17 見込みアリ?ナシ?
「エラちゃん、今日は縁談のお話が三件来てるわよー」
執務室の通信画面で、母がにこにこと笑っていた。
「またですの!?」
エレオノーラの隣で、ディートリヒが書類を一枚めくった。
その一枚から、先へ進まなくなった。
「でも、ちょっとうちとは、ほら。大人の事情が合わないから、断っておいたわ」
「そうでしたの」
(派閥ですわね)
エレオノーラは納得した。
一方、セリーンは手元の縁談資料を伏せた。
派手に婚約を破棄された娘なら、以前より条件を下げると思われているらしい。今までなら申し込んでこなかった家まで、急に元気になっていた。
添えられた美辞麗句をめくれば、ヴァルテンベルク家の財産への熱意が透けて見える。
(ちょっと格下すぎるかしら……)
次の一件を見る。
(こちらは、エラちゃんより領地と結婚したそうねぇ)
最後の一件も伏せた。
紹介できそうな青年は、本日もいなかった。
「変な男の人には気をつけてね」
「心配しすぎですわ」
「そういう子が心配なのよ」
通信が終わると、ディートリヒの書類が、ようやく次のページへ進んだ。
─────
後日。
書類。
バインダー。
書類。
バインダー。
書類。
端末にはメッセージ。
その間に、スーツ姿のエレオノーラがいた。
「ディートリヒ、そちらを」
「はい」
「こちらはネーベルへ」
「もう置く場所がありません」
「上に」
「高さにも限度があります」
別の机では、紫髪の美青年が眼鏡を押し上げていた。
アドリアン・ネーベル。
机の上にあるのは、監査する書類と、計算する書類と、なぜ自分が処理しているのか分からない書類である。
なお、このところあまりにも大量に細かい字を見るため眼鏡をかけ始めた。視力低下を労災認定してほしい。
(無料でメガネ差分がもらえるだなんてお得ですわ〜!)
ガッツポーズをするエレオノーラ。
応接ソファではアクセルが寝ていた。
なぜ本業の商人の仕事をしていないのか。誰も尋ねない。
「お嬢様、お客様です」
セバスティアンの声に、エレオノーラは書類の脇から顔を出した。
「お通しして」
やって来たのは、伯爵家の令息だった。
どういう経路をたどったのか、母の厳しい選別をすり抜け、本人まで到達したようだ。
青年は部屋を見た。
書類を見た。
ソファで寝ている眼帯男を見て、一度だけ足を止めた。
「どうぞ。お掛けになって」
「あ、いえ。本日は、ご令嬢に直接お伝えしたいことがございまして」
青年は居住まいを正した。
「もしよろしければ、将来を見据えたお付き合いを」
「わたくしと結婚!?」
ディートリヒのペンが止まった。
ネーベルのペンは止まらなかった。
それどころではなかった。
「はい。そのようにお考えいただけましたら」
エレオノーラの目が輝いた。
青年の顔にも、期待が浮かぶ。
「では!」
どん。
机の端へ、バインダーが置かれた。
どどん。
その上へ、さらに二冊。
どどどどん。
青年は一歩下がった。
「この仕事の四分の一ほど、引き受けてくださいますの!?」
がたんっ。
ネーベルが立ち上がった。
「私の負担が減るんですか!?」
「……え?」
青年は、輝く令嬢と、急に立ち上がった眼鏡の男を交互に見た。
「結婚とは、家同士で支え合うものでしょう?」
「ええ、それは」
「でしたら当然、領地経営も分担していただけますわよね!」
エレオノーラはバインダーを開いた。
「こちらが移民申請。こちらは区画整理。予算書、インフラ計画、企業誘致、それから学校建設ですわ」
「学校」
「港湾整備と軍備もございますけれど、ご専門に応じて」
「専門」
「苦情処理もあります」
「それは私からもお願いしたいですね」
ネーベルまで書類を持ってきた。
青年の前に、仕事の山脈が形成されていく。
「いや、その……私が申し上げているのは、お付き合いの」
「財務はできます?」
「多少は」
「まあ! 行政経験は?」
「いえ、まだ」
「企業折衝は?」
「あの」
「移民政策へのご理解は?」
「その」
「軍務経験はなくても構いませんわ! 人材管理だけでも!」
「おぉ……」
青年の語彙が失われる。
背後ではセバスティアンが、静かに紅茶を淹れていた。
茶葉が開くより先に、縁談が閉じそうだった。
─────
閉じた。
「なぜ帰ってしまわれたんですの?」
エレオノーラは、客のいなくなった入口を見つめた。
「せっかく仕事が減ると思いましたのに!」
「……期待してしまいました」
ネーベルが、自分で運んだ書類を自分の机へ戻した。
仕事は減らなかった。
残念でならない。
─────
「……結婚って、そういうものなんですか?」
ディートリヒが、セバスティアンへ小声で尋ねた。
「少なくとも、お嬢様にとってはそうなのでしょう」
彼は机を見た。
移民申請。予算書。学校建設。
その他、たくさん。
しばらく眺め、それからエレオノーラへ向き直る。
「四分の一でよろしいのですか?」
「え?」
エレオノーラが顔を上げた。
「現在でも、その程度でしたらお手伝いできるかと」
そう言って、ディートリヒは手近なバインダーを取った。
「こちらは、いつもの確認作業ですよね。これと、こちらでしたら」
もう一冊取った。
エレオノーラの前が、少し空いた。
「まあ……!」
「ぶっ」
ソファから、音がした。
「げほっ、げほっ……!」
寝ていたはずのアクセルが、口元を押さえて肩を震わせていた。
「あら。起きてらしたの?」
「いや……今、ちょっと……っ」
ディートリヒと、執事の笑顔を見比べる。
またむせた。
「大丈夫ですか、ヴォルフ氏」
「お前、ほんと……げほっ!」
心配されて、余計に駄目になったらしい。
セバスティアンは何事もなかったように、エレオノーラの前へ紅茶を置いた。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがとう。ディートリヒ、こちらもお願いしてよろしくて?」
「はい。お預かりします」
バインダーが、また一冊移った。
ディートリヒは、仕事を引き受けただけのつもりでいた。
セバスティアンは、黙ってその光景を見ていた。
そして、にこりとした。
(やはり、見込みがありますね)
仕事を見て逃げた者と、仕事を見て持っていった者。
分かりやすい。
(あとは……)
戦功を立てれば、叙爵の道が開ける。
(大規模な戦でも起これば早いのですが)
縁談を整えるための検討が、一瞬で戦争まで進んだ。
セバスティアンの笑みが深くなった。
─────
この一件は、のちにセリーンの耳にも届いた。
「エラちゃんへの縁談は、まず私を通してね」
通過条件は、さらに厳しくなった。
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