22 おじさん聞いてないよぉ!?
前後編です。
道行く人が、足元を見た。
そのまま通り過ぎかけて、振り返った。
別の者は足を止め、隣を歩く連れの袖を引く。気づいた子供が嬉しそうに声を上げ、親はその手を引き寄せながらも、やはり目を離せずにいた。
驚く者。
笑顔になる者。
どう接したものかと、戸惑う者。
当の客人は、二本の足で街を歩いていた。
右手を上げ、愛想よく──おそらく──笑顔を振りまいている。
顔から背中にかけて青から青緑、灰色へ移ろう鱗。白い顎に金色の眼。
爬虫類に似た姿をした、ノイエルデの先住民である。
彼らは人間側の分類名、サウロイド。
鱗ある人。
─────
ベネディクトは、ヴァイス伯爵家の次男である。
愛称はベン。
伯爵家はヴァルテンベルク公爵家の寄子で、彼自身は長年、故郷の領地で代官を務めてきた。
領地経営の経験は、十分にある。
十分すぎるほど、あった。
なぜなら、当主である兄が仕事をしなかったからだ。
ヴァイス家には、四人の兄弟がいる。
長男は、現ヴァイス伯爵。
次男が、ベネディクト。
三男が、テオドール。
そして、故郷に残った四男。
家督を継がない弟たちが、当主を補佐する。
そこまでは、ごく普通の話だった。
ベネディクトにも異論はなかった。兄が家を継ぐなら、自分は領地運営を支える。そういう役割なのだと受け止め、仕事を覚えた。
覚えた結果、任される仕事が増えた。
こなした結果、さらに増えた。
兄の机に置かれていたはずの書類が、自分の机へ来る。
判断を仰いだはずの案件も、自分のところへ戻ってくる。
「お前に任せる」
頼もしい言葉である。
任されるほうに、決める権限と相応の取り分があれば。
ヴァイス伯爵領では、実務の大半を弟たちが担い、利益の配分は長男側に偏っていた。
仕事は、こちら。
実入りは、あちら。
領地を支えるつもりが、気づけば兄の暮らしを支える仕組みになっていた。
補佐。
便利な言葉だった。
ベネディクトは、長年かけて、その言葉の広さを学んだ。
─────
兄は、幼い頃から大切に育てられた。
当時、戦後という時代背景もあってか、両親は長男をたいそう可愛がった。家を継ぐ大切な息子であり、何かにつけて優先された。
その結果、兄は、我慢することも人の手間を考えることも、あまり覚えないまま大きくなった。
そして、伯爵になった。
爵位を継いだからといって、急に仕事をするようにはならなかった。
それでもベネディクトは、次の代には変わるかもしれないと考えていた。
兄には息子がいる。
エレオノーラと、同年代ほどの甥だ。
次期伯爵には、自分で領地を見て、判断できる人間になってもらいたい。すべてを一人でこなす必要はないが、何を任せているのかくらいは知っていてほしい。
そう思い、実務を教えようとした。
甥は逃げた。
別の日に、改めて呼んだ。
また逃げた。
机の前に座らせるところから、すでに仕事だった。
ようやく説明を始めても、覚えようとしない。次に確かめれば、聞いた覚えがないという顔をする。
父親に、よく似ていた。
似なくてよいところまで、実に似ていた。
ベネディクトは、書類を前に考えた。
今は兄の代である。
やがて、甥の代になる。
自分の仕事は、減るだろうか。
減る理由が、一つもなかった。
むしろ、代替わりに伴う仕事が増える。
そこまで見通したとき、ベネディクトは別の可能性を探し始めた。
自分の裁量で、土地を育てる機会。
長年の経験を、自分が納得できる場所で活かす道。
独立、と言えば聞こえはよかった。
正直に言うなら、脱出だった。
─────
その間に、三男のテオドールは育っていた。
こちらは仕事を覚えた。
教えれば身につけ、任せれば、必要な確認をして戻ってくる。何でも兄へ投げ返すのではなく、自分で処理できることが着実に増えていった。
頼れる弟だった。
ベネディクトが新天地へ行くなら、テオドールも連れていく。
それは、早くから決めていた。
有能な弟を故郷へ残せば、今度は自分の代わりに仕事を背負うことになる。それでは、抜け出した本人だけが助かる話になってしまう。
四男には、同じだけの実務を任せられなかった。
当主の兄。
次期伯爵の甥。
そして、四男。
故郷に残る顔ぶれを思い浮かべると、ベネディクトにも考えるところはあった。
しかし、それを理由に留まり続ければ、いつまでたっても出られない。
自分にも、妻子がいる。
この先の人生を、すべて伯爵家の都合へ差し出すつもりはなかった。
─────
そこへ、エレオノーラの話が届いた。
寄親であるヴァルテンベルク公爵家の令嬢。
皇太子との婚約を破棄され、辺境惑星へ追放されたという知らせには、ベネディクトも驚いた。
ところが、その続きがあった。
公女はノイエルデで開拓を進めている。
人を呼び、企業を呼び、街を造っている。
そして。
人材を募集していた。
行政を担える者。
領地運営の経験がある者。
ベネディクトは、その募集を読み返した。
もう一度、読んだ。
自分の経歴を思い返すまでもなかった。
ある。
その経験なら、ある。
朝から晩まで。
長年にわたって。
寄親の公爵家につながる土地で、自分の行政経験を活かせる。しかも、まだ開拓途上の、広大な惑星だ。
出来上がった領地の片隅で、兄の代わりに帳簿を繰るだけではない。
これから育つ街に、自分の手で関われる。
天啓だった。
少なくとも、ベネディクトにはそう思えた。
妻子と、テオドール。
共に移る者を伴い、彼はノイエルデへ来た。
─────
そして、公女との面談である。
ベネディクトは、新しい土地を育てる役目が欲しいと申し出た。
自分で采配を振るえる、担当地区が欲しい。
もちろん、独立した国家をつくりたいわけではない。
ノイエルデは、エレオノーラの領地だ。
その統治のもとで、一つの地区を預かり、運営したい。
説明すべきことも、協議すべき条件もある。
そう考えて臨んだ。
「ふむ、問題なくってよ」
早かった。
ベネディクトは、あの返事を思い出して、また笑った。
こちらは、どう説明すれば意図が伝わるかと考えていた。
公女は、どこまで任せられるかと考えていた。
話が早い。
早すぎて、執事が資料を差し込むほどだった。
具体的な調整は、これからである。
まだ、どこからどこまでを預かると決まったわけではない。土地を永久所有することが認められたわけでもない。
それでも、自分の地区を持って仕事をすることは、原則として了承された。
長年、探していた機会だった。
(まさか、こんなに簡単に領地の予約ができちゃうなんてね)
もちろん、実際には予約の一言で済む話ではない。
ベネディクトも、それは承知している。
だが、あれほど肩に力を入れていた自分へ、あの公女は、広いからいくらでもと両手を広げたのだ。
惑星一個。
土地はある。
仕事もある。
任せられる人間が、いない。
こちらは、任せてもらえる場所を探していた。
実に、都合がよかった。
互いに。
─────
ベネディクトは、再び街へ目を向けた。
資材を積んだ車両が横切る。
歩行者が待ち、作業員が誘導する。車両が通り過ぎれば、人の流れもまた動き出した。
あちらでは建物を造っている。
こちらでは、新しく来た者が道を尋ねている。
人が増えれば、住まいが要る。
暮らしが始まれば、調整する仕事も生まれる。
目の前にあるのは、楽な勤め先ではなかった。
おそらく、当分は忙しい。
それでも、ベネディクトの足取りは軽かった。
自分の経験を活かせる。
テオドールと共に、土地を育てられる。
長年の苦労が、ようやく別のところで役に立つ。
(さっそく頑張らないとなぁー)
まずは、今後の協議に備えなければ。
考えることは多い。
確かめたいことも、山ほどある。
ベネディクトが歩き出した、そのときだった。
警報が鳴った。
通りを行く人々が、足を止める。
話し声が途切れた。
ベネディクトも顔を上げる。
周囲の視線が、次々と空へ向いていった。
音声が、街に響く。
『緊急警報発令、付近の住民は避難してください』
『大型竜、接近中』
「……え?」
ドンッ!!
地面が揺れる。
ベネディクトは、驚いて周りを見渡した。
新天地。
新しい仕事。
自分の経験を活かせる、広大な土地。
土煙の向こうに竜の形が見える。
遠いのに竜とわかるほど巨大なのは、いかがなものか。
「おいおい! ちょっとちょっとぉ! おじさん聞いてないよぉ!?」
行政の仕事が山積みなのは、承知していた。
あの山みたいな生き物については、承知していない。
本日は2話更新+登場人物紹介です。
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