3 スパイ逮捕
ノイエルデ脱出RTA。
走者、ユリウス・フォン・アイゼン。
なお、まだ一度も惑星の外へ出ていない。
「こんな星、脱出してやる!」
鞄へ着替えを押し込み、ユリウスは低く吐き捨てた。
仮設宿舎の生活はプライバシーというものがない。
毎夜、隣室から大きないびきが響く。
壁を挟んだ反対側からは、あられもない嬌声。その向こうでは誰かが大笑いし、廊下を走る足音に、どこかの扉を乱暴に閉める音が重なる。
薄い壁では全部伝わってくる。
「少しは遮れ……!」
ノイエルデでは急速にインフラ整備が進んでいた。電気は通った。水道も来た。蛇口をひねれば水が出る。大いに結構。
下水はまだだ。
汲み取り式の便所へ向かうたび、ユリウスは故郷を思った。
帰りたい。
任務を果たして帰還したい。
静かな部屋で眠りたい。
最後の一つが、日に日に切実になっていた。
集めた機密情報は記録媒体へ保存した。発見された場合に備え、ダミーも用意してある。
本物を隠し、ダミーを忍ばせ、鞄を閉じる。
船へ正面から乗り込むつもりはない。
再び貨物に紛れる。
人間として乗れないのなら、荷物として運ばれればいい。
ユリウスは鞄を握りしめ、騒々しい宿舎を後にした。
─────
潜り込んだコンテナの中は薄暗かった。
扉を閉め、鞄を抱える。積まれた箱の隙間へ身体を収め、頭を低くした。
このあたりの動作は、ずいぶん手慣れてきた。
膝が当たらない位置もわかる。揺れた際、どこへ肩を預ければいいかも心得ている。
ガコン。
コンテナが持ち上がった。
ユリウスは即座に踏ん張った。
横揺れ。続いて、小さな縦揺れ。
箱の角を避け、滑りかけた鞄を押さえる。前回はこれが顔へ飛んできた。今回は飛ばさない。
前回の経験が生きていた。
輸送中、誰にも発見されなかった。
悲鳴も上げなかった。
頭もぶつけていない。
やがて振動が弱まり、コンテナが停止した。
ユリウスはしばらく耳を澄ませた。
人の声。機械の駆動音。
慎重に立ち上がり、扉へ手をかける。
「……よし」
ガラッ。
ヘルメット。
建築資材。
建設機械。
作業員。
この流れ、既視感を覚える。
「お、新入りか!?」
「…………」
「ちょうど人手が足りなかったんだ」
「違う!」
差し出されたヘルメットを、ユリウスは反射的に受け取った。
作業員が満足そうにうなずく。
「よし、こっちだ!」
「違うと言っている!」
─────
輸送先を間違えただけだ。
ユリウスは、そう結論づけた。
今回は無事に工事のボランティアからの逃走に成功した。
潜入そのものは成功している。輸送中にも発見されなかった。以前より揺れにも対応できていた。
問題は、扉を開けた先が二度目の工事現場だったこと。
そこだけだ。
ノイエルデの開拓が始まって、そろそろ五ヶ月。
ヴァルテンベルク家公女エレオノーラの指揮のもと、あちこちで工事が進んでいる。道路も建物も日々増えていたが、何もかもが揃ったわけではない。
宇宙船を浮遊状態のまま係留できる本格的な宇宙港は、いまだ建設中だった。
惑星の外へ出るには、自力で離着陸できる船に乗る必要がある。
領府の連絡船。企業の商船。貨物輸送船。
狙うべきは、そうした船へ積み込まれる貨物だ。
建築資材に紛れれば、工事現場へ行く。
「……当然だな」
ユリウスは眉間を押さえた。
当然だった。
次は間違えない。
─────
今度は慎重に選んだ。
貨物の行き先を確かめ、運ばれる方向を見極める。目についた箱へ飛び込むような真似はしない。
これだ。
今度こそ、宇宙船へ運ばれる。
ユリウスは周囲を確認し、コンテナへ滑り込んだ。
バタン。
扉を閉める。
鞄を抱え、腰を落とす。
もはや落ち着く姿勢だった。
ガコン。
輸送が始まった。
ガタガタと床が揺れ、外で大きな機械が唸る。
先ほどより音が重い。
近くで何かが動くたび、コンテナの壁まで低く震えた。金属の軋む音。大型設備の稼働音。
ユリウスの口元が緩んだ。
(今度こそ船だ)
工事現場とは違う。
こんな大掛かりな設備を使う場所なら、間違いない。
鞄を抱える腕に力が入った。
ようやく帰れる。
機密情報を持ち帰り、任務を終え、風呂に入り、静かな部屋で眠るのだ。
振動が止まった。
ユリウスは顔を上げた。
しばらく待つ。
外から聞こえる足音が遠ざかったところで、そっと立ち上がった。
扉へ手をかける。
バタン。
巨大な梁が見えた。
高い天井を支える鉄骨。
大型の整備設備。
広い格納空間。
そして、ずらりと並ぶ騎士機。
「…………」
騎士機の足元にいたパイロットが顔を上げた。
隣の整備兵も振り向いた。
軍服姿の男が手を止めた。
近くにいた騎士と、目が合った。
「何者だ!」
「密航者か!」
「間違えました!」
バタン。
ユリウスは扉を閉めた。
しん……。
鞄を胸へ抱き寄せる。
ノイエルデでもかなりの機密エリアに入ったようだ。
何も見なかった。
見なかったので。
「出てこい!」
扉が激しく叩かれた。
「開けろ!」
「…………」
ユリウスは鞄を置き、両手で扉を押さえた。
肩もつけた。
足を踏ん張った。
外で、声が低くなる。
「離れろ」
ユリウスはさらに力を込めた。
ここを開けられるわけにはいかない。
今、開けられたら終わる。
外側で騎士が腰のエーテルソードを抜いた。
機構へ魔力を通すと刀身に青白い熱光が灯る。
次の瞬間。
ギャリギャリギャリッ!
「…………っ!」
顔のすぐ横から、青白い刃が生えてきた。
ユリウスは首を引っ込めた。
鼻先を熱気がかすめる。
刃はそのまま金属板を焼き切り、眩しい光の筋を引いて下へ走った。
「待っ……!」
壁が裂ける。
ユリウスは扉から飛び退き、鞄につまずいた。
尻もちをついた目の前で、切り開かれた金属板が外へ引き剥がされる。
「動くな!」
騎士たちが踏み込んできた。
ユリウスは両手を上げた。
逮捕。
─────
身元の確認は取れた。
学校教師、ユリウス・フォン・アイゼン。
なぜ教師が貨物コンテナに潜んでいたのか。
なぜ騎士機の並ぶ格納空間へ入り込んだのか。
なぜ扉を閉めたのか。
聞かれることは多かった。
スパイの疑いについては別途確認するものとして、まず勤務先へ連絡が入った。
その後、学校へ戻された頃には、ユリウスは歩くだけで精いっぱいになっていた。
腕が重い。腰が痛い。
目を閉じると、顔の横を走った青白い刃が見える。
校長室の椅子に座らされ、ようやく息をついた。
机の向こうでは、禿頭の校長が腕を組んでいた。
深いため息。
「困りますよ、アイゼン先生」
「……はい」
「無断欠勤は」
「…………」
ユリウスは顔を上げた。
校長は厳しい顔をしていた。
「最近の若い人は、すぐ職務を放棄する」
「はい」
「ここは開拓地なんです。年齢や性別、人種や国籍にとらわれず、皆で力を合わせていかなければならない」
「はい……」
「一人が勝手なことをすれば、そのぶん誰かが困るんですよ。あなたが来なければ、授業はどうなるんですか」
「……申し訳ありません」
「謝ればいいという話ではなくてですね」
ユリウスは膝の上で手を揃えた。
校長は椅子へ深く座り直した。
「私の若い頃なんて、戦後で本当に大変だったんですよ」
ユリウスの視線が、わずかに下がった。
「物資もありませんでしたしねえ……教師だって足りなくて……」
「はい……」
「教科書も人数分なくて……電気も昼から夕方は止まって……」
「はい……」
「それでも皆で工夫して、子供たちを教えたものです」
校長は懐かしそうに目を細めた。
ユリウスはうなずいた。
「そもそも開拓というのはですね」
また話が戻ってきた。
ユリウスは机の木目を見つめた。
右端に、丸い節があった。
「私たち一人ひとりの努力が、この星の未来を作るんですよ」
「はい……」
「あなたも教師なら、子供たちの手本にならなくては」
「はい……」
「私の若い頃はね、お国のために……」
また話がワープした。
校長の若い頃へ。
ユリウスは木目の節を見つめ続けた。
もう、そこ以外を見る気力がなかった。
校長の話には、まだ終わりがなかった。
「これだから最近の若い人はすぐ逃げ出す」
「…………」
「聞いてますか?」
「……はい」
「では、今言ったことをもう一度」
校長が、深く息を吸った。
「いいですか。まず、ここは開拓地なんです」
ユリウスの目から、最後の光が消えた。
ノイエルデ脱出RTA。
脱出記録、いまだ完走なし。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
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