42 星海のワルツ
「お嬢様」
呼びかけられて、エレオノーラは振り向いた。
ディートリヒが立っていた。
礼装に整えられた姿は、見慣れた制服のときとも、騎士機から降りてきたときとも違う。灰金の髪が灯りを受け、顔を動かすたびに柔らかな光沢を返した。
彼はエレオノーラの前で、正式な礼をした。
それから、手を差し出す。
「お嬢様。よろしければ、私と一曲踊っていただけませんか」
「まあ、ディートリヒ!」
自分から誘いに来てくれた。
驚きとともに、嬉しさがぱっと胸へ広がった。
「ええ、喜んで!」
返事はすぐに出た。
差し出された手へ、自分の手を重ねる。
ディートリヒの表情が明るくなった。
その顔を見たら、エレオノーラまで、もう一度笑ってしまった。
二人で大広間の中央へ向かう。
並んで歩くだけなのに、妙に足取りが軽い。
曲が始まる前に向き合うと、ディートリヒが静かに姿勢を整えた。握った手とは反対の手が、礼法に沿った位置へ添えられる。
近い。
思っていたより、ずっと近い。
(推しとダンスですのーー!?)
─────
音楽が始まった。
エレオノーラの頭の中では、すでに別の何かが盛大に鳴り響いていた。
けれど、身体はきちんと最初の一歩を踏み出す。
幼い頃から叩き込まれた教育とは、ありがたいものだった。内心で絶叫していても、公爵令嬢はワルツを踊れる。
ディートリヒの導きに合わせて、床の上を滑る。
大きな手がしっかりと支えてくれる。
歩幅が合う。
旋回すると、ドレスの裾がふわりと広がった。
幾重にも重なった布地をシャンデリアの光が走り、星の粒を散らしたように煌めく。ディートリヒの灰青の瞳にも、色を変える光が一瞬揺れた。
手を取る角度が変わるたび、二人の間で、細かなプリズムが舞うようだった。
「……きれいです」
ディートリヒが、低い声で言った。
「え?」
「そのドレスも。お嬢様も」
エレオノーラの足は、止まらなかった。
止まらなかったが、頭の中の自分は両手で顔を覆った。
(声! 距離! そのお顔で!)
目の前で笑っている。
しかも、自分を見ている。
踊りながら褒めてくる。
これはもう、広告でも、遠くからの観戦でもなかった。
「ありがとう……ございますわ」
どうにか答えると、ディートリヒが嬉しそうに笑った。
褒めた側のほうまで、こんなに幸せそうな顔をするのだから、困る。
目を逸らしたくない。
ずっと見ていたくなる。
─────
「あの青年は、どちらのご令息だ?」
広間の端で、ひとりの貴族が声を落とした。
「さあ……。お嬢様の補佐を務めている空騎士だと伺いましたが」
「空騎士?」
問い返した男の視線が、踊る二人を追う。
エレオノーラの華やかさは知っていた。
しかし、その隣に立って見劣りしない美青年については、心当たりがなかった。
灰金の髪に、すらりとした体躯。
高貴な血筋だろうか、表情や仕草に品がある。
公爵令嬢を支える手つきには慎重さがあるが、萎縮してはいない。むしろ一度笑みを交わしてからは、音楽に合わせる動きまで慣れたものだ。
「これほどの青年なら、どこかでお見かけしていそうなものですが」
「お名前は?」
囁きが、別の囁きを呼ぶ。
二人は、その視線に気づいていなかった。
眩しいほどの華やかさをまとった二人が、いまはただ、一緒に踊れることを喜んでいる。
それが、いっそう目を引いた。
少し離れたところで、アクセルがグラスを持ったまま笑った。
「おうおう。姫さん、えらく楽しそうじゃねえか」
隣にいたユージン王族のシャオが、細い目をさらに和らげる。
「ほんまやねぇ。よう笑うてはる」
「あいつのほうもな」
「そら、あのお顔されたら嬉しいやろ」
シャオはそう言って、踊る二人を眺めた。
アクセルもグラスを傾けただけで、それ以上は何も言わなかった。
─────
旋回するたびに、広間の灯りが流れていく。
人々の姿も、回廊も、金色に縁取られた柱も。
けれど、ディートリヒの顔だけは目の前にあった。
「踊りにくくありませんか?」
「いいえ。まったく! とっても──」
楽しい、と続けようとして、エレオノーラは笑ってしまった。
楽しいどころではなかった。
(ドキドキですわーー!!)
心臓が、今までにないほど激しく動いている。
耳元で脈打つ音が聞こえる。
先ほどまで招待客へ向けていた笑顔とは、もう違っている。淑女らしい笑みに整えようと思う前に笑ってしまうし、相手が笑えば、また嬉しくなる。
ディートリヒの手にも、少しだけ力がこもった。
彼も同じように、踊りながら幾度も彼女を見つめていた。
踏み出す足を間違えないこと。
彼女をきれいに導くこと。
覚えてきたことは、いくつもある。
しかし、それらを思い出す合間に、どうしてもひとつの喜びが割り込んでくる。
エレオノーラが、自分と踊っている。
誘って、手を取ってもらえた。
そのうえ、こんなにも楽しそうにしている。
「私も、楽しいです」
まだ彼女が口にしていなかった言葉を、ディートリヒが言った。
エレオノーラは目を丸くし、それから大きく笑った。
「ええ。わたくしも!」
また一度、二人で回る。
ドレスが光を掬い上げた。
今夜の舞踏会で誰と挨拶し、何を話すべきだったか。
そんなことは、すっかり頭から抜けていた。
(これ、本当に乙女ゲームでしたのね!!)
(開拓シミュレーションパートばかりですっかり忘れてましたわ!)
目の前の推しが、こちらを見て微笑む。
(こんなのガチ恋してしまいますわーー!!)
─────
その頃、帝国皇城では、皇帝が談話室で家族と穏やかな時間を過ごしていた。
食後の茶は温かく、砂糖たっぷりのクッキーをつまむ。
差し迫った用件がなければ、もう少しこのままでいたい。そう思っていたところへ、報告が入った。
「ノイエルデに、ヴァルテンベルク派の貴族たちが集まっております」
皇帝はカップを置いた。
「……ほう」
「寄子貴族に加え、陛下のご親戚筋も」
タブレット端末を渡される。画面には、ずらりと並ぶ多数の艦艇、貴族の所有する高級船舶。
「…………」
(ふぁーーーー!?)
表情は変わらなかった。
変えないだけの年月を、皇帝は玉座とともに過ごしていた。
内心は、そうもいかなかった。
(ヴァルテンベルク派が、あの辺境にこんなに集まっておるじゃと!?)
「巨大艦〈ヴァルテンベルク〉艦内にて、大規模な派閥向けの舞踏会が催されているとのことです」
「舞踏会か……」
声は落ち着いていた。
皇帝は、静かに続きを待つ。
「はい、新任の艦隊司令官が着任しております。軽空母二隻を中心に、巡洋艦などを伴う機動部隊と貴族の船舶が大量に集結しております」
カップの取っ手へ伸びかけた指が止まった。
(しかも艦隊まで増強しとるではないか!)
貴族が集まる。
有力な一派が集まる。
新任司令官の着任祝い。
当人たちは舞踏会を楽しんでいるのかもしれない。
しかし、外から見たときに、踊っているだけだと素直に受け取ってもらえる船の顔ぶれではなかった。
(こ、こんなに集めたらリュミエールが警戒するじゃろがい!!)
寄子貴族はともかく、皇帝の親戚まで参加している。
皇室も承知のうえでの軍事的な集結だと受け取られれば、その説明は自分のところへ来る。
来るに決まっている。
皇帝はゆっくりと息を吐いた。
「……そうか」
報告役が一礼する。
皇帝は頷いた。
もう少し何か言うべきかもしれないと思ったが、いま口を開くと、余計なことまで口走りそうだった。
同じ席にいた皇太子エアハルトも、黙ってはいられない心境だった。
ノイエルデに、ヴァルテンベルク軍が集結している。
有力貴族まで一堂に会している。
自分が辺境へ送った、エレオノーラのもとへ。
(エレオノーラ、何を企んでいる!?)
父は静かに報告を聞いていた。
その隣で、エアハルトは膝の上の手を握った。
ただの舞踏会なのか。
ならば、なぜこれほどの人と戦力を集める必要がある。
華やかな催しという言葉の裏に、別の意図があるのではないか。
招待客も、艦隊も、彼には彼女の力を示すためのものに思えた。
軍拡、反乱、革命。
(俺への報復を考えているのか!?)
その頃、遠いノイエルデでは、エレオノーラがもう一度、幸福そうに笑っていた。
ディートリヒの手を取り、星海のワルツに身を任せながら。
玉京が中国モチーフだとすると、リュミエールはフランスモチーフです。因縁の相手ですね。
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