第11話 銀白色の獅子 ⑩
「いかがですか?」
姿見に映る俺を覗き込みながら、青年が問うてくる。それに対し、問題ないと返答すれば、彼はほっとしたように表情を緩めた。
青年が俺に合うように直した従兄の服は、まるで初めから俺のために仕立てられていたかのように、少しの違和感もなく体になじんだ。
難があるとすればその意匠や色合いが俺の好みとは少し異なることだが、それを言うのは贅沢というものだろう。
あの日、バスローブ姿のまま身ひとつでこの宮殿へ運び込まれた俺は、自身の衣服を持ち合わせていなかった。
療養のために部屋で過ごしていたあいだは泊まり客用の寝衣を借りていたが、あの男と対面する時にもそんな姿というわけにはいくまいと、伯母が従兄の昔の服をいくつか見繕い、青年が手直しをしてくれたのだ。
この家に近侍として雇われて三年ほどだと聞いていたが、もともと器用なのか素質があったのか、ずいぶん有能なようだ。
背も高く落ち着いた雰囲気から二十歳をこえていると思っていた彼が、まだ十八だと聞いた時には驚いた。俺の近侍だったアルノーと同い年とはとても思えない。
青年の年齢やくせのある赤系の髪はアルノーを思い起こさせるが、内面や優秀さはだいぶ差異があるようだ。そんなことを言えばアルノーが神の国から抗議をしてきそうだが。
寝室を兼ねた主室の扉がノックされる音が聞こえた。青年がそれに素早く応じ、彼に続いて俺も着替え部屋を出る。
青年が開けた扉から室内へと入ってきたのは、伯母と少年だった。
少年は俺の姿を認めるなり、小走りにこちらへと駆け寄ってくる。俺を見上げるその美しい翠玉の瞳が、なにやらいつも以上にきらきらとしているように思えるのは気のせいか。
「リオネル、すごくかっこいい! きれい!」
弾むような声でそう言って、俺の周囲をぐるぐると巡りながら、正面や横、背後からと、さまざまな角度から眺めてくる。まるで仔犬のようだ。
思えば初めて会った時から今日この時まで、少年には半裸のようなみっともない姿か寝衣姿しか見せていなかった。
もっとも、体に合った衣服をきちんと身に着けるのも久しぶりのことで、家令に捕らわれていたこの半年、まともになにかを身にまとっていた覚えがないのだが。
胸にかかっていた横髪を少年の小さな手に掴まれ、くいくいと引かれる。屈めというのだろう。あの挨拶をされるのだろうと察し、ほんのわずかなためらいののちに身を屈めれば、予想通りにくちびるに口付けをされる。しかも今回は少しばかり長い。いやだいぶ長い。首に両腕を回されて逃れようもない。
「あらあら。エリアスったら。リオネルがあんまり素敵なので興奮してるのかしら」
伯母の微笑ましげな声が聞こえる。喜ぶべきなのだろうか。
ようやく満足して離れたかと思えば、青年にも挨拶をしている。青年のほうは慣れたもので、求められる前に両膝をつき、飛びついてきた少年の体を抱きとめ、ついばむような口付けに応じている。
今はまだ子どもだから許されるが、少年の将来が少しばかり心配だ。良家の子息がこうも簡単にくちびるを許すなどと。この貞操観念の低さはどこかで修正する必要があるのではなかろうか。
他家の教育方針に口出しをするものではないが、ついついそんなことを考えてしまう。
「リオネル。これを」
少年の挨拶が一通りすんだのを見計らって、伯母が一振りの剣を差し出してくる。半年前のあの日、家令に引き渡した俺の愛剣だ。
受け取ったそれを、わずかに抜いてみる。久々に目にするその銀白色の刃は、たった今磨き上げられたかのようにわずかな曇りも錆もなくきらめきを返す。
神鋼の武器は一度その形状が定まれば、欠けることも曇ることも鈍ることもない。手入れをせずともその鋭利さを永久に保つと言われている。
もっとも、神鋼をもたらした神々にも序列があり、厳密にはその階級によって強度や耐久は変わるらしいが。
「エリアスが案内をします。お行きなさい」
伯母が少年にうなずいてみせると、少年もまたうなずきを返し、俺の手を取る。
あの部屋から救い出され、目覚めるまでに二日、問題なく体を動かせるようになるまで五日を要した。いまだ万全とは言い難いが、家令の始末をこれ以上先延ばしにしたくもない。
伯母に辞儀をし、少年の手を握り返して部屋を出る。高鳴る鼓動は緊張ゆえか、興奮か、あるいは別の何かだろうか。
家令は地下に捕らえられていると聞いていたが、少年は階下へと通じる階段を素通りして、廊下を進んでいく。
フォールクヴァングは恐ろしく広く複雑な構造をもつ宮殿ではあるが、生まれた時から居住しているだろう少年がまさか道を間違えることはないだろうと思いつつ、どこへ向かっているのかと問えば、先に寄りたい場所があるのだと言う。
それならばと手を引かれるままについて行き、やがて辿り着いたのは、来客用の寝室のひとつと思われる扉の前だった。
少年が扉をノックすると、すぐに室内から応えがあった。その声に聞き覚えがある。だがまさか、そんなはずは。
少年がドアノブを回す。開かれた扉の向こう、その室内にいたのは、当家にメイドとして仕えていた二人の少女だった。
「お姉さんたち、おまたせ」
俺の手を放し、するりと室内に入り込んだ少年が、二人のもとへと駆け寄っていく。寝台のふちに腰かけていた二人は、立ち上がって少年を迎え入れるが、その動きはどこか緩慢でぎこちない。
「本当にお連れくださったのですね」
「ありがとうございます、坊ちゃま」
二人の姿は俺の記憶にあるものよりもずいぶんと痩せ、面変わりしたように思える。長く伸ばされ結い上げられていたはずの豊かな髪も、首筋があらわになるほどに短くなり、着ているものも当家の仕着せではない。それでも、見間違いようもない。
だが当家の使用人たちはみな、半年前のあの夜から数日のうちに一人残らず惨殺されたはずではなかったか。家令もそのように言い、実際その半数は、俺の目の前で嬲り殺されていったのだから。
「リオネル、こっちにきて」
状況を理解できず戸口で立ちつくしていた俺は、少年に呼びかけられてようやく、室内に足を踏み入れる。
「オリアーヌ。フラヴィ」
名を呼べば、二人は揃って姿勢を正し、軽く膝を折る礼を返してくる。こちらを向いてはいるが、視線が合うことはない。通常、メイドなどの下級使用人が上階の住人を直視することは無礼とされているせいか。
「エリアス。この者たちは我がブランダルジャン家の使用人だ。それがなぜ、いつからここに」
もしやこの二人は、運よくあの惨劇を逃げのび、この宮殿に保護されていたのだろうか。
俺のそんな淡い期待は、少年の「リオネルと、おなじ日からだよ」という言葉に、あっさりと打ち砕かれた。
聞けば、当家の屋敷の一室でひどく衰弱した状態で発見された二人は、少年と青年によって救い出され、この宮殿で手厚い看護を受けていたという。
夜はずっとそばにいて安眠を守ってくれていた少年が、昼間はどこかへと行ってしまうことを、俺は密かに不満に思っていた。
伯母婿から俺の世話をするよう言いつけられたとはいえ、まだ八歳の子どもなのだ。昼間は母親のもとで甘えているのかもしれない。そんなふうに考えていた。
だが実際には、少年は昼のあいだはこの二人に付き添っていたのだ。知らなかったとはいえ、少年が俺のそばを離れることに不安を感じていた己を恥じる。
「お姉さんたちがね、リオネルにどうしてもおはなししたいことがあるって」
屋敷の人間を誰一人救えなかった無力な俺への罵倒だろうか。事実なのだから甘んじて受けねばなるまい。
「フラヴィ。オリアーヌ。発言を許す。話せ」
許可なく主人に話しかけることもまた、不敬にあたる。許可を与えればようやく、二人はうなずき合い、口を開いた。
「若……いえ、ご当主様。どうかわたくしたちに、御慈悲を賜りたく存じます」




