10 執事の華麗なる一日
午前三時四十五分。
セバスティアン・クラウゼは、目覚ましが鳴る前に起きた。
寝具を整え、顔を洗い、黒髪を撫でつける。鏡の前で襟元を正せば、昨日と変わらぬ執事の出来上がりだ。
端末には、夜間に届いた報告が並んでいた。
輸送便の遅延。資材の不足。緊急の確認依頼。
当日の予定と照らし合わせ、返信を入れる。公女の判断が必要なものは別にまとめ、そうでないものから片づけた。
エレオノーラは、まだ夢の中である。
その間に、午前中の予定が二つ入れ替わった。
─────
午前四時十五分。朝食。
セバスティアンは静かに食事を取りながら、報告書を読んだ。
パンを口へ運び、一頁進める。
飲み物を含み、添付資料を確認する。
食器を置き、返信する。
食卓に余計な音はなかった。端末の通知だけが忙しかった。
午前五時。
メイドたちが揃うと、セバスティアンは朝支度の内容を伝えた。
「本日は午後に面会がございます。先方の資料はこちらに。髪は、お仕事の邪魔にならないようお願いいたします」
「かしこまりました」
マリーが予定を確認する傍らで、服と靴が用意されていく。
エレオノーラが起きてから迷う必要はない。
着るものも、髪型も、今日会う相手も、すべて決まっていた。
午前六時。お嬢様の朝食。
「本日のご予定をご説明いたします」
料理を置きながら、セバスティアンは要点だけを伝えた。
長い報告は食後。急ぐ案件は今。
エレオノーラがパンをちぎる手を止めずに済むよう、説明の順番も整えてある。
「あなたは朝食を済ませましたの?」
「はい、お嬢様」
「ならよろしいですわ」
気遣う主に一礼し、空になりかけたカップへ飲み物を足した。
─────
午前六時四十五分。企業折衝。
「その納期では、次の工事に間に合いません」
「こちらも人手が足りず……」
「では、搬入を分けましょう。先に必要な資材はこちらです」
建設会社の次は物流業者。その次は商会。
契約条件、納期、資材不足、人員不足。
相手が変わっても、足りないという話は変わらなかった。
セバスティアンは工程を確認し、融通できる箇所を探し、判断が必要な案件だけを残した。
「こちらは公女殿下へ確認いたします。それ以外は、この条件で進めてください」
午前八時十分。
次の用件へ向かう途中、老婆に呼び止められた。
「すまないねえ。この建物へ行きたいんだけど」
差し出された住所を見て、セバスティアンは足を止めた。
開拓地では、道順を覚えても工事の囲いが先に変わる。
「少し道がわかりにくくなっております。ご案内いたしましょう」
老婆の歩幅に合わせ、角を二つ曲がる。
目的地が見えると、彼女はほっと笑った。
「親切な若者だねえ」
「恐れ入ります」
入口まで送り届け、セバスティアンは業務へ戻った。
午前八時四十分。
治安担当から短い連絡が入る。
「武装した集団が三名動いています」
「承知しました。場所を」
到着すると、報告どおりの顔ぶれがいた。
ひとりが武器に手を伸ばした。
伸ばしたところで終わった。
残りもほどなく静かになった。
セバスティアンは担当者へ引き継ぎ、袖口を直した。
「報告書は、後ほどお願いいたします」
次は、お茶だった。
─────
午前九時三十分。
「少し休みますわ……」
エレオノーラが椅子へ深く座り直した。
エレオノーラの前には、いつも通り紅茶と菓子が置かれた。
「どうぞ」
エレオノーラが菓子を一つ取る間に、端末で一件処理する。
紅茶を飲む間に、二件目。
「セバスティアン、午前中はいかがでしたの?」
「特に問題はございませんでした」
建設会社との折衝を終え、次の現場へ向かう途中で老婆を案内し、その帰りに武装した不審者を三人片付けただけである。
─────
午前十時十五分。工事現場で人身事故。
セバスティアンは廊下へ出て、連絡を受けた。
「負傷者の搬送状況を。現場責任者と安全担当にもつないでください」
情報を集め、余分を削り、エレオノーラへ報告する形にまとめる。
端末を閉じる前に、昼食の準備状況も確認した。
午前十一時四十五分。
エレオノーラへ事故の対応状況を伝え、昼食を給仕する。
「引き続き、報告をお願いしますわ」
「かしこまりました」
午後の予定を確認しながら、食事の進み具合を見る。
少し疲れている。
休める時間は、確保してある。
十二時三十分。
「十五分だけ、目を閉じますわ」
「お時間になりましたら、お声がけいたします」
エレオノーラが眠ると、セバスティアンも昼食を始めた。
メールを確認する。
料理を口へ運ぶ。
書類を開く。
電話が鳴る。
「はい。そちらは送付した条件でお願いいたします」
電話を切り、続きを食べる。
返信を送り、最後の一口を飲み込む。
食器を片づけ、身なりを確かめる。
十五分後には、エレオノーラのそばへ戻っていた。
「お時間でございます」
「……もう?」
「はい」
彼のほうは、何も忙しくなかったような顔だった。
─────
午後一時。ディートリヒ育成。
護衛位置を確認し、面会時の礼法を直し、秘書補佐の書類を渡す。
最近はオットーによる訓練も加わり、ディートリヒの予定はよく埋まっていた。
「こちらは、先方が着席されてからお下がりください」
「はい」
「この書類では、添付資料との数字の照合を」
「はい……」
「続いて、移動中に予定変更があった場合の判断ですが」
「俺、空騎士なんですが」
「存じております」
セバスティアンは説明を続けた。
─────
午後三時。買い出し。
屋敷用品、お嬢様の日用品、来客用品、足りない備品。
セバスティアンが品物を確かめていると、店主が遠慮がちに尋ねた。
「秘書長が買い物に来るんですか?」
「はい」
返事をして、縫い目を確認する。
店主は何か続けようとしたが、商品についての質問が先に来た。
午後四時。電話対応。
「公女殿下へ直接お話を」
「ご用件を承ります」
領府、商会、軍、学校。
「どうしても、お嬢様へ直接」
「ご用件を承ります」
移民関連、建設会社。
直接という言葉はよく聞いた。
実際に直接話す必要のあった案件は、一割ほどだった。
午後五時三十分。夕食。
今日の出来事を簡潔に報告し、エレオノーラへ料理を勧める。
「今日は比較的平和でしたわね」
主が安堵の息をついた。
「左様でございますね」
セバスティアンは否定しなかった。
「お茶のおかわりはいかがでしょう」
─────
午後六時三十分。屋敷へ侵入者。
マリーたちが発見し、セバスティアンも合流した。
「お嬢様は?」
「お部屋にいらっしゃいます」
「では、こちらで」
侵入したスパイの対応は、廊下の奥で済ませた。
声を上げられる前に終わったので、お嬢様のお邪魔にはならなかった。
マリーが床へ目を落とす。
「床はどうします?」
「こちらで手配します」
「お願いいたします」
午後七時十五分。
翌日の予定、事故報告、侵入者関連の報告書。
セバスティアンは順番に処理した。
床の特殊清掃の手配も済ませた。
─────
午後八時三十分。
エレオノーラの入浴とスキンケアをメイドたちへ引き継ぎ、セバスティアンは夕食を取った。
食事の傍らには、親睦会の資料。
出席者の名前、事業、最近の動向を確認する。
午後九時十五分。エレンシュタット企業・大農家親睦会。
「公女殿下には、ぜひ一度お越しいただきたく」
「ありがとうございます。お話はお伝えいたします」
杯を受け、笑顔で応じる。
地元企業、大規模農家、商会、開拓関係者。
話を聞きながら、誰と誰がつながっているのかを整理した。仕事の話は、酒が入ると少し違う角度から出てくる。
エレオノーラが今後、直接顔を合わせるべき相手も見えてきた。
「いやあ、執事殿には何でも話せますな」
「恐れ入ります」
相手の杯は何度も空いた。
セバスティアンの記憶には、すべて残った。
─────
午後十一時三十分。帰宅。
エレオノーラが就寝済みであることを確認する。
夜間警備を確かめ、翌朝の準備を点検した。
午前零時十五分。
親睦会で得た情報を記録し、翌日の優先順位を組み直す。
緊急連絡はない。
端末を閉じた。
午前零時四十五分。就寝。
そして、三時間後。
──午前三時四十五分。
セバスティアンは目を開けた。
─────
「……過労死しないんですか?」
その一日を聞いたディートリヒが、真剣な顔で尋ねた。
セバスティアンは、穏やかに答えた。
「この程度で倒れるのでしたら、鍛え方が足りませんよ」
「……!?」
ディートリヒは、自分の予定表を見た。
まだ少し、空欄があった。
慌てて閉じた。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
面白い、続きが気になると思われた方は、ぜひ下にある【☆☆☆☆☆】評価&ブックマークで応援をしていただけると嬉しいです。
感想もお待ちしております!




