第3話 銀白色の獅子 ②
「なんだと?」
気でも触れたのか、この男。こんなことをしでかしている時点で、正気の沙汰ではないが。
家令ごとき下賤の男の娘と、この俺が婚姻? ありえない。
我がブランダルジャン家の当主や後継者は、代々仏国王家から妻を娶ると定められている。始祖の代から千年、違えられたことのない慣わしだ。
父もそれに倣って王女を妻にした。もっとも父母の仲は婚約以前から相思相愛だったらしいが。
俺も二年後、準成人を迎えるころには相手が決まることになっている。時の国王陛下による決定だ。それを覆そうというのか。
「馬鹿も休み休み言え。不可能だ」
銀髪を持って生まれた孫を傀儡に、この家を乗っ取ろうという算段なのだろう。だが五家の嫡子である俺が庶民の女と婚姻を結ぶなんてことを、王家が許すはずもない。
「それがリオネル様。可能なのですよ。過去にもちゃあんと実例がある。まぁわずか数例ではありますがな」
家令によれば遠い過去、歴代の当家当主の中に、王族との婚約が成る以前に想い合った娘との婚姻を望んだ者がいたらしい。
そこでその娘を一度王族の養女にすることで、表面上の体裁を整え成婚に至ったというのだ。
馬鹿馬鹿しい。そんな話は聞いたこともない。上層最上位との結婚を夢見た愚かな女の作り話が、あたかも事実であったかのように語られているだけではないのか。
「急な病でお父君を喪ったリオネル様は、ショックのあまりひどくふさぎ込んでしまわれる。傷心の御身を気遣い、なにくれとなくお世話をし、献身的にお支え申し上げたわたしの娘の健気さに、リオネル様はすっかり絆されておしまいになる。喪が明ける一年後には、リオネル様は自ら国王陛下に我が娘との婚姻を願い出ると、そういうシナリオでございます」
陛下は甥であるリオネル様のたっての願いを、無下にはなさいますまい。
さも素晴らしい発案であるかのように、家令が滔々と語る。じつにくだらない、安っぽい筋書きだ。
そんなことを願い出ようものなら、まず俺の錯乱を疑われようというものだ。
「黙れ。断る。さっさとその薄汚い手を母上から離せ」
元とはいえ母は王族の出身であり、現国王陛下の妹なのだ。それを害そうなどと、王家に対する謀反に等しい。
この男に、そこまでの覚悟があるはずもない。
「なるほど。たんなる脅しと思っておられるのですな?」
母の喉もとに宛てがわれていた短剣が、胸部へと突き付けられる。まさか。
家令の口もとが、笑みの形にゆがむ。
「よせ!」
短剣の刃が進められる。母の寝衣が朱に染まっていく。猿轡でふさがれた母の口から、うめき声が漏れた。
「母上!」
「ご安心を。まだ心臓には至っておりません。けれどこの刃が進むか、抜かれるかは、リオネル様次第」
項垂れていた母がわずかに顔を上げる。血の気を失い、蒼白となった顔。だがその美しい藍玉の瞳は、強い光を宿している。
母は気高い人だ。こんな俗物に屈するくらいなら死を選ぶのだろう。
「リオネル様が剣を捨て投降なさるなら、すぐにもお母君を手当てして差し上げましょう。さぁ、いかがか」
母がゆっくりとかぶりを振る。自分もろともこの下衆を斬り捨てろという、母の心の声が聞こえるようだ。
けれど当家の役目は、仏国王家の守護。俺の守るべき対象に、この母も含まれている。そして父亡き今、俺はブランダルジャン家の当主として、課せられた責務を果たさねばならない。
「必ず母上を手当てすると誓え」
「えぇ、えぇ、もちろん」
落胆を浮かべる母の瞳から、目をそらす。
今は従うフリをするだけだ。隙をついてこの男も、この男に追従した者たちも、娘も殺してやる。一人残らず。
身をかがめ、床に置いた剣を、家令の足もとへとすべらせる。近くにいた男に剣を拾わせ、家令がふたたびこちらを見る。
「両手を頭の後ろで組み、そこへ両膝をおつきなさい」
言い含めるようにゆっくりと紡がれる家令の言葉。膝をつけと言うか。この俺に。
ギリと奥歯を噛みしめる。
「好きなだけ逡巡なさるといい。が、あまり時をかけられますと、お母君の命の保証はいたしかねる。よろしいか」
母の寝衣の胸もとを染める朱は、じわじわと広がっている。心臓を貫かれずとも、失血死もありえなくない。
屈辱に震える手を頭の後ろへとやり、床に膝をつく。家令を睨み上げれば、満足げにニヤついている顔が目に入った。
母から短剣を引き抜き、布を押し当てた家令が、その身を男たちへと託す。
「奥方様の手当てを。急ぐのだ。だいじな人質様だ、死なせてはならん」
すでに気を失っているのか、ぐったりとした様子の母が男たちに抱え上げられ、連れていかれる。
「さてさて。リオネル様」
こちらへと歩み寄ってきた家令が、目の前で足を止める。片膝をつき、覗き込んでくるその顔を睨みつけてやれば、家令はひっひっと奇妙な笑い声をあげて、おもむろに俺の顎を掴んだ。
「この日この時をどれほど待ち望んだことか。世に希少な銀白色の髪。仏国王家の藍玉の瞳。至高のふたつを備えた麗しき御身を我が手にできるこの瞬間を」
家令が手をあげると、金属のバケツを手にした男が駆け寄ってくる。バケツの中には、赤く焼けた大量の石。そこに差し込まれた金属の棒を、家令が引き抜く。焼きごてだ。
「押さえろ。左手の、そうだな手のひらにしよう」
身構える暇もなかった。数人の男たちに、一斉に取り押さえられる。うつ伏せにされ、頭、首、肩、腕、背中、足と、あらゆる箇所を体重をかけて押さえ込まれてしまう。
せめてもの抵抗に、左手を握り込む。だがそれも、指を一本、また一本とほどかれ、力ずくで開かれていく。
「やめろ!」
直後に、途方もない熱。そして痛み。続いて、己の皮と肉が焼ける臭い。自分が叫び声をあげたかどうかすら、わからない。
薄れていく意識の中、家令の声が聞こえた。
「銀白色の獅子。そなたはもう、わたしのものだ」




