33 冬が迫ってますわよ!
「なぁにぃ!? 〈ヴァルテンベルク〉を下ろしたいだぁ!?」
惑星ノイエルデ軌道上。
巨大艦〈ヴァルテンベルク〉の艦橋に、ヴァルター艦長の声が響き渡った。
周囲の乗員が一瞬だけ顔を向け、すぐにそれぞれの仕事へ戻る。
報告を持ってきたブロームは、声量にも表情にも変化をつけずに続けた。
「どうやら越冬のために、新任の執政官が提案されたようで」
「はぁー、マジかよ……」
〈ヴァルテンベルク〉艦長ヴァルターは額を押さえた。
地上側で冬支度が難航していることは知っている。
「これをか。これを、下へ?」
「はい」
ブロームの返事は短い。
はい、で済ませてよい大きさの艦ではない。
「しかし、そうなったら……」
副艦長のシュミットが、窓の外へ目を向けた。
眼下には、ノイエルデの大地と雲が広がっている。
半年前、エレオノーラはこの船を降ろさないと決断した。
あの地表で、これから大勢の人間が冬を迎える。
一方で、この軌道上にも、ここを離れては果たせなくなる役割があった。
「この星の防衛や通信は……」
「そうだよ。それをどうするんだって話だ」
ヴァルターは額から手を離した。
〈ヴァルテンベルク〉は、人を大勢泊められる便利な宿ではない。
「ヴォルフ宇宙基地は民間製の、一、二世代前のインフラ設備しか備わってません。通信機材も古いですし、基地や港としては大きさは十分すぎるほどではありますが……」
「〈ヴァルテンベルク〉に使われている技術や指揮能力には足元にも及びません。大幅な防衛力低下を招きます」
軍事顧問ブロームと副艦長シュミットが補足する。
艦がここにいるからこそ担える仕事がある。
下へ降ろして住民を収容しました、冬を越せました、めでたしめでたし、と終われる話ではなかった。
「まぁー、お嬢様がサインしたら俺らは従うだけだが……お前らちゃんと説得しろよぉ」
「でしたら艦長も同席を」
ブロームが艦長に顔を向ける。
「はぁー!? 俺は忙しいんだよ!」
顔を上げたヴァルターへ、シュミットが頷く。
「賛成します」
「お前はどっちの味方だ!!」
「領主の決裁ですが」
味方を尋ねたのに、決裁権の所在を返された。
「ああ、くそ!!」
ヴァルターは卓上の資料を引き寄せた。
「わかったよ! 出りゃいいんだろ、出りゃ!」
─────
その数時間前。
「というわけで、目下の差し迫った問題は冬支度ですの」
卓を囲む面々へ、エレオノーラは顔を上げた。
「まずは皆様に、無事に冬を越していただかなければなりませんわ」
「なるほどです」
新たに行政を担当することになったベネディクトが、手元の資料から視線を上げる。
「お嬢様、この〈ヴァルテンベルク〉、ほかにはどのような機能が?」
「〈ヴァルテンベルク〉ですの?」
「ええ」
冬支度の話から、艦の機能へ。
少々意外な問いではあったが、冬を越すために頼りにしているもののひとつが、あの巨大艦なのだから無関係ではない。
「わたくしもすべて把握しているわけではなく、お父様がわたくしにつけてくださった支援艦ですわ」
「いや、支援艦って規模じゃないでしょう」
返事が速かった。
「うちの奥さんや娘も、家が決まるまでまだ〈ヴァルテンベルク〉に滞在していますが……あれ、船の中に住んでるというより、街に住んでるでしょう」
「……まあ、街のようなものですわね」
「ですよねえ」
ベネディクトは頷いた。
「セバスティアン。艦の資料はございます?」
「はい。こちらが本艦のデータと概要です」
「どーも」
差し出された資料を受け取り、ベネディクトは内容を確認し始めた。
頁を送り、ひとつ前へ戻り、別の項目と見比べる。
その間に、エレオノーラは冬支度の話を続けた。
「やはりもっと艦内で食糧を作らせたり、家の備えがない者は上にあげたり……」
「地上で暮らせる方には、その備えを。難しい方には、上で過ごしていただく準備を。どちらにしても、早めに確認が必要ですわね」
言いながら腕を組み目を伏せる。
「いや、お嬢様」
「はい?」
顔を向けると、ベネディクトは艦の資料を卓上に置いた。
そして、机の端にある荷物でも移すような調子で言った。
「下ろしちゃいましょう。〈ヴァルテンベルク〉を」
「えっ」
─────
「反対です」
通信会議が始まって間もなく、ブロームが言った。
領府の会議室に映る艦側の面々は、ブローム、ヴァルター艦長、副艦長シュミット、それに情報将校。
対する地上側には、エレオノーラとベネディクト、ネーベル、イルゼ、セバスティアンが席を並べていた。
挨拶を終え、ベネディクトが着陸案の趣旨を説明し、ブロームが反対した。
「本艦は現在、軌道上における防衛と通信の要を担っています。地表へ降ろせば、同じ運用はできなくなる」
ブロームは艦の配置を示す資料を提示した。
「地上の居住設備として活用できることと、軌道上から失ってよいことは別です。代わりを用意せず降ろすわけにはいきません」
「ですが、地上の整備が冬に間に合わない場所もありますので」
栗毛の美丈夫ベネディクトが応じる。
「この船には、すでに人が生活できる設備があります。使えるものを使わず、地上で一から揃えるのを待っていては、間に合わないでしょう」
「必要な住民を艦へ移せばよい」
「上へ移す間も、地上での生活は続きます。必要な人と物を、すべて行き来させることになりますが」
「そのために惑星全体の防衛を手放すと?」
「手放してよいとは申しておりません。今ある設備を、冬を越すために活用すべきだと申し上げております」
どちらも声を荒らげてはいない。
それなのに、会議室の空気は早くも硬くなっていた。
冬を越す住まいが必要だ。
星を守る備えも必要だ。
どちらか片方だけでよいなどと、言えるはずもなかった。
画面の中で、ヴァルターがわずかに椅子へ背を預ける。
(ブロームが言ったから、もう言うことねえな……)
防衛。通信。軌道上から艦がいなくなる影響。
自分が説明しようと思っていたことは、今のところ、この黒髪ちょび髭の軍事顧問がすべて説明していた。
同席しろと言われたから来た。
来たが、もう言われた。やることはない。
ヴァルターが黙っている間にも、議論は進む。
「ですが、この船はそもそも移民船、または避難船として作られたんですよね?」
ベネディクトが、艦の資料を開いた。
「……え?」
エレオノーラは顔を向けた。
巨大な空母であり、街でもあり、大勢が暮らせる艦であることは知っている。
しかし、移民船または避難船とは初耳である。
「いつか来る超長期航海に備え、何年も暮らせる生態系ごと抱えた、移動都市型空母」
ベネディクトは資料の記述を読み上げる。
「そうありますが、今こそその役割を果たすべきでは?」
エレオノーラも、同じ項目へ目を落とした。
住居だけを詰め込んだ船ではなく、その生活を支える環境まで抱えて移動する都市。なんのために公爵家がそれを建造したのか、深く考えたことなどなかった。
「地上では、住まいも生活設備も足りていません。〈ヴァルテンベルク〉には、それがある」
ベネディクトが続ける。
「ならば、住民の暮らす場所へ持ってくる。そういう使い方も、検討すべきでしょう」
「一度着陸させた本艦を、どうやって軌道へ戻すつもりです」
ブロームの問いに、エレオノーラは顔を上げた。
「着陸できれば、それで済む話ではありません」
ブロームの声が、会議室へ届く。
「承知しております。ですが、艦内の設備を使えば──」
「それで二度と上がれなくなると話している」
言葉が、ぴたりと止まった。
「しかし、何万人もの住民が冬を迎えるわけでして」
「その住民を誰が守る?」
「その住民を凍死させるわけにもいかないでしょう」
ベネディクトの口調から、先ほどまでの軽さが消えていた。
ブロームも引かない。
ふたりの間に置かれているのは、同じ星に暮らす人々だった。
その人々をどう守るかで、結論が正反対になっている。
エレオノーラが口を開きかけた、そのとき。
「ひとつよろしいですか」
イルゼが手を上げた。
「イルゼ?」
「着陸にかかる費用は、どこの予算から出すんです?」
静かになった。
それまで隙間なく行き交っていた言葉が、見事に途切れた。
イルゼは白髪の頭をわずかに傾け、目の前の資料を一枚めくる。
「そもそも着陸後の維持費もございますでしょう。まず見積もりを出していただかないとね」
ベネディクトが自分の資料を見た。
ブロームも黙っている。
「いや、だから下ろしたくねえって言ってんだろ!」
ここで初めて、ヴァルターが会議へ勢いよく参加した。
イルゼは画面へ顔を向ける。
「では、地上の住民を艦に上げる費用の見積もりもお願いします」
「俺に言うなよ!!」
「輸送には艦側のご協力が必要になりますよ!」
「そりゃそうだが!」
発言しなければよかった。
ヴァルターの顔に、そう書いてあった。
エレオノーラは、そっと自分の資料を見下ろした。
上げてもお金。
下ろしてもお金。
エレオノーラは、先ほどまで確認していた行政資料へ視線を移した。
「失礼します」
艦側の情報将校が発言を求めた。
「着陸に伴う通信網への影響についても、検証が必要です」
新たな資料が表示される。
「現在、本艦が軌道上から担っている通信と監視の役割は、着陸後、同じ形では維持できません。代替手段を確認しないまま着陸することはできないと考えます」
「そのとおりだ」
ブロームが頷いた。
「住居としての利点だけで決められる話ではない」
「では、代替手段を検討する必要がございますね」
セバスティアンが確認を取る。
「……はい」
情報将校が頷く。
「防衛についても同様です。現在、本艦が担っている役割を整理し、地上へ降ろした場合に何が不足するのか、確認する必要があるかと存じます」
セバスティアンの手元で、議事録が増えていく。
ヴァルターは、その様子を見ていた。
降ろせない理由を説明したはずだった。
それがいつの間にか、降ろせるかどうか調べるための仕事に変わっている。
(嫌な流れだな、おい)
─────
ヴァルターが口元をへの字に曲げたところへ、シュミットの声が続いた。
「しかし、本艦を地上へ降ろす計画自体は、以前から存在していました」
「えっ?」
エレオノーラが画面を見る。
「おい」
ヴァルターも隣を見る。
シュミットは、両方の視線を受けながら説明を続けた。
「お嬢様が指揮を執れなくなった場合の、旧準備計画です。本艦を地上へ降ろし、開拓都市として使用することが想定されていました」
エレオノーラは、扇を動かす指を止めた。
自分が動けなくなった場合。
その言葉には、一瞬、胸の奥をつつかれるものがあった。
自分が開拓を投げ出す、または逃げ出した場合も考えられていた。
自分がどうするかとは別に、この星へ来た人々の暮らしは続く。続けられるよう、用意されていた計画なのだろう。
「やはり、想定されていたのですね」
ベネディクトが頷く。
「それは非常時の計画だ」
ブロームが、すぐに釘を刺した。
「現在の運用を捨ててでも降ろさなければならない状況と、今とでは条件が違う」
「はい。ですので、今回その計画を使用できるかは別問題です」
シュミットは平然と答える。
ヴァルターが身を乗り出した。
「そうだ! 別問題だ!」
ようやく話に口を挟めた。
計画があったから下ろしましょう、ではないのだ。
非常時の備えと、いま艦長として預かっている艦の運用を、一緒にされては困る。
ようやく隣に味方がいたと、ヴァルターが頷いた、その直後。
シュミットが付け加える。
「ただし、検討する価値はあるかと」
「お前はどっちの味方だーーー!!」
地上の会議室まで、艦長の声がよく届いた。
通信状態は良好である。
これを失うのも問題なのだと、エレオノーラは妙なところで実感してしまった。
シュミットは涼しい顔で、資料へ目を戻している。
ベネディクトも、ブロームも、旧計画の存在を受けて、それぞれの手元を確認していた。
エレオノーラは、卓上に並んだ資料を見渡した。
ベネディクトの提案が軽かったわけではない。
あのひと言で動かそうとしたものが、あまりに大きかったのだ。
「いずれにしても、冬を迎えるまでに生活の備えが必要です」
ベネディクトが言う。
「そのために、防衛上の空白を作るわけにはいきません」
ブロームが応じる。
そして艦長は、画面の向こうで実に不本意そうな顔をしていた。
エレオノーラは、気づく。
全員が、こちらを見ている。
いつの間にか、話す者がいなくなっていた。
地上からも、軌道上からも、視線だけが一か所に集まっている。
エレオノーラは開きかけた扇を止めた。
「…………」
皆、それぞれの仕事をしている。
住民を守るために必要なことを述べている。
それを聞いて、最後にどうするか決める者は。
「皆様、わたくしを見ないでくださいまし」
「最終的にはお嬢様のご決裁となります」
すぐ隣から、セバスティアンが穏やかに告げた。
「知っておりますわーーーー!!」
最後まで読んでくださりありがとうございます。
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