16 ふかふかですわ!
足元が消えた瞬間、エレオノーラは別の場所を思い出した。
磨き上げられた学院の床。
階段の縁。
宙に浮いた足。
あのときも、そうだった。
頭上の青い光が遠ざかり、代わりに、下から淡い明かりが近づいてくる。
大きく広がったキノコの傘が身体を受け止めた。
ふかふかしたものに、体も意識も沈み込む。
─────
幼いエレオノーラは、特別わがままな子供ではなかった。
ヴァルテンベルク公爵家には、たいていのものが揃ってあった。広い屋敷も、美しい服も、煌びやかな宝石も。
ただし、何でも好き勝手にしてよいわけではない。
家風は質実剛健。
学ぶべきことがあり、守るべき礼儀があり、公爵家の娘としてのふるまいを求められた。
躾、マナー、常に人に見られていること。
背筋を伸ばし胸を晴れと言われ続けた。
そんな家でも両親は一人娘のエレオノーラを愛してくれた。
やがて、婚約が決まった。
相手は皇太子エアハルト。
皇室とヴァルテンベルク公爵家を結びつけ、公爵家を帝国から独立させないための婚約だった。
その意味を、最初からすべて理解していたわけではない。
ただ、これから長く一緒にいる相手なのだと聞かされ、幼いエレオノーラは少し緊張しながら挨拶をした。
エアハルトは、目を合わせなかった。
差し出した言葉が、相手の横顔へ届かずに落ちる。
夢の中で、その不貞腐れた横顔だけが妙にはっきり見えた。
場面が変わる。
少し背が伸びたエアハルトが、不機嫌そうに何かを言っていた。
自分を敬え。
もっと称えろ。
皇太子なのだから。
(子供の要求としてはずいぶん態度が大きいですわね)
幼いエレオノーラは言葉を選び、相手の気分をうかがった。
今度こそうまく話せるかもしれない。
今日は機嫌がよいかもしれない。
そう考えた日の記憶が、幾つも流れていく。
エレオノーラの婚約が決まり、従兄弟のコンラートが後継候補として迎えられた。
ある日、コンラートが俯いていた。
エアハルトの嫌味に返す言葉を見つけられず、目に涙を浮かべている。
エレオノーラは義弟を庇うように、その前へ出た。
何を言ったのかは、よく聞こえない。
けれど、自分の胸の奥がぎゅっとなった感覚だけは残っていた。
エアハルトとは険悪になった。
可愛くないと、吐き捨てられた。
何年たっても、婚約者との距離は縮まらなかった。
そして、学院へ進んだ。
アンナが現れたのは、そこである。
「卒業までに全員攻略しなくちゃ」
「絶対、全員好感度上げる!」
明るく、勢いのある声だった。
エレオノーラは、その言い方を覚えていた。
人に向ける言葉として、どこか引っかかったから。
やがてエアハルトは、アンナを目で追うようになった。彼女の言葉に耳を傾け、笑い、そばにいることを望むようになった。
エレオノーラには見せなかった顔で。
けれど、彼はただの学院の男子生徒ではない。
人口三千億を抱える、エーデルシュテルン銀河帝国の皇太子だった。
その横顔を見ているうちに、
学院の輪郭がちらつく。遠ざかる。
聞こえていた声が途切れ、別の声が重なった。
「……待って、攻略?」
前世であり半身、偉羅の声だった。
「ええ、そう言ってましたわ」
エレオノーラの声が答えた。
攻略。
好感度。
偉羅は、その言葉を知っている。
ソーシャル乙女ゲーム『銀河聖国の星乙女 ―Holy Star Maiden―』
会話やホーム画面、戦闘でキャラクターを使い続ければ好感度が上がる。
好感度が上がれば、キャラクターストーリーが解放される。
「…………アンナって」
「わたしとおなじ転生者じゃ……」
さらに思考をめぐらせようとした瞬間、学院も、アンナも、婚約者の横顔も、すべてが淡い光に溶けていった。
─────
目を開けると、キノコがあった。
青い。
右にもキノコ。
左にもキノコ。
少し向こうにも、一抱えはありそうなキノコ。
しかも、光っている。
青白い光を放つ巨大な傘が、薄暗い地下の空間に幾つも浮かんでいた。ぼんやりした頭で眺めていると、地面から明かりが生えているように見える。
背中の下も柔らかかった。
エレオノーラは指先を動かす。
ふか、と沈む。
「……天国ですの?」
随分とキノコの多い天国だった。
「お嬢様、生きてますか!?」
聞き覚えのある声がした。
顔を向けると、ディートリヒが駆けつけてきた。乱れた髪と、こちらを見つめる灰青色の瞳。青白い光の中でも、顔がいい。
エレオノーラはほっとした。
「まあ! 天使までイケメンですわ!」
「生きてますから!!」
力強い返事だった。
天使は、ずいぶん必死である。
「お嬢様お怪我はありませんか!?」
「……あら」
エレオノーラは瞬きをした。
夢の名残がまだ頭の奥にある。何か大切なことを考えていた気がするのに、目の前のディートリヒがあまりにも真剣で、うまく思い出せなかった。
「ここは……」
「地下です。落ちたんです」
「あら、そうでしたわね……」
魔石を見ていた。
お金のことを考えていた。
足元が崩れてなくなった。
記憶が順番に戻ってくる。
エレオノーラは、自分を受け止めた大きな傘へ目を落とした。
「キノコに助けられましたのね」
「はい。ですから、まだ動かないでください」
ディートリヒはそばに留まり、上を見た。
遠い頭上に、落ちてきた穴がある。
「まず、上へ知らせます」
掲げた手から、閃光魔法が放たれた。
地下の空間が一瞬明るくなり、キノコの傘が白く浮かび上がる。
少し待つと、頭上で光が瞬いた。
ちか、ちか。
「あれは返事ですの?」
「はい」
ディートリヒの肩が、わずかに下がった。
エレオノーラも穴を見上げる。
あそこに皆がいる。
─────
地上では、セバスティアンが救助作業を指揮していた。
穴の底から、白い光があがった。ディートリヒの閃光魔法である。
護衛騎士が光で信号を返す。
「生存を確認できました。準備を進めてください。穴の周囲には、必要な者以外近づかないように」
騎士たちが動き、鉱山会社の作業員たちが救助に使う装備を運んでくる。
マリーは、穴から離れるよう指示された場所で、唇を引き結んでいた。
「お嬢様は……」
「ディートリヒが到着しております」
セバスティアンの返答に、何度も頷く。
頷いているのに、目元は今にも泣きそうだった。地下からの光を見ようと身体が前へ傾くたび、隣のメイドがそっと袖を押さえる。
その少し後ろで、グスタフは立ち尽くしていた。
領主が視察に来た。
鉱脈を褒めてくれた。
新しい産業だと喜んでくれた。
「……社長」
社員が呼びかける。
「落ちた地点、……魔石の反応が強すぎて空洞があったのを見落としてました……」
グスタフはゆっくり顔を向けた。
「見落としてたのか?」
「はい……」
巨大な魔石鉱脈に喜びすぎて、足元を見ていなかった。
「俺、もしかして死刑か?」
社員は返事をしなかった。
グスタフの目が、救助を指揮する執事へ向く。
穏やかな声で、必要な指示を出している。
こちらを責める言葉は、一つもない。
グスタフは、すぐ正気に戻り、背筋を伸ばした。
横でアクセルが声を張る。
「何が要る! うちで出せるものは全部出すぞ!」
鉱山社員たちも慌てて動き出す。
アクセルの部下たちがロープとウィンチを積んだ作業艇を手配する。
巨大鉱脈を発見したときより、社長は必死だった。
シャオもセバスティアンに声をかける。
「セバスティアンはん、うちの者もつこうてください」
「ありがとうございます。まずは脆い足場をさけて安全な場所から救助に向かいます」
─────
地下では、エレオノーラが再びキノコの傘へ手を置いていた。
押すと沈む。
離すと、ゆっくり戻る。
「……ふかふかですわね」
「お嬢様」
ディートリヒは、何か言いたそうに口を開き、それから閉じた。
頭上では、救助の準備が進んでいる。
足元には、青白く光る巨大キノコ。
エレオノーラは大人しく座ったまま、周囲を見渡した。
「鉱脈の下に、こんな場所があったんですのね」
ディートリヒも、その光景へ目を向ける。
「そうですね」
「ところで、ディートリヒ」
「はい」
「これ、椅子にしたら気持ちよさそうですわ」
「まず帰りましょう!」
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