2 婚約破棄ですわー!
「エレオノーラ・フォン・ヴァルテンベルク! 私は君との婚約を破棄する!」
卒業式後の舞踏会場へ、皇太子エアハルトの声が響き渡った。
音楽が止まる。
談笑も止まる。
グラスを傾けていた卒業生も、壁際に控えていた使用人も、一斉に広間の中央へ顔を向けた。
その視線を浴びながら、エレオノーラは扇を口元へ添えた。
(いきなり来ましたわね)
覚悟はしていた。
していたが、挨拶も前置きもなく、開幕一声で婚約破棄である。
さすがはゲーム序盤最大の目玉イベント。導入が早い。
エアハルトの隣には、アンナ・シュテルンが寄り添っていた。
その背後には、彼女を守るように高レア男性陣が勢揃いしている。
どこからどう見ても卒業記念の舞踏会ではなく、期間限定ピックアップガチャの告知画面だった。
エアハルトは王青色の瞳でエレオノーラを見据え、朗々と告げた。
「君は私の婚約者という立場を盾に、私の行動へ執拗に口を挟み、交友関係にまで干渉した!」
(それは婚約者としての小言ではありませんこと?)
未来の皇帝となる男が、星乙女と腕を組んで学院中を練り歩いていたのである。
婚約者として、少しくらい物申しても罰は当たらない。
「さらに、アンナへ身分を笠に着た暴言を浴びせ、幾度となく彼女を傷つけた!」
(こちらは、まあ……)
記憶にある。
かなりある。
思い返すと、頭痛までしてきた。
「彼女の教科書を破り!」
(やりましたわ)
「椅子へ糊を塗り!」
(やりましたわね)
「机の中へ虫を入れ!」
(それもですわ)
「学園祭で彼女が着るはずだった衣装を切り裂いた!」
「……これはやりましたわね」
つい、声に出た。
広間がざわめく。
アンナを取り囲む男たちから、冷たい視線が突き刺さった。
エレオノーラは扇で顔の下半分を隠す。
言い逃れはできない。
なんとも幼稚で、なんとも陰湿な、悪役令嬢の嫌がらせ詰め合わせである。
記憶を取り戻すのが一日早ければ、せめて衣装くらい弁償したのだが。
だが、エアハルトの追及は終わらなかった。
「そして三日前――君は中央階段で、アンナを突き落とそうとした!」
エレオノーラの目が、すっと細くなった。
それまでの罪状とは違う。
三日前。
階段。
先に袖を掴んだのは、こちらだった。
髪も引っ張られ、引っ張り返した。
足を滑らせたアンナの手が、こちらの腕をつかんだ。
床が消え、二人の悲鳴が重なり、硬い段へ頭を打ちつけた。
そして、三日間の昏睡。
(おかしいですわね)
取っ組み合いはした。それは認める。
だが、突き落としてはいない。足を踏み外したアンナに引きずられて、二人まとめて落ちたのだ。
頭を打って三日間も目覚めなかったのは、こちらだけだったが。
それなのに、この場ではなぜかアンナが被害者となっている。
アンナの方は、かすり傷ひとつない。星乙女補正だろうか。
皆が当然のように、アンナを哀れな被害者として見つめていた。
少なくとも、これまでの嫌がらせと一緒に認めるわけにはいかない。
エレオノーラは扇を閉じ、まっすぐアンナを見た。
「それは、やっておりませんわ」
ざわめきが止まった。
「取っ組み合いはいたしましたわ。ですが突き落としてはおりません。足を滑らせたのはあなたでしょう?」
広間が別の意味でざわめいた。
公爵令嬢が取っ組み合いである。
アンナもエレオノーラを見つめ返す。
ピンクオーロラの瞳が、不安げに揺れた。
「でも、エレオノーラ様は、あのとき」
「階段から落ちたのは、二人ともですわ」
「それは、わたしを突き落とそうとして……」
「どなたが、それをご覧になったのかしら?」
「それは……」
アンナの唇が震える。
エレオノーラは目を逸らさなかった。
さあ、ここから証言勝負である。
誰が見ていたのか。
どこから見ていたのか。
ようやく反論らしい反論が始まる──。
「もう十分だ」
始まらなかった。
エアハルトが、ばっさりと二人の間へ割って入った。
「殿下?」
「君の言い訳を聞くつもりはない」
(では、なぜ罪状を読み上げましたの?)
エアハルトはアンナを庇うように一歩前へ出た。
「たとえ階段での一件を除いたとしても、君が彼女へ行ってきた仕打ちは明らかだ。私はもう、君を信じることはできない」
「それは……」
反論しづらい。
なにしろ、教科書は破いた。
椅子には糊を塗った。
机へ虫も入れた。
衣装も切った。
積み上げてきた悪行が、ここぞとばかりに足を引っ張っている。
「よって、エレオノーラ・フォン・ヴァルテンベルク。改めて宣言する。私は君との婚約を破棄する!」
(二度も言わなくても聞こえておりますわ)
エレオノーラは内心でため息をついた。
しかし、婚約破棄そのものは想定どおりである。
皇太子妃教育からも、すれ違い続けた婚約者からも解放される。帝都を離れ、故郷のヴァルテンベルク公爵領へ戻って、ほとぼりが冷めるまで悠々と隠遁する。
生セバスティアン付きで。
(考えてみれば、それほど悪くありませんわね?)
むしろ、かなり快適なのではないか。
エレオノーラが早くも隠遁生活の予定を立て始めたところで、エアハルトが一通の公文書を掲げた。
「さらに、皇帝陛下の裁可により、君を帝国中央から追放する」
文書の末尾には、紛れもない皇帝の印が刻まれていた。
さすがにエレオノーラも扇を下ろした。
皇太子の独断ではない。
正式な皇帝命令である。
「君には帝国辺境へ赴き、かつて流刑地として使用されていた未開拓惑星の領主となってもらう」
「……はい?」
「同惑星および周辺宙域を統治し、帝国領として発展させよ。成果が認められるまで、帝都への帰還は許されない」
婚約破棄。
帝都追放。
そこまでは知っていた。
だが、その先はゲームで描かれていない。
エレオノーラは序盤で姿を消し、二度とメインストーリーへ登場しなかったのだから。
てっきり故郷へ戻り、公爵家の庇護のもとで静かに暮らすものだと思っていた。
それが。
辺境。
旧流刑惑星。
領主。
開拓。
成果が出るまで帰還不可。
エレオノーラは皇帝の印を凝視した。
もう一度、エアハルトを見る。
聞き間違いであってほしいと願いながら、震える声で問い返した。
「わたくしに、惑星を開拓せよと?」
「そのとおりだ」
「ヴァルテンベルク領で隠遁するのではなく?」
「辺境の開拓領主となってもらう」
「なんですって!?」
─────
公爵邸へ戻ると、父と母はすでにすべてを知っていた。
「ノーラ……!」
父は娘の姿を見るなり、大股で歩み寄ってきた。
今にも皇城へ殴り込みそうな顔をしている。
だが、娘を怖がらせまいと必死に怒りを押し殺しているのだろう。握りしめられた拳は震え、その目にはうっすらと涙まで滲んでいた。
「婚約破棄だけなら、まだ分かる。だが、病み上がりのお前を辺境へ追放して、惑星を一つ開拓しろだと……!」
「あなた」
母がそっと父の腕へ触れた。
こちらも泣くのをこらえている。
それでもエレオノーラへ向けられた微笑みは、いつもどおり明るく、優しかった。
「大丈夫よ、エラちゃん。公爵家として、できる限りのことはしますからね」
「人員も、物資も、資金も、船も用意する。皇帝命令だろうと、娘へ援助してはならないなどとは書かれていない」
「お父様……」
「辛くなったら、いつ帰ってきてもいいからね」
父の声が、わずかに掠れた。
「皇帝陛下が何を言おうと、ここはノーラの家だ。帰ってきた娘を締め出す親がどこにいる」
胸の奥が、きゅっと縮む。
自分一人が追放されるだけなら、身一つで辺境へ向かえば済んだ。
だが、惑星を開拓し、統治しろというのなら、そうはいかない。
行政官が要る。
技術者が要る。
護衛も、整備士も、料理人も、使用人も要る。
自分の処分に、家族も、家臣も、使用人たちも巻き込むことになる。
エレオノーラがわずかに目を伏せると、母がその手を両手で包んだ。
「心配しなくていいの。無理やり連れていくのではないでしょう?」
「同行する者は、全員が自分で志願した者だ」
父が力強く頷く。
「むしろ希望者が多すぎて、選別に困っている」
「……多すぎる?」
「ええ。エラちゃんのお世話をするのは自分だと、みんな譲らないのよ」
母は困ったように笑った。
エレオノーラが顔を上げる。
いつの間にか、広間の入口には大勢の使用人や家臣たちが集まっていた。
誰もが旅支度を整えている。
しかも、よく見れば色とりどりのカード枠まで見えた。
白。
白。
青。
黄色。
(初期編成が思ったより豪華ですわね?)
辺境開拓などというから、てっきり裸一貫からのスタートだと思っていた。
これでは裸一貫どころか、最初から十連ガチャで当たりを引きまくっている。
その人々の先頭に、黒い燕尾服の男が立っていた。
当然のように旅支度を済ませたセバスティアンである。
「……あなたも?」
エレオノーラが尋ねると、セバスティアンは不思議そうに目を瞬いた。
「私はお嬢様の執事ですので」
答えは、あまりにも簡潔だった。
「辺境であろうと、旧流刑惑星であろうと、お嬢様がお住まいになる場所こそ、私がお仕えする場所でございます」
「ですが……」
「何か問題でも?」
「いいえ。ありませんわ」
ある。
大いにある。
ゲームでは、失脚したエレオノーラのもとを離れたセバスティアンは、やがてアンナへ忠誠を捧げる。
それが大人気イベント『忠誠の行方』へつながり、アンナ陣営の恒常SSRとして正式加入するはずだった。
だが、目の前のセバスティアンは残留どころか、辺境までついてくる気満々である。
(原作と違いますわ!)
これが、転生後に確認した最初の明確なズレだった。
しかも、そのズレによって手元へ残ったのは、ホリスタ人気投票上位常連の万能SSR執事。
(確定加入ですわーーー!)
沈みかけていた気分が、一瞬で浮上した。
悲壮な追放劇になるところを、最高レア級の同行者が力ずくで明るくしてくれた。
やはりガチャの当たりは健康にいい。
「よろしくてよ、セバスティアン! ともに辺境へ参りますわ!」
「最初から、そのつもりでございます」
セバスティアンは涼しい顔で一礼した。
─────
出航の日。
エレオノーラ一行は、首都星エーデルクローネの軌道上宇宙港へ到着した。
巨大な観景窓の向こうには、星々と惑星の青い輪郭が広がっている。
その宇宙空間に、公爵家の船〈ヴァルテンベルク〉が停泊していた。
父から船を用意すると聞いていた。
公爵家ともなれば、多少は立派な船を持っているのだろうとも思っていた。
だが。
「…………」
エレオノーラは観景窓へ張りついた。
右を見る。
船体が続いている。
左を見る。
やはり船体が続いている。
端がない。
近すぎるせいもあるのだろうが、巨大な装甲壁が視界の端から端までを埋め尽くし、船というより黒々とした大陸が宇宙空間へ浮かんでいるように見えた。
その上には広大な飛行甲板が延び、無数の誘導灯が星座のように連なっている。
エレオノーラは何度も瞬きをした。
ゲーム画面でも艦船は見たことがある。
だが、あれはスマートフォンの小さな画面へ収まるよう、親切に縮小されていた。
実物には、画面へ収まろうという配慮がまるでない。
「…………でっっっっかいですわね?」
「お嬢様」
隣に立つセバスティアンが、静かに嗜めた。
「あまりお行儀のよろしくないご反応かと」
「では、訂正いたしますわ」
エレオノーラは姿勢を正し、扇を広げた。
「たいへん大きゅうございますわね」
「結構でございます」
言い方を上品にしただけで、内容は何ひとつ変わっていない。
「これ、本当に船ですの?」
「はい。〈ヴァルテンベルク〉でございます」
「山か何かではなく?」
「船でございます」
「端が見えませんわ」
「近距離からご覧になっておりますので」
「遠くからなら見えまして?」
「全体を確認するには、かなり離れる必要がございます」
「船を見るために船が必要ではありませんこと?」
「否定はいたしません」
否定されなかった。
エレオノーラは改めて〈ヴァルテンベルク〉を見上げた。
父は確かに、船を用意すると言った。
一隻とは聞いていた。
だが、一隻の中へ街まで入りそうな船が出てくるとは聞いていない。
(公爵家の援助、初手から物量がおかしくありませんこと?)
一行は接舷塔へ移動し、乗艦用エレベーターへ乗り込んだ。
人だけでなく、大量の荷物や車両まで一度に運べそうな巨大昇降機だったが、〈ヴァルテンベルク〉を前にすると、これすら小さな箱に見える。
扉が閉じる。
低い駆動音とともに、エレベーターが船体へ向かって動き始めた。
観景窓の向こうを、分厚い装甲板や格納庫、発着設備が次々と流れていく。
「まだ着きませんの?」
「出発したばかりでございます」
「もう結構進みましたわよ?」
「船が大きゅうございますので」
「でしょうね!」
ようやく乗艦口へ到着し、扉が開く。
その先には、磨き上げられた長い通路と、整列した乗員たちが待っていた。
「エレオノーラお嬢様、ご乗艦!」
声が一斉に響き渡る。
エレオノーラは一瞬だけ目を丸くした後、すぐに背筋を伸ばした。
扇を開き、堂々と艦内へ踏み出す。
やがて接舷設備が切り離され、〈ヴァルテンベルク〉の巨大な船体がゆっくりと宇宙港を離れた。
星々が動き始める。
首都星エーデルクローネが、少しずつ遠ざかっていく。
こうして、帝都を追放された悪役令嬢は――。
身一つどころか、SSR執事と大勢の家臣、さらに端の見えない超巨大船まで引き連れて、辺境へ旅立った。
追放とは、いったい何だったのか。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
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