった。
ある貴族が王家の隠していた重大な秘密を見つけたと公表した。
それはウズネラという人の願いを叶える万能の物体だった。
やがて、王家がその物体を独占し、自分たちだけが私腹を肥やしていたという噂がまことしやかに流布されるようになった。
誰もが王家を蔑み、怨嗟の声をぶち上げた。憎しみの矛先はすべて王家へと向かった。代わりにウズネラを国の復興に充てた例の貴族を、彼らは英雄のように崇めた。
その貴族はレズモンド・フォン・ランドールという名の公爵だった。
「レズモンドの奴が称賛されるのは気に入らんが、今回ばかりは奴に感謝せねばならんな」蓄積した疲労を吐き出すようにそう言ったマーベリックは、わずかだが活力を取り戻したように見えた。「……しかし、まさか王家があんなものを隠していたとは。我々はすっかり騙されていたというわけだ」
「隊長は、あんな噂を信じるのですか!?」
「王家が遥か昔からウズネラを隠していたという物証が腐るほど出てきている」激しい憎悪を滲ませてマーベリックが答える。
「ですが、ディアやローランがそれに加担していたとは――」
「フローディアの手記からもウズネラの名が確認された。疑いようがいない」
「し、しかし……」
「お前の気持ちも分かる。ローランはお前の親友だったし、フローディアはその妻だ。だがな、アーロン。目の前にある現実がすべてだ。奴らは国民すべてを騙していた大罪人だった」
言葉が出なかった。
何を信じていいのか分からなかった。
それでも彼女たちが自分を騙していたなんて考えたくなかった。
ステインにしては珍しくその日は酒を口にした。
明け方になり目を覚ましたステインは、誰もいない王城の庭園に足を運んだ。ディアは庭園の片隅にあるスノードロップの花壇をよく眺めていた。その花壇も今はもう跡形もなくなっていた。
ステインはそこに穴を掘ると湖で手に入れた王冠を埋めた。いつか、この国が再興した時のために持っていたものだった。
だが、それにもう意味はない。
王冠を埋め終わった後、ステインは国を出るため踵を返した。
そこで、こちらに近づいて来る足音が聞こえた。
「……あら? こんなに早朝から誰かがいるだなんて思いませんでした」
現れたのは妙齢の女性だった。長く艶やかな黒い髪と吸い込まれそうな深緑の瞳、この世のものとは思えない美貌を湛えたその女性はステインのことをしばらく見つめると、やがて悲しげな微笑を浮かべた。
「あなたも多くのものを失ったのね?」
「ええ」
「立ち直れそう?」
「分かりません。自分が何を失ったのかも……」
「そう……」
女性は頷く様に瞬きをすると、ステインの腰に目を落とす。
すると、セント・ローズが宿った剣から、微かに震えが伝わって来た。
これまでどれだけ呼び掛けても反応がなかったというのに。
「それ、とても良い剣ね?」
「私の、魂だったものです」
「だった?」
「今はもうただの抜け殻になってしまいました」
「……それはとても悲しいことね」
「そうなのでしょう。よく分かりません……」
そう答えたステインの横を女性が静かに通り過ぎる。
「でも、大丈夫よ」
「え?」
振り向いた時、女性の姿はどこにも居なくなっていた。
『――悪夢はもう、終わったのだから』
どこからかそんな声が聞こえた気がした。
まだ酔っているのだろうか?
首を傾げたステインは、今度こそ踵を返した。
その日を最後に、王国正騎士アーロン・マクギリスは人々の前から姿を消した。
回想編はこちらで一区切りとなります!
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しかし、深夜におっさんと年頃の女の子が二人きりというシチュエーションは如何なのものだろう?
そんな心配をしながら次回に続きます
引き続き、ご覧頂ければ幸いです!




