15 作文
「では、作文の提出を」
セバスティアンが手を差し出した。
「テーマは恋文でしたね」
ディートリヒは机を見た。
白い紙があった。
真っ白である。
「……何もできなくて……」
「今まで恋愛をしたことは?」
「……」
「教本はお読みにならなかったので?」
「ああ、それが……すみません。忙しくて。三十ページまでなら読みました。その……疲れて寝てしまって」
言いながら、声が小さくなる。
昨日、救難信号を受け取った先で、ワイバーンと戦闘になった。
そして恋文は、一行も書けなかった。
「構いません」
ディートリヒが顔を上げる。
セバスティアンは優しく微笑んでいた。
「いきなり作文は、少し難易度が高すぎたようですね」
「あ、はい。俺も、もう少し基礎からなら……」
「ええ。そのようにいたしましょう」
くるり。
ホワイトボードが回った。
ディートリヒの笑顔が消えた。
文字。
上から下まで、端から端まで、びっしりと文字で埋まっていた。
季語。押韻。比喩表現。色彩表現。花言葉。恋愛詩の定型表現。
基礎が、壁になっていた。
「……これを?」
「はい」
薔薇。
サルビア。
アネモネ。
チューリップ。
赤い花が多い。
赤。緋。紅。深紅。真紅。
とにかく、やたらと赤い。
隣の欄へ目を移す。
翡翠。
エメラルド。
緑青。
青磁。
若葉。
翠玉。
今度は緑だった。
「……色が偏っていませんか」
「まずは身近なものから」
「身近」
「思い浮かべやすいでしょう?」
真紅と、エメラルド。
ディートリヒは口を閉じた。
セバスティアンの笑みが深くなる。
「まずは、頭に詰め込みましょう」
「…………はい」
─────
一時間後。
ディートリヒは、緑色というものが少々嫌いになりかけていた。
翡翠。若葉。エメラルド。
赤も赤で済まない。真紅に緋色に薔薇の色。
色鉛筆なら、とっくに全部箱へ戻している。
「では、確認いたしましょう」
セバスティアンが手元の紙を伏せた。
「『美しい緑の瞳』を、詩的に表現してください」
簡単なはずだった。
一時間もやった。翡翠を使えばいい。そこに、先ほど覚えた表現を足せばいい。
緑の瞳。
こちらを見上げる、お嬢様の。
笑っている顔。
「……緑です」
「もっと捻りを」
一時間が消えた。
「では、翡翠を使って」
「翡翠のような……目」
「瞳です」
「瞳」
「もう少し感情を」
「綺麗な」
ディートリヒは紙を見た。
伏せられている。
援軍は来ない。
「覚えたんですが」
「ええ。では、どうぞ」
「…………」
頭の中で、お嬢様が笑っている。
少し待っていただきたい。
今は試験中だ。
「では、赤を」
話題が変わった。
助かった。
「赤い扇」
「ずいぶん具体的ですね」
「身近なものからって言ったの、あなたでしょう!」
「ええ。身近なものをお選びになりましたね」
機嫌がよかった。
教える側なら、もう少し残念がるべきではないのか。
「次は花言葉です。赤いチューリップ」
「……愛の告白」
「正解です」
「おお」
ようやく当たった。
背筋が伸びたところへ、次の問いが来る。
「では、それを誰に贈りますか?」
「問題が変わってませんか!?」
「実践問題です」
「基礎の確認では!?」
「順調ですので」
「さっき作文に戻ったばかりですが!?」
セバスティアンは微笑んでいた。
間違いない。
この男、楽しんでいる。
─────
授業が終わる頃には、ディートリヒは机に両肘をついていた。
目の前には、書き込みだらけの紙。
真紅。翡翠。薔薇。エメラルド。
最初はただの色や花だったはずなのに、見返すたび、同じ人が浮かぶ。
セバスティアンは教材をまとめ、涼しい顔で退室した。
一人になる。
ディートリヒはしばらく扉を眺め、それから机の端へ手を伸ばした。
恋文用の紙。
こちらは、まだ真っ白だった。
ペンを持つ。
覚えた言葉を眺める。
紙へ目を戻す。
また眺める。
やがて、そろそろとペン先を下ろした。
一行。
「緑の瞳は、きれいだと思います」
書けた。
読み返した。
顔が熱くなった。
慌てて紙を伏せ、両手で頭を抱えた。
「……無理だ」
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