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慈悲深く残酷な神々の箱庭 序奏  作者: M
第1部 第2章 仏国の少年Eにまつわる挿話(近侍リオネル視点)
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第10話 銀白色の獅子 ⑨

 当面はこのフォールクヴァング宮殿に滞在し、体調の回復に専念することになったが、眠るごとに悪夢を見た。

 家令が生きて同じこの屋敷にいるという事実が、思いのほか精神的な負担になっているのかもしれない。


 悪夢にうなされるたび、少年に揺り起こされて目覚める。だいじょうぶだよと言いながら寄り添ってくる、その小さく温かな体を抱きしめれば、朝まで安眠することができた。

 十四にもなって眠るのに添い寝が必要だなどと、みっともないことこの上ない。けれど当の少年本人が嫌がりもせず、むしろ嬉しそうにそばにいてくれるのは救いだった。


 だが俺が起きている日中まで、少年はつねにそばにいたわけではなかった。

 近侍の青年を代わりに置いて、どこかへと去っていく。彼は伯母婿が当家に乗り込んできた際、俺を抱え上げてあの部屋から連れ出してくれた恩人のひとりだ。


 あの日、意識を失ったままこの屋敷に運び込まれた俺を、清拭して着がえさせ、寝台に寝かせたのは彼だと聞いた。どうりで目覚めたとき、体に不快を感じなかったわけだ。

 あの部屋でもこの屋敷でも、彼に体を見られたのかと思うと目もくらむような羞恥を覚える。とはいえ手をわずらわせたのは確かなので礼を言うと、青年は「慣れていますから」と柔らかに微笑む。


 少年はあまり手のかかる子どものようには見えなかったが、存外近侍には甘えて手を焼かせているのだろうか。そんなことを問うと、若君様はとてもしっかりしたお子様ですよ、と笑う。


「わたしはここに来る前、ある上層の家で男娼として囲われていたんです」


 もっとも、そう扱われていたのは初期の幼少のころで、主人は小さな男児をとくに好みましたから、成長の早かったわたしはすぐに飽きられましてね。もっぱら主人に使われたあとの子どもたちの介抱や世話をしていたんです。みな事後は自分の手で満足な後処理ができる状態ではありませんでしたから。


 青年が静かな声で淡々と語る。

 だからか。あのとき、俺の姿と寝台の状況を見ても、彼は別段うろたえたり驚いたりはしていなかった。


「おまえ、名は何という」


 青年がわずかに目を見開く。答えるまでに、少しの間があった。


「アランです。今は、ただの」


 今は。以前はあった家名を失ったのだろう。

 当主と後継者を討たれ地位を奪われた家の、次男以下の子息か。幼かったゆえに命までは取られなかったが、最下位の身分に落とされ、男娼として扱われた。そんなところだろう。

 上層ではよくある話だと聞いてはいたが、実際に当事者を()の当たりにすると、なんとも胸糞の悪い話だ。


「ここへは?」


 他家で囲われていた者が、どういう経緯でこの家に近侍として雇われる身になったのか。そう問えば、青年は自らの髪をつまみ、これのおかげですと言う。


「ルイスをご存じですか。ベース奏者(ベーシスト)の」


 意外な名前が出てきたが、うなずく。

 米国(アメリカ)音楽家(ミュージシャン)、ルイス・プレスコットのことだろう。二百年ほど前に流行(はや)ったHR/HMという音楽ジャンルを現代に復活させた立役者のひとりだ。

 彼自身は中層下位の出身だが、その才能を米国(アメリカ)の上層上位に見出(みいだ)され、複数の支援者(パトロン)を得て、世界に名を知らしめた男。

 その成功を(ねた)んだ者たちによって妻子ともども惨殺され、彼ら一家の殺害に加担した者たちが上層の支援者(パトロン)によって粛清されるという騒動が米国(アメリカ)を震撼させたのは、何年前のことだったか。


 彼の音楽に心酔していた従兄のイサイアスが、その素晴らしさを熱心に語っていたのを思い出す。選民意識の強い彼が、中層出身者の演奏をこれほど称賛するなんてと、珍しいような気持ちで聞いていたものだ。


「十五になったわたしは人身競売(オークション)にかけられました。その会場に、若君様を(ともな)われた旦那様がおいでで。若君様がわたしの髪をルイスにそっくりだとおっしゃって、旦那様にねだられたのです」


 当時まだ幼少だったあの少年も、イサイアスの薦めでルイスに傾倒していたらしい。

 だが彼は赤毛だったはずだ。青年の髪も赤みがかってはいるが、栗色というほうが近い。とてもそっくりとは思えないがとこぼすと、青年もうなずく。


「若君様が知る映像のルイスは、照明の関係でちょうどこんな色合いの髪に見えたんですよ」


 実際には違いますし旦那様もそう思われたようなのですが、若君様の駄々に根負けされ買い取っていただけてこちらに。若君様に気に入られて、近侍としてそばに置いていただくことになったのです。


 そう語る青年の穏やかな表情からして、ここに来てからの待遇はけっして悪くはなかったのだろう。

 だが伯母婿は、人身競売の場に幼少の子どもを伴っていたというのか。当家に押し入ってきた時もそうだが、子どもに見せるにはいささか刺激が強すぎる場面もあったのではないか。


「ご当主はなぜ当家にご子息を伴われたのか。危険もあっただろうに」


 思わず批判めいた言葉が口をついて出た。すると青年は、危険だからこそですよと肩をすくめる。


「旦那様はこの家のご当主であらせられます。本来であれば軽率に動かれていい身ではありません。今回は奥方様の要請で自らお出ましになられましたが」


 若君様は(さと)いお子様ですから、なにかあれば旦那様と狙撃手の射線上に立つことくらいはおできになります。

 青年がそんなことを平然と言う。それではまるで、あの子を盾にすると言っているようではないか。


「若君様は後継者ではありませんから。当主と後継者でない上層の人間は、彼らを守り戦うものです。今はまだ幼く戦力にするには足りませんが、盾くらいにはなりますよ」


 耳を疑う。まだ十歳にもなっていないような子どもを、本気で弾避けのために伴っていたというのか。


「上層では当主と後継者を失えばすべてを奪われます。一族の者がどれだけ生き残ったとしても、彼らを失っては意味がない。ゆえに当主と後継者は一族すべてを見捨てようとも生き延びる義務があり、一族の者は命をかけてでも彼らを守る。そういうものです」


 上位以下の上層の者たちがみなそのような覚悟を持っているのだとしたら、確かに伯母婿の言う通り、最上位(俺たち)は安穏と存続してきたと(そし)られても致し方ない。


 あの少年本人も、そのつもりで伯母婿について来たのだろうか。青年の口ぶりからするとそうなのだろう。

 家令をはじめ破落戸(ならずもの)たちが飛び道具の(たぐ)いを所持していなかったのは幸いだったが、そうでなかったらと思うとぞっとする。

 当家で少年の身になにも起きなかったことに、心底安堵した。

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