9 限界まで育成ですわ!
「そういえば最近、ディートリヒをあまり見ませんわね?」
執務室で書類をめくっていたエレオノーラが、ふと顔を上げた。
ここ数日てんで見かけてない。
目の保養をしようと顔を上げても、いないのである。
「オットー様が、毎日訓練をつけていらっしゃいます」
黒髪のメイド、マリーが答えた。
「オットーが?」
エレオノーラは瞬きをした。
あの小柄な老技術者が、長身の騎士を鍛えている。
想像がつかない。
「……何をなさっているのかしら」
─────
「こちらが新しくできた飛行場でございます」
先導するのはメイドのマリーだった。セバスティアンが別件で不在である。
「お嬢様の領主専用機も、こちらにご用意しております」
広く天井の高い格納庫に、騎士機がずらりと並んでいた。
人型で立つ機体もあれば、戦闘機状態で翼を休める機体もある。待機状態で機体もばらばらだった。
ちょうど、一機からパイロットが降りてくるところだった。
ふらつきながらヘルメットを外す。
灰金の髪の美形が現れた。
ディートリヒ・バウアーである。
近くの整備士が、慣れた手つきで椅子を持ってくる。
別の整備士が水を渡す。
ディートリヒが座る。
「ありがとうございます……」
「おう。飲んどけ」
実に滑らかな連携だった。
「まあ、ディートリヒ!」
呼びかけると、灰金の髪がゆっくり動いた。
「……お嬢様」
声が低い。
いつも低くてよい声なのだが、今日は元気まで低かった。
髪は乱れ、額には汗。
パイロットスーツの襟元を緩めた姿は初見の差分である。
美形の弱った姿は目の保養だったが、本人はそれどころではなさそうだ。
「ずいぶんお疲れですのね?」
「少々……」
「今日はまだ歩けとるぞい!」
横から、ひどく元気な声がした。
オットーである。
端末を抱え、訓練データを眺めている。こちらは汗ひとつかいていなかった。
「今日は、とは?」
「おお、姫さん! 今日もばっちり鍛えとるぞい!」
質問は、明るい挨拶に吸収された。
エレオノーラは騎士機を見上げ、オットーの端末を覗き、それから椅子に沈んだ推しを見た。
なるほど。
「つまり、わたくしのディートリヒのレベリングを?」
マリーが目を見開いた。
隣のメイドのジュリアも、ディートリヒを見た。
女護衛騎士たちも首を向けた。
整備士たちも止まった。
聞き捨てならない一言であった。
「ごほっ」
ディートリヒは、むせた。
「……?」
エレオノーラが首を傾げる。
何かおかしなことを言っただろうか。
自分の手持ち。
大切な高レア。
しかもUR。
育成は重要である。
一方、ディートリヒの頭には、別の部分だけが届いていた。
わたくしのディートリヒ。
「…………」
水を飲む。
もう一口飲む。顔が熱い。
疲れすぎて聞き間違えたのかと思ったが、メイドたちの顔を見る限り、そうでもなさそうだった。
(……訂正したほうがいいのか?)
何を、どう訂正するのか。
『専属騎士が強うなったら姫さんも喜ぶぞい!』
もしかして、本当に自分の知らないうちに専属騎士になったのか。
(……悪い気はしない、かも……)
黙って、水を飲んだ。
「れべりんぐとやらは知らんが、昨日よりは扱えるようになっとる!」
オットーが端末を掲げた。
「ほれ! ここの数値じゃ! ブーストモードの継続時間が増えておる!」
「まあ! 上がっておりますわ!」
折れ線グラフが緩やかに右肩上がりである。
「ではオットー。ディートリヒはもっと強くなれますの?」
「当然じゃ! まだまだ伸びしろだらけじゃぞ!」
エレオノーラの目が輝いた。
オットーの目も輝いた。
ディートリヒは硬直した。
知っている。
この老人が目を輝かせたあと、自分が楽だったことは一度もない。
「お嬢様、あの」
「では、限界まで鍛えてくださいまし!」
「お嬢様ぁ!?」
ディートリヒから悲鳴に近い声が上がった。
「任せるがよい!」
「ちょっとぉ!!」
ディートリヒは椅子から腰を浮かせた。
脚が震えた。
座った。
訴えの勢いが、少し減った。
「今日も、相当やってるんですよ……!」
「ええ。ならば、これからもビシバシ!」
エレオノーラは優しく微笑んだ。
「レベル上限までお願いしますわ!」
到達地点が優しくなかった。
「レベル上限が何かは知らんが、限界は確かめてやるぞい!」
「俺は毎日限界ですよ!」
「さらに限界までやってくださいまし!」
血も涙もない発言である。
オットーは端末に何やら高速で入力している。
ぜったいロクでもないメニューである。
ディートリヒは頭を抱えた。
「強うなりたいじゃろ?」
「それは、そうですが」
「姫さんも期待しとるぞい!」
ディートリヒが詰まった。
エレオノーラは、にこにこしていた。
「頼りにしておりますわ、ディートリヒ!」
「……はい」
返事が出た。
出てから、自分で額を押さえた。
オットーは、さらに一つ入力した。
「今の『はい』は、追加訓練への返事ではありませんからね!?」
─────
エレオノーラがオットーと楽しそうに話している。
その後ろで、マリーとジュリアは控えていた。姿勢も表情も申し分なく、主人が何か求めれば、すぐに応じられる距離だった。
「……あの男、早めに処すべきでは」
マリーの唇は、ほとんど動かなかった。
「お嬢様のディートリヒですよ」
ジュリアも前を向いたまま答える。声は隣に立つマリーへ届く程度。二人とも、表情ひとつ変えていない。
「平民風情が、顔がいいからって気に入られて……」
マリーの視線が、主人の隣にいる騎士へ向く。
顔がよい。声が良い。
お嬢様がお気に召している。
それは承知している。だからこそ、警戒が必要だった。
「私は憧れます」
「何にです?」
「騎士と姫の恋愛……ドラマみたいではありませんか?」
ジュリアの目が、ほんの少し輝いた。
折よくエレオノーラが微笑んでいた。
吊り目だが、豪華な金の縦ロール、エメラルドの瞳。申し分なく美しく端正な顔立ちである。ジュリアにはその笑顔は女神のように映っていた。
ジュリアは満足そうに眺めた。マリーは二人の距離を確認した。
「……そうですか」
「美男と美女でお似合いだと思いませんか?」
「お嬢様がお気に召していることは存じております」
─────
その間にも、ディートリヒは明日の訓練予定を見せられていた。
「……増えてる」
「姫さんのお墨付きじゃ!」
「そういう意味で仰ったんじゃないでしょう!」
ディートリヒは深くうなだれた。
脚は重い。
腕も重い。
明日の予定は、容赦ない。
なのに。
(わたくしのディートリヒ……)
そこだけ、妙にはっきり思い出せた。
口元が緩みかける。
明日の訓練表を見る。
真顔に戻る。
「どうした。笑うか落ち込むか、どっちかにせい」
「少し黙っていただけますか……」
その日から、訓練項目が増えた。
メイドたちの間には、新しい呼び名が増えた。
「お嬢様のディートリヒ」。
エレオノーラだけが、純粋に手持ちユニットのレベルアップを楽しみにしていた。
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