32 星喰いのおやつ
漆黒の宇宙空間──〈ヴェスペル小惑星帯〉。
全長五メートルほどの岩塊の上に人型の姿があった。
ぽり、ぽり、と真っ黒な人型、クシュダーが岩を食べていた。
足元に転がっているものを拾い、口へ運ぶ。ひとつ食べ終われば、また次のひとつ。少し大きなものは両手で持ち、端から齧っていく。
「おやつー」
ご機嫌だった。
食べ物がそこらじゅうに落ちている。なくなる前に次が見つかる。クシュダーにとっては、実に過ごしやすい場所である。
少し離れた場所でその様子を黙って眺めている女がいた。
紫黒のシルクサテンドレスに黒いヴェールの婦人、マーツァリヤだ。
「ふむ……」
周囲では、部下たちが落ち着かない様子で控えている。大きく割れ空洞化した身体を寄せ合い、ときおり互いを見やっては、またふたりへ視線を戻す。
クシュダーがおとなしく岩を齧っている間は、ひとまず何も起こらない。
しかし、マーツァリヤの沈黙が長い。
ヴェールから覗く赤い唇が不満げに歪むのが見えた。
部下のひとりが窺うように身を乗り出したとき、マーツァリヤが口を開いた。
「クシュダー」
「ん?」
岩を口にくわえたまま、クシュダーが顔を上げる。
漆黒ののっぺらぼうに赤い輝きが二つ。
次の瞬間、その身体がひょいと持ち上がった。
マーツァリヤの翡翠色の長い髪が広がる。
「んん?」
足が地面を離れる。
クシュダーは足元を見て、それから自分を掴んでいる手を見た。
何をされているのか、まだよくわかっていない。
わからないまま、残りの岩をぽりりと齧った。
マーツァリヤが飛翔した。
足場にしていた岩塊が、瞬く間に遠ざかる。
「あっ、マーツァリヤさま!」
部下たちも慌ててあとを追った。
クシュダーは持ち上げられた格好のまま、流れていく景色を眺めていた。
大きな岩がある。
もっと大きな岩もある。
先ほどまで自分が拾っていたものなど、比べものにならない岩塊が、暗い宙にいくつも浮かんでいる。
クシュダーがそちらへ手を伸ばしかけるたび、マーツァリヤは構わず先へ進んだ。
やがて小惑星帯を抜けると、行く手にひとつの惑星が現れた。
黒と赤の、まだら模様。
黒く固まった表面のあちこちを、赤い光が押し広げている。亀裂の奥ではマグマがうねり、暗い地殻の縁を呑み込みながら、どろりと流れていた。
近づくにつれて、赤い部分にも濃淡があることがわかる。
鈍く光るところもあれば、眩しく煮え立つところもある。
マーツァリヤは、その煮えたぎる鉱石惑星を見下ろした。
クシュダーも見下ろした。
マーツァリヤの手に力がこもった。
「ん?」
クシュダーが顔を向ける。
その身体が、大きく振り上げられた。
「わー」
次の瞬間、惑星へ向かって叩き落とされた。
足元にあった赤黒い球体が、急速に近づいてくる。
丸かったはずの星が視界いっぱいに広がり、その向こうにあった闇が、上へ上へと遠ざかっていった。
「その星全部食い切るまで帰ってくるんじゃないよ!」
頭上から、マーツァリヤの声が追ってきた。
クシュダーは両手をばたつかせた。
全部。
目の前にある、これを。
さっき両手で持っていた岩とは、どうも大きさが違う。
確かめる暇もなく、落下する身体の周囲が赤く輝いた。
熱が全身を包む。
落下の摩擦で燃え上がった炎が、後ろへ長く尾を引いた。
「あちいいい! ああああ!」
ご機嫌なおやつの時間は、突然終わった。
─────
「マーツァリヤさま!」
追いついた部下たちは、眼下へ伸びる火の筋を見た。
次いで、投げた当人を見る。
ヴェールが完全にめくれ、性格のキツそうな美女が顕になっている──ただし顔面の右側は割れていた。
割れた内側には漆黒の闇が広がり、真珠粉の如き輝きが瞬いている。
宇宙空間のようだ。
マーツァリヤは涼しい顔で、クシュダーの落ちていく先を眺めていた。
「あの、クシュダーさまが……!」
「見えている」
「燃えておりますが!」
言われるまでもなかった。
小さな身体を包む炎は、ここからでもよく見える。
部下のひとりが思わず前へ出かけたが、マーツァリヤは眼下から視線を動かさなかった。
「こんなちいさな岩じゃだめだ」
手に残っていた岩の欠片を、指先で弾く。
クシュダーが先ほどまで、嬉しそうに食べていたものだ。
欠片はくるくると回りながら、闇へ流れていった。
「ひとつ拾って、ひとつ齧って。また拾って……いつまでやっているつもりだい」
「ですが、まだ幼生でいらっしゃいますし……」
「だから、まるごと食わせるんだ」
部下は眼下を見た。
食事を与えたことに、間違いはない。
ただ、食事のほうへ投げ込まれるとは思わなかった。
赤黒い惑星の手前で、重力に囚われたクシュダーが必死に手足を振り回している。
マーツァリヤの口元が、わずかに歪んだ。
「幼生をちんたら世話してる間にも、他の奴らに差をつけられる。あたし自身も〈力〉
を集めなければ」
部下たちは口をつぐんだ。
マーツァリヤは、小惑星帯のほうへ一度だけ目を向ける。
そして再び割れた顔を隠すようにヴェールで覆った。
彼女らヴィランはマネキンのような虚ろな器の身体を持ち、真空でも死なないのだ。酸素を必要としないが〈力〉を必要とする。
そして彼ら彼女らの目的のためにも〈力〉が要る。
「遅すぎる」
「早く大きくなれ」
星喰いの世話。
そうしている間にも、ほかの者たちは先へ進む。
その事実が気に入らなかった。
世話をしているから仕方がないなどという理由で、遅れを取るつもりはない。
なお、ここまでの会話は意思に魔力を乗せた念話である。
どうやって会話してるかについては心配しないでいただきたい。
再び惑星へ目を戻す。
あれならば、次の岩を探す必要もなかった。
食べるものは、目の前にある。
いくら齧っても、すぐにはなくならない。
マーツァリヤは、それで十分だと言わんばかりに腕を組んだ。
「あちいい! かあちゃん!」
下から悲鳴が上がった。
炎の中で、クシュダーがこちらへ手を伸ばしている。
つい先ほどまで岩を握っていた手が、いまは何もない宙を必死に掻いていた。
部下たちの視線が、いっせいにマーツァリヤへ集まる。
マーツァリヤは大きく顔を上げた。
「しっかりしろ! 〈星喰い〉だろ!」
「やだーー!」
部下のひとりが、おずおずと声を挟む。
「あの、せめてもう少し、小さなものから……」
「それじゃ遅いと言っている!」
取りつく島もなかった。
クシュダーは落ちていく。
拾う手間も、次を探す手間もいらない、途方もなく大きな食事へ。
赤く煮える地表が、ますます近づいてくる。
「あちい! あちいいい!」
「食えばなくなる!」
マーツァリヤの指が、惑星を示した。
「全部だよ!」
「かあちゃああああん!」
「あたしは! まだ未婚だ!」
部下たちは、もう何も言えずに見守っていた。
つい先ほどまで、岩の欠片をぽりぽりと齧っていたのに。
今度のひとつは、まだ、端すら見えなかった。
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