20 おかわりですわ!
「はぁ……」
鏡台の前で、エレオノーラは今日何度目になるか分からないため息をついた。
ノイエルデの領主に赴任して五ヶ月を超えた。
開拓そのものは順調だった。
人は増えた。街も広がった。
電気も水道も通り、あちこちで新しい建物が建っている。
自分なりに必死でやってきたつもりだ。
無駄遣いだってしていない。
していない、はずだ。
しかし。
金がない。
正確には、何もかも足りない。
人も足りない。
建築資材も足りない。物流能力も足りない。
下水道工事だって途中である。
人口と街の成長速度に、予算がまるで追いついていなかった。
「はぁ……」
またため息が漏れた。
その間にも、背後ではメイドたちが手際よく彼女の身支度を整えている。
肌を整え、長い金髪には薄くヘアオイルをなじませる。仕事の邪魔にならないよう髪をまとめ、きっちりとしたシニョンに仕上げていく。
普段なら、こうして身なりが整っていくにつれて気持ちも引き締まる。
今日はまったく駄目だった。
「何か心配事ですか?」
髪を整えていたメイドのマリーが、鏡越しに尋ねた。
「気がかりなことばかりですの」
エレオノーラは眉を下げた。
「お父様になんと言えばいいものか……」
要するに。
もうお金がなくなりました。
「なくなりましたわ! もう一杯!」
などと、空のティーカップを差し出す調子でお願いできる金額ではない。
無駄遣いをしているつもりはなかった。
言いたいことは、それだけである。
これだけ早く予算が尽きるということは、やはり自分には領主としての才覚がないのではないか。
そもそも何をもって開拓任務を達成したというのか。
父から説教されるかもしれない。
「……はぁ」
今日一番深いため息が出た。
─────
通信の準備が整った。
鏡の中に映るエレオノーラは完璧だった。
化粧よし。
髪よし。
公爵令嬢として申し分ない。
ただし、服装はスーツである。
もはやドレスを着ている方が珍しくなった。
通信画面が点灯する。
そこに映し出されたのは、豊かな金髪と濃緑の瞳を持つ、恰幅のいい男性だった。
ヴァルテンベルク公爵。
フェルディナント・フォン・ヴァルテンベルク。
そして。
パパである。
『ノーラ、元気かい? 穴に落ちたって聞いたよ!? 怪我は!? 竜は!?』
開口一番、それだった。
「お父様、心配しすぎですわ。ぴんぴんしておりますわ」
「竜も抜け殻だけで、おりませんでしたし……」
『抜け殻が!?』
「本体はいませんでしたわ」
『辛いことはないかい? ユージンの王子にいじめられなかったかい?』
「ユージンの王子様は、ユージン街区で開拓のお仕事をされるそうですから、心配ありません」
アクセルらによって完全武装解除された王子の機体は地上で建築作業のみ許可された。戦艦の主砲による全門ロックオンは絶大な効果があったようだ。
なお、解除された武装の返還は保証されていない。
ルオ・シャオ第六王子の今後の交渉次第である。
もっとも、開拓に飽きたのか今は領府執務室に顔を出すことが増えた。
『そうか……。でもノーラは可愛いからなぁ』
父はまだ心配そうだった。
『あちらの王子に気に入られて、ユージンへお嫁に行ってしまったら、全然会えなくなってしまうし……』
こちらは冬支度と予算で頭がいっぱいなのに、お父様の心配はもう隣国への嫁入りにまで進んでいる。
早い。
街の工事より早い。
「もう! わたくしはノイエルデを開拓するまで、ここを離れませんわ! 必ず皇太子殿下を見返してやるんですの!」
それに。
(キツネ目の京都弁の男は裏切ると決まってますの!)
(映画やアニメで見ましたわ!)
京都の皆様には大変申し訳ないが、エレオノーラの警戒心──偏見は強かった。
『ならいいんだが……』
父はようやく少し安心したらしい。
そして、表情を改めた。
『それで、領地のほうはどうだい? 質の良い鉱脈が見つかったそうじゃないか』
「はい、中央から報奨金も出たようで皆さん喜んでましたわ」
鉱山採掘会社──ハーゼ社のみなさんは。
領府には一クレジットも入っていない。
『それで予算の方は?』
来た。
本題である。
エレオノーラは、準備していた資料を送信した。
「こちらに現状をまとめておりますわ」
『うん。見せてもらおう』
父は黙って資料を読み始めた。
長い。
いや、実際にはそれほど時間は経っていないのだろう。
だが、エレオノーラにはとてつもなく長く感じられた。
怒られる前の子供みたいですわ。
いやいや。
今は領主として報告しているのだ。
そう思えば思うほど、余計に落ち着かない。
やがて父が顔を上げた。
『よくやっているじゃないか』
「……え?」
思わず間の抜けた声が出た。
『五か月でここまで形にしたんだ。十分だよ』
「ですが……」
エレオノーラは言いにくそうに視線を泳がせた。
「もう、予算が……」
『うん』
怒られなかった。
それどころか、父は穏やかに頷いた。
『開拓は、何もないところへ先に金を入れるものだ』
「……」
『道路を造って、家を造って、人を呼んで、仕事を作る。今日金を入れたからといって、明日から税収で黒字になるわけじゃない』
「……そうですけれど」
理屈は分かっている。
だが、赤字でいいのだと言われて、はいそうですかと割り切れるほど、エレオノーラにはまだ領主としての経験がなかった。
『ところでノーラ』
「はい?」
『領民との交流はしているかい?』
「交流?」
『親睦会や食事会、パーティなんかだよ』
「いえ。そのあたりはセバスティアンに任せておりますわ」
『うん。それも必要だけどね』
そこで、父の表情が少し変わった。
娘を心配する父親から、領地を持つ公爵の顔へ。
『ああいう場は、癒着するためだけにあるんじゃない』
エレオノーラは黙って聞いた。
『困ったときに助けてもらうため。逆に、相手が困ったときに助けるため。その前に、お互い顔を知って、話せる関係を作っておくんだ』
金だけでは領地は回らない。
人と人とのつながりもまた、領主が築くべきものなのだ。
『忙しいだろうけど、たまには君自身も顔を出してごらん』
「……はい」
エレオノーラは素直に頷いた。
『それから、そろそろいい頃かな』
「?」
父が椅子へ座り直した。
空気が少しだけ変わる。
『これから仕事の話をするときは、親子ではなく、公爵として君に接しようと思う』
「……お父様?」
『君はもう、そういう段階にいる』
いつもの甘い声ではなかった。
だが、冷たいわけでもない。
『君はもう、立派なノイエルデ領主だ。エレオノーラ・フォン・ヴァルテンベルク公女』
「……!」
エレオノーラの背筋が、自然と伸びた。
『私は、娘を甘やかすために予算をつけているわけじゃない』
「はい」
『君の報告を読んで、必要な投資だと判断したから出すんだ』
父は画面の向こうから、真っ直ぐ娘を見た。
『だから、足りなくなったことを恥じる必要はない』
「……はい」
『ただし次からは』
そこで父は、ほんの少し笑った。
『「お父様、お金ください」じゃなくて、領主として必要な予算案を私のところへ持ってきなさい』
胸の奥にあった重たいものが、少しだけ軽くなった。
「……はい!」
『そのほうが、私も堂々と公爵家の金庫を開けられる』
エレオノーラは勢いよく頷いた。
「では早速、十億クレジットほど」
『…………』
「お父様?」
『いや』
父がこめかみを押さえた。
『領主として接すると決めたばかりだからね。まず内訳を聞こうか』
「もちろんですわ!」
待ってましたとばかりに、エレオノーラは端末を操作した。
即座に追加資料が送信される。
ギルド進出にともなう水道や電力網の追加工事、住宅、資材、物流、冬季の燃料、暖房、食料備蓄……
父の画面に、新たな予算要求書が表示された。
『……準備がいいな』
「予算がございませんもの!」
領主エレオノーラ。
今日も立派に、金策中である。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
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