43 〈ヴァルテンベルク〉降下作戦
十一月半ば。
舞踏会から二日が過ぎた惑星ノイエルデでは、雪がちらついていた。
建設途中の建物にも、資材の積まれた道にも、白いものが舞い降りる。まだ地面を覆うほどではなかったが、街を渡る風は冷たく、外で働く者たちは襟元を合わせて空を見上げた。
その空の、はるか上。
トカゲ人のミー・ディは、〈ヴァルテンベルク〉の窓辺に立っていた。
足元から彼方へ広がるように、青い惑星が見える。
白い雲が、その表面をゆっくりと流れていた。あまりに大きく、美しく、しばらく眺めていると、自分がどこに立っているのかわからなくなる。
あの中に、故郷がある。
歩き、眠り、生きてきた大地が、青く輝く丸い姿となって、いま眼下に浮かんでいる。
「常春、そして鋼に輝く神の国……」
ミー・ディは、背中の背嚢をそっと支えた。
巨大な卵の重みが、いつものようにそこにある。
それだけが、見慣れた暮らしから続いている感触だった。
「神の視座とは、こういうものなのでしょうか。生きているうちに、こんな経験が……」
艦内は暖かい。
外の季節がどうあろうと、ここでは凍えることもなく、明るい通路を歩いていける。鋼でできたこの国の人々は、空の上に暮らし、星を見下ろしているのだ。
「帰郷したら、皆に伝えなければ」
何から話せばよいだろう。
故郷の空を指さして、あそこにいたのだと教えても、すぐには信じてもらえないかもしれない。
ミー・ディが考えていると、背後を人々が足早に通り過ぎた。
ひとりだけではない。
角の向こうからも、別の通路からも、仕事を抱えた者たちが行き交っている。
「そっちの固定は終わったか!?」
「こっちのブロック、全然終わってません!」
ミー・ディは首を傾げた。
「最近、神の皆さんは忙しそうですね」
神の国は、ただいま地上降下準備の真っ最中だった。
─────
〈ヴァルテンベルク〉は全長三キロメートル。
その重量は、おおよそ十億トンを超える。
通常の大型艦と同じつもりで扱えるものではなかった。
街を抱え、人々の生活を載せ、巨大な船体そのものがひとつの都市として成り立っている。それを軌道上から地表へ運ぶのだ。
予定されているのは、エレンシュタット近海への着水だった。
冬を越したあとは、洋上の開発支援都市として、惑星各地を移動。地上に固定してしまうよりも、今後の開拓へ活用できる算段である。
ただし、それも無事に海へ降りてこそだった。
降下中に制御を失えば、艦は壊滅する。
地上のエレンシュタットも無事では済まない。
着水だって慎重に行わなければ大津波を引き起こす恐れもある。
最悪の場合、半径数十キロにわたって壊滅的な被害が及ぶ。
失敗しました、と報告する場所すら残らないかもしれない。
帝国史上、例のない大型艦の着陸だった。
支援に回る艦隊も総出である。
軽空母部隊が展開し、十隻を超える駆逐艦が降下経路の周辺へ配置されていた。ヴォルフ艦隊も加わり、護衛と支援の陣形が宙に広がる。
艦が通る軌道を確保する者。
空域を守る者。
地上で、その到着を支える者。
ノイエルデ側の戦力をほぼ総動員して、たった一隻を降ろそうとしていた。
成功して当然。
けれど、その当然のために、誰もが持ち場で息を詰めていた。
─────
艦橋では、エレオノーラが司令官席に着いていた。
ティアラが照明を受け、小さく輝く。
白と赤を基調に金をあしらった正装のドレスは、ヴァルテンベルクの色そのものだった。広がる裾を座席に収め、彼女は正面を見据えている。
一昨日は、この艦で踊っていた。
今日は、この艦ごと地表へ降りる。
同じ船に乗っているだけなのに、胸の高鳴り方がまるで違った。
「各部署、降下準備を確認」
シュミットの声に、報告が重なる。
艦内各所から届く確認事項が、ひとつずつ揃っていく。通信を担当する乗員が顔を上げ、ヴァルターが短く頷いた。
副艦長の声が、全艦へ流れた。
「これより本艦は、ノイエルデ地表への降下を開始します」
艦橋に、ひときわ深い緊張が走った。
いよいよだった。
エレオノーラは背筋を伸ばす。
艦内へ。周囲に展開する支援艦隊へ。
自分の声を待つ人々へ向けて、口を開いた。
「降下は無事成功して“当たり前”ですわ」
声は、思っていたよりもまっすぐに出た。
「ですが──その“当たり前”は、一人では成し遂げられません」
目の前には、艦を動かす人々がいる。
その向こうには、いまは見えない大勢の者たちがいる。
地上で冬を迎える人々も、艦内で暮らす人々も、この作戦の先にある生活を待っていた。
「艦を動かす方。空を守る方。地上で待つ方」
エレオノーラは、ゆっくりと息を吸った。
「皆様のお力を、お貸しくださいまし」
言い終えると、艦橋を行き交う声が戻ってきた。
短く、確かに。
自分ひとりでは動かせないものを、それぞれの場所にいる人々が動かそうとしている。
エレオノーラは艦長へ顔を向けた。
「艦長」
ヴァルターが頷く。
いつもの気安い声から余分な響きが消えていた。
「〈ヴァルテンベルク〉降下作戦、開始!」
─────
低い駆動音が、艦の各所で立ち上がった。
警報音とともに巨大な防御シャッターが降りていく。
外の光が、上から順に覆われた。青い惑星も、星々も、周囲を囲む艦隊も、厚い装甲の向こうへ隠れていった。
艦橋の窓も閉ざされる。
最後の隙間が消えると、室内を照らすのは照明と計器の光だけになった。
モニターの表示が切り替わる。
外の景色は映らない。魔力センサーの捉える情報と、各部の計器が示す数値。それらだけが、いま艦の外で何が起きているかを伝えてくる。
『降下開始まで、五分』
艦内放送が告げた。
〈ヴァルテンベルク〉のスラスターに、普段よりも強い光が灯る。
接続されていたヴォルフ宇宙基地との間で、ケーブルが次々と切り離されていった。長く渡されていたラダーが引き込まれ、ふたつの巨大構造物を結んでいたものが、ひとつずつ離れていく。
─────
「降下三分前!」
シュミットの声が艦内に響く。
〈ヴァルテンベルク〉の格納庫では、騎士機が出撃を待っていた。
騎士たちはすでにコクピットへ収まり、命令が下れば即座に出られる態勢を取っている。
ディートリヒも、そのひとりだった。
手元の確認を終え、座席へ背をつける。
機体の外から伝わる作動音を聞きながら、彼は一度、目を閉じた。
エレオノーラは艦橋にいる。
自分はここにいる。
いま果たすべき役割は、彼女の隣に立つことではなかった。
いつでも出られるようにしておくこと。
必要になった瞬間に、動けること。
(無事に、降りてくれ)
短く祈り、目を開ける。
両手を、操縦のための位置へ戻した。
─────
ヴァルテンベルク公爵夫妻は座乗艦のブリッジから手を取り合い、〈ヴァルテンベルク〉を見送っていた。
軽空母部隊では、配置の確認を終えた乗員たちが、巨大な艦影へ敬礼を送っていた。
その向こうで、駆逐艦群も所定の位置を守っている。
艦橋の軍人が背筋を正し、〈ヴァルテンベルク〉へ手を上げる。敬礼を終えると、それぞれの計器へ向き直った。
見送るだけではない。
これから、この艦の降下を支えなければならない。
ヴォルフ艦隊も配置についた。
各艦からの報告が重なり、宙に広がった大きな陣形が整う。
中心にいる巨艦の進路を、誰もが見守っていた。
「降下一分前!」
─────
艦橋で、エレオノーラは座席の肘掛けへ手を置いた。
シュミットのカウントダウンが十を切っていた。
装甲の向こうにあるはずの景色を、もう目で確かめることはできない。
正面に並ぶ表示を見つめる。
「五」
もうあとは身を任せるだけだ。
「四」
エレオノーラは、顎を引いた。
「三」
靴底で、床の感触を確かめる。
「二」
肘掛けに添えた指へ、少し力が入った。
「一」
エレオノーラは胸を張った。一番堂々としていなければならないのは、自分だ。
「降下開始!」
〈ヴァルテンベルク〉が、降下を開始した。
あまりにも巨大な船体が、ゆっくりとノイエルデへ向かって沈んでいく。
青白い噴射光が闇に長く伸びた。
─────
エレオノーラの身体が、座席へ押しつけられた。
先ほどまでとは違う重さが、肩から胸へかかる。
息を吸うのに、少し力が要った。
続いて、床から振動が上がってきた。
低い唸りだったものが、細かな震えを伴い始める。ドレスの裾が揺れ、肘掛けを握る指へ、絶え間なく振動が伝わった。
船体の奥で、重い衝撃音が響く。
エレオノーラは反射的に顔を上げかけ、正面へ視線を戻した。
重力魔法によって完全に制御された現代艦をもってしても、衝撃は逃がしきれないようだった。
艦橋では報告が続いている。
ヴァルターは指示を出し、シュミットが各部署の応答を確かめる。誰も席を離れず、自分の前にある仕事を続けていた。
だから、エレオノーラも背筋を保った。
ティアラを戴く頭を上げ、領主として、そこに座る。
「これは成功して当然……」
ごく小さな声が、唇から漏れた。
十数億トン。
いま自分を載せているものの重さを、なぜか急にはっきりと思い出した。
思い出したくなかった。
できれば今だけ、頭の隅へ寄せておきたかった。
帝国史において、この重量と質量の人工物を無事に着陸させた記録はない。
振動が強くなる。
また、船体のどこかで衝撃音が鳴った。
「成功して当然ですわ……」
肘掛けを握り込む。
当たり前は、一人では成し遂げられない。
先ほど、自分でそう言った。
そのとおりだった。
艦を動かす人々がいる。周囲を守る人々がいる。地上で待つ人々がいる。
あとは、その全員を信じる。
信じて、ここに座っている。
エレオノーラは、もう一度息を吸った。
「成功して当然……!」
堂々と前を向いたまま、公爵令嬢は祈っていた。
そろそろ自己暗示にも、降下支援へ参加していただきたかった。
4章クライマックスなので最近真面目ですけど4章終わったらまた
通常通りギャグに戻ります。
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