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慈悲深く残酷な神々の箱庭 序奏  作者: M
第1部 第2章 仏国の少年Eにまつわる挿話(近侍リオネル視点)
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第4話 銀白色の獅子 ③

 ひどく気分が悪い。


 意識は戻っていたが、目をあけるのさえ億劫(おっくう)に感じる。手も足も、全身が鉛のように重く、頭も(かすみ)がかかったようにはっきりとしない。

 精神的なものか、自分はこれほど脆弱だったかと思ったが、どうも違う。


「リオネル様。お目覚めですかな」


 家令の声。目をあけ声のしたほうを見やれば、家令が寝台の脇に立っていた。


「ディ……ディエ……」


 声すらまともに出ない。なんだ、これは。

 (いぶか)っていると、伸ばされた家令の手が俺の顔に触れてくる。頬をなぞるように撫でていくかさついた指先。振り払いたいが、手を持ち上げることさえできない。


「よく効いているようですな。けっこう、けっこう」


 家令がスーツの胸ポケットから取り出したものを、こちらに見せてくる。小型のガラス容器。ラベルもなにもないが、なにかのアンプルか。


「お休みのあいだに、こちらを投与させていただきました」


 俺に薬を? ではこのひどい倦怠感は、その影響なのか。

 だが上層階級の人間は元来の体質に加え、定期的に抗薬剤を摂取することで、薬や毒に対して高い耐性を持っている。


 特例的に認可されたいくつかの治療薬ならともかく、上層階級の人間に効く濃度の薬剤製造は、国家によって禁じられている。上層の者を守るためではない。そんなものは常人にとっては即死するような劇薬でしかないからだ。


「苦労しましたが、入手した甲斐があったというもの」


 家令が(わら)う。(しゃく)に障る、奇妙な声をあげて。

 なるほど。人の法に(そむ)いてでも、上層階級に害を()したい者というのはいつの世にもいるものだ。


 不愉快極まりない。そうまでして屈服させたいか、上層階級(俺たち)を。


「母……には、こん……」


 よもや母にまで、こんなものを投与してはいまいな。

 そう問いつめたいが、満足に言葉を紡ぐこともできない。もどかしさに苛立っていると、察したように家令がうなずく。


「ご安心を。お母君にはなにも。手当ても無事にすみましてな、多少ご不自由はありましょうが、別室にてお過ごしいただいております」


 家令の言葉にひとまず安堵する。が、母の心情を思えば、よしとするわけにもいかない。


 あの時、家令によって危害を加えられるよりも前。母の寝衣には、すでに血痕があった。母の身からにじんだものではなく、外から付着したと思われるそれ。おそらくあれは、父の血だ。

 父は母の目の前で、殺害されたのだろう。


 父は穏やかな気質の人だった。だが自ら好みはしないだけで、戦えない人ではなかった。けっして。

 そんな父がこの男ごときに討たれたのだとすれば、俺のときと同様に、母を盾にとられたのだろう。


 父と母は当家には珍しく、想い合って結ばれた仲だった。ふたりの仲睦(なかむつ)まじさは子どもの俺にも微笑ましく、羨ましく思えるものだった。


 あれだけ想い合った伴侶を目の前で(うしな)った心痛は如何(いか)ばかりか。すぐにも駆けつけ、慰めて差し上げなくてはと、そう思うのに。


 飽きもせずに俺の顔を撫でまわしていた家令が、すくい上げた髪に口付けを落とす。おぞましさのあまり、俺は気力を振り絞って動かした手で、家令の手を振り払う。


「触れ……るな!」


 そのまま体を返し、手をついて起き上がろうとするが、腕が()えて突っ伏してしまう。なんてざまだ。たかが薬を盛られたくらいで。


「く……」


 どうにか上体を起こそうとあがいていると、首の後ろに家令の手が添えられた。ぐっと力の込められたそれに、たやすく押さえ込まれてしまう。


「う……!」

「あれだけこの薬を投与されて、まだ動きなさるか。さすがは神に選定された王家の護剣、その末裔といったところか」


 ふざけたことを。こんな無様を晒して、護剣を名乗るなどとおこがましい。


 うつ伏せに押さえ込まれた体を、家令の手であお向けにされる。顔にかかった髪を払おうと、力の入らない手を持ち上げようとして、巻かれている包帯に気づいた。左の手。あのとき、焼きごてを押し付けられた手だ。


 俺の視線を追った家令が、そこへ手を伸ばす。無骨な手が、包帯の上から俺の手を撫でていく。


「あの焼き印は、我が一族の紋章でしてな。きれいに()せましてなにより」


 なんだと。

 俺の身に、この下衆の一族の焼き印を、だと。なんだそれは。なんという屈辱だ。それでは、まるで。


「手に入れた家畜(もの)には、きちんと所有の印をつけておかねばなりませぬからな」


 眩暈(めまい)がした。吐き気すらする。今日日(きょうび)、奴隷の身分に落ちた者でさえ、こんな扱いを受けはしない。


 途方もない怒りと悔しさで、まなじりに涙さえ浮かぶ。それを家令の指で(ぬぐ)われる。耐えがたい恥辱。もう、いっそ。


「もういっそ、死んでしまいたい、ですかな?」


 俺の心を、いや表情を読んでか、家令が言う。

 俺の涙を拭っていた指が頬をたどってくちびるへと当てられ、そのまま口内へと差し込まれる。(あご)に力が入らず、たやすく侵入を許してしまう。


「リオネル様。間違ってもご自害など、なされませぬよう。そんなことをすれば、すぐさまお母君が後を追うことになりましょう」


 お母君の生死は、御身にかかっているのですよ。

 耳もとで、家令がささやいてくる。その言葉に体が震えた。


 抜き取られた指と入れ替わるように、家令のくちびるが押し当てられ、ぬるついたものを押し込まれる。俺の口内を探るように動かされる不快なそれを、咬むことも吐き出すこともできない。


 節くれだった家令の指が、俺の寝衣の内側へと入り込み、じかに肌に触れてくる。異様な熱を持ち、汗ばんだそれに、悪寒が走る。


「い……、やめ……」


 のしかかってくる(ふと)った体。忌々しいそれを避けるために身じろぐことすら、満足にできない。


「リオネル様。いいやリオネル。ブランダルジャンの美しく高貴なる若き獅子よ。いずれ義父となるわたしが手ずから、そなたを飼い馴らしてやろう」

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