28 親睦会ですわ! 前編
領地経営に必要なものは何か。
資金。人材。産業。軍事力。そして、行政組織。
エレオノーラ・フォン・ヴァルテンベルクは、これまでの開拓事業を通じて、その重要性を嫌というほど思い知らされていた。
特に資金。
資金である。
お金はいくらあっても足りない。
それでも、父から教わった領地経営の心得には、もう一つ大切なものがあった。
人とのつながりである。
領主一人で領地を発展させることはできない。企業も商人も住民も、それぞれの立場で領地を支えている。彼らの声に耳を傾け、信頼関係を築くこともまた、領主の務めなのだと。
「親睦会ですわ!」
こうして、エレオノーラ主催の親睦会が開催されることになった。
─────
会場となったのは、エレンシュタット(仮)の集会施設だった。
普段は会議や住民向けの催しに使われる建物も、今夜ばかりは華やかな装いに変わっている。
壁には装飾が施され、テーブルには料理が並び、暖房の効いた室内には談笑する人々の声が満ちていた。
もっとも、帝都の貴族が開く夜会とは比べるべくもない。
床に敷かれた絨毯も、並べられた食器も、どこか実用本位だ。窓の向こうには、建設途中の街並みが広がっている。
だが、エレオノーラにとっては、それが何より誇らしかった。
「皆様、本日はお集まりいただき、ありがとうございます!」
エレオノーラが挨拶すると、会場から拍手が起こった。
企業オーナー、商店主、街区代表、地元住民の代表者。そして宗教関係者。
出身も身分も異なる人々が、一つの会場に集まっている。
その光景を見ただけで、エレオノーラは胸がいっぱいになった。
(まあ……なんだか、本当に領主らしいことをしておりますわ!)
もちろん、本人は大真面目である。
問題は、その後だった。
「エレオノーラ様! このたびは素晴らしい機会をありがとうございます!」
「公女殿下のおかげで、我々も安心して商売ができます!」
「この短期間で、これほどの都市を築かれるとは!」
「まさに類まれなる統治の才覚ですな!」
「まあ!」
エレオノーラは扇を口元に当てた。
「お、おほほほ……皆様、大げさですわ!」
「とんでもない! 我々は公女殿下の手腕に感服しているのです!」
「移民を呼び込み、企業を誘致し、これほどの商業機会を生み出された!」
「開拓地に進出した我々にとって、これほどありがたいことはありません!」
「まあまあまあ!」
褒められる。
とにかく褒められる。
おだてすぎである。
エレオノーラは満面の笑みを浮かべながら、内心では冷や汗を流していた。
(いや、あの……)
(わたくし、ほとんどお父様のお金を投入しているだけですわよ!?)
もちろん、実際にはそれだけではない。
移民の募集も、企業の誘致も、人材の確保も、彼女自身が判断してきたことだ。
だが、本人としては、資金さえあれば何とかなると思って始めた事業が、予想以上に大きくなってしまったという感覚が強い。
(そもそも、まだまだ赤字ですし!)
領地経営の成果を褒められるたび、頭の片隅に財政資料が浮かんでくる。
マイナス。
地の底に向かって落ちていく棒グラフ。
その隣では、セバスティアンが穏やかな笑みを浮かべていた。
「お嬢様。次は商業区の代表の方々がお待ちです」
「ええ! 参りましょう!」
セバスティアンは完璧な所作でエレオノーラを案内する。
華やかな親睦会。
ただし、運営側は戦場である。
─────
「これはこれは、エレオノーラ様」
次に声をかけてきたのは、鮮やかな長袍をまとった青年だった。
ルオ・シャオ。
ユージン街区の代表である。
相変わらず、細められた目からは何を考えているのかさっぱりわからない。
「シャオ様! 本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただいて光栄どす。ほんま、えらい賑わいどすなぁ」
「おかげさまで、たくさんの方にお集まりいただけましたの!」
「それは何より。うちの街区の者も、ようお世話になっております」
シャオは優雅に微笑んだ。
「これからも末永う、よろしゅうお付き合いさせていただきたいもんです」
「もちろんですわ!」
エレオノーラもにっこり笑い返す。
シャオは曲者である。
原作『ホリスタ』において、そう描かれていた。間違いない。絶対腹の中は真っ黒である。
だが、ユージン街区の代表として住民たちをまとめているのも事実であり、今のところ良好な関係を築きたいという意思も感じられる。
エレオノーラとしては、ぜひとも仲良くしたい相手だった。
そこへ。
「よう、姫さん。盛況じゃねえか」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、銀髪に眼帯の男が立っている。
「……アクセル!?」
エレオノーラは目を丸くした。
「なんでいらっしゃいますの!?」
「なんでって、招待されたから来たんだろうが」
「いえ、そうではなくて! あなた、開拓軍のお仕事は!?」
「俺はヴォルフ商会の会頭でもあるんだが?」
アクセルはギザ歯を見せて笑う。
「あっ」
そうだった。
アクセル・ヴォルフ。
元海賊にして、ヴォルフ商会の会頭。
現在は開拓軍にも関わっているという、なかなか複雑な肩書きの持ち主である。
「でも、軍務はよろしいんですの?」
「平時は駆逐艦と巡洋艦しか出さなくていいって決まったんだよ。俺が毎日、艦隊を率いて飛び回る必要はねえ」
「まあ……そうですわね。戦艦で街の警備をするわけにもいきませんし」
「そういうこった」
アクセルは料理の載った皿を手に取った。
まるで自分の家にいるかのような態度である。
その様子を、シャオがじっと見ていた。
「……いや、もっとこう、上でなんかあるやろ」
「あ?」
「商会のお仕事と軍のお仕事。そんな簡単に両立できるもんなん?」
「さぁ?」
アクセルは肩をすくめた。
「どっかの王子様が悪さしないよう、見張りもいるだろ」
「はぁー?」
「うん?」
二人の間に、妙な沈黙が流れた。
アクセルは口元を吊り上げている。
シャオも微笑んでいる。
どちらも笑っているのに、まったく和やかではない。
「……アクセル?」
「なんだ、姫さん」
「シャオ様?」
「なんどす?」
エレオノーラは二人を交互に見た。
「本日は親睦会ですのよ?」
「知ってるぜ?」
「存じておりますえ」
「ですから、親睦を深めてくださいまし!」
「深めてるだろ?」
「ええ、たいへん興味深うお話しさせてもろてます」
エレオノーラは扇を閉じた。
(……なんでしょう)
(この二人、仲良くなれそうで、まったくなれそうにありませんわ!)
ちなみに、少し離れた場所では、アドリアン・ネーベルが端末を睨んでいた。
親睦会の参加者が歓談している間も、提出された資料の数字を確認している。
グラスに手を伸ばす暇もない。
「……また申請書の書き込みミスが」
ネーベルは眉間を押さえた。
華やかな会場の片隅で、彼だけが通常営業だった。
─────
「どうもどうも。よろしくお願いしますねぇ」
エレオノーラの隣で、ベネディクト・フォン・ヴァイスは人のよさそうな笑みを浮かべ、来賓たちに頭を下げた。
新任執政官のお披露目である。
長年、行政の仕事に携わってきたベネディクトにとって、こうした席での挨拶は慣れたものだった。差し出される手を握り、相手の顔と名前を覚え、適度に世間話を交える。堅苦しくなりすぎず、かといって馴れ馴れしくもならない。
その絶妙な距離感に、エレオノーラは感心しきりだった。
「皆様、こちらが新しく執政官に就任なさったベネディクト・ヴァイス様ですわ! とっても頼りになる方ですのよ!」
「いやぁ、お嬢様。そんなに持ち上げられると、おじさん困っちゃいますよぉ」
「まあ! ご謙遜なさらなくても!」
来賓たちからも歓迎の言葉が相次いだ。
「これは心強い。今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。何かございましたら、遠慮なくお声がけくださいねぇ」
ベネディクトはにこやかに応じた。
ここまではよかった。
「あの、執政官様。少々お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「はいはい、なんでしょう?」
住民代表の一人が、控えめに手を挙げた。
「新しく移住してきた者の住民登録なのですが、家族の到着が遅れている場合は、先に世帯の申請をしてもよろしいのでしょうか?」
「ああ、それでしたら、先に到着されている方の登録を済ませてください。ご家族の分は到着後に追加できますので。窓口でその旨を伝えていただければ大丈夫ですよぉ」
「なるほど! ありがとうございます!」
「いえいえ」
ベネディクトは笑顔で頷いた。
すると、隣にいた商店主が身を乗り出した。
「執政官殿! 私からも一つよろしいですかな!」
「ええ、どうぞどうぞ」
「新しく店舗を増やす予定なのですが、営業許可の申請は現在の店舗とまとめて行えますか?」
「ああ、店舗ごとに申請していただく必要がありますねぇ。ただ、事業者の登録情報は共通で使えますから、手続き自体はそれほど難しくありませんよ」
「おお、そうでしたか!」
「詳しくは担当窓口で確認してくださいねぇ」
ベネディクトは慣れた調子で答えた。
エレオノーラは目を輝かせる。
「まあ! さすがベンおじですわ!」
「いやぁ、そんな大したことは……」
「執政官殿、少々よろしいでしょうか!」
今度は企業関係者だった。
「弊社で新たに雇用する従業員の社会保険についてなのですが」
「はいはい。雇用開始日と申請の時期ですねぇ?」
「そうです! 実は……」
ベネディクトは相手の話を聞き、必要な手続きを説明する。
その後ろから、別の男性が声をかけてきた。
「冬季の物資配給についてもお尋ねしたいのですが」
「ああ、冬支度ですねぇ。そちらは担当部署と確認していただくことになりますが――」
「執政官様! 除雪作業の人員募集については!」
「はいはい、そちらはですねぇ……」
「すみません! 住宅区画の申請で!」
「ちょっと待ってくださいねぇ」
「執政官殿! こちらの書類なのですが!」
「……あれ?」
ベネディクトは周囲を見回した。
いつの間にか、人が増えていた。
一人に答えると、二人が質問する。二人に答えると、さらに三人がやってくる。
誰かが端末を取り出し、申請書類を表示し始めた。
別の誰かは、わざわざ席まで戻って資料を持ってきた。
気づけばベネディクトの前には、料理の皿ではなく行政書類が並んでいた。
「……ええと、皆さん?」
「はい!」
「本日は親睦会でしてねぇ……」
「もちろん存じております! こうして直接お話しできる機会は滅多にありませんから!」
「あ、そうですかぁ……」
ベネディクトは笑った。
笑うしかなかった。
その横では、エレオノーラが満足そうに頷いている。
「素晴らしいですわ! 皆様、すっかり打ち解けていらっしゃいますのね!」
住民と行政の距離が近い。
相談したいことを気軽に相談できる。
なんと素晴らしいことだろう。
エレオノーラは、父から教わった領地経営の心得を思い出していた。こうした交流の積み重ねこそ、開拓地の発展につながるのである。
一方、ベネディクトは端末に新しい相談事項を記録していた。
住民登録、営業許可、社会保険、冬季配給、除雪人員、住宅区画。
気づけば六件。
いや、七件。
八件目が来た。
「執政官様、少々お時間を……」
「はいはい、ちょっと待ってくださいねぇ!」
ベネディクトは慌てて相手を制し、エレオノーラへ顔を向けた。
「お嬢様ぁ……」
「はい? なんですの?」
「これ、親睦会ですよねぇ?」
「もちろんですわ!」
エレオノーラは満面の笑みで答えた。
「皆様との交流を深める、とっても大切な催しですもの!」
「ですよねぇ……」
「新しい執政官も大人気ですわね! わたくし、嬉しいですわ!」
「おじさんねぇ……」
ベネディクトは手元の端末を見た。
未処理の相談事項が、また一件増えていた。
「おじさん、ずっと仕事してるんだけどぉ!?」
──新任執政官、着任早々大人気である。
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