8 開拓ちょっと前進?
今日も鏡の中には、美少女がいた。
エメラルドの瞳に、きつめのつり目。黙っているだけでも可愛いより強そうと感じる顔である。
その背後で、メイドがはちみつ色の髪をきっちりと結い上げていく。
顔はよし。髪もよし。
エレオノーラは立ち上がり、ツナギの腰を整えた。
服は今日も、これである。
ドレスは裾が汚れる。
スーツも汚れる。
靴など一度外へ出れば、土と泥で元の色が分からなくなる。
結果、ブーツと白と赤のツナギに落ち着いた。
十八歳の領主にして、帝国三大公爵家の令嬢。
エレオノーラ・フォン・ヴァルテンベルクは、今日も剥き出しの土の道を颯爽と歩き、仮設役所へ出勤した。
─────
「おはようございます。本日のご予定ですが」
執務室では、ディートリヒが予定を読み上げていた。
顔が良い。
姿勢がいい。
制服が似合う。
朝の光を受けた灰金の髪も、実によい。
朝から推しの摂取。
「午前中は現地の視察、その後は」
「ん〜」
エレオノーラは椅子に腰を下ろし、うっとりと耳を傾けた。
(非常によいお声。そして美形。制服。健康にいいですわ!)
にまぁ。
「お嬢様。顔面が崩れております」
「あら、ごめんあそばせ」
ぱっと扇を開いて隠す。
ディートリヒが、手元の予定表から顔を上げた。
「あの、聞いていましたか?」
「いえ、まったく! 美声を堪能しておりましたの!」
声は届いていた。内容が残っていなかった。
ディートリヒは一度、ゆっくり息を吐いた。
「では、初めから……」
「お嬢様、ポスターが届きました」
「まあ!」
「げ」
セバスティアンが広げたポスターには、爽やかに微笑むディートリヒがいた。
《その翼を、ヴァルテンベルクで。》
歯が、きらりん。
エレオノーラは扇を閉じ、身を乗り出した。
「保存用と観賞用と布教用に、各種三枚。わたくしのお部屋へ」
「そんなにいるんですか⁉」
「ええ!」
「おそばにおりますが」
セバスティアンが、本人を示した。
エレオノーラも本人を見た。
本人は、困った顔をしていた。
「でも、午後は訓練やらなんやらで、いないでしょう……」
少し残念そうな声に、ディートリヒが口をつぐむ。
「では、お部屋にご用意いたします」
「お願いいたしますわ!」
話がまとまった。
「待ってください。俺がいない間、あれを部屋に?」
「あなたがいても飾りますわよ?」
「いても!?」
エレオノーラは満足げにポスターを眺めた。
紙のディートリヒは、何も言わず微笑んでいる。
「それで、本日のご予定ですが」
生身のディートリヒが、予定表を持ち直した。
諦めと切り替えは早い。
─────
街へ視察に出ようとしたところで、エレオノーラの肩に赤いマントが掛けられた。
「……ツナギに、これですの?」
背中には、剣を携えた騎士の兜。その後ろに鷲の翼、ヴァルテンベルクの紋章がある。
足元は作業用のブーツ。
肩には公爵家の威光。
「紋章が汚れてしまいますわ」
「遠目からでも、ご領主様と一目で分かるように」
「それもそうですわね」
─────
「領主様、おはようございます!」
「おはようございます。今日もよいお天気ですわね」
役所前。もともとこの星に住んでいた人々が声をかける。
元犯罪者と聞けば物々しいが、今は笑顔で挨拶をしてくる住民たちである。
「今日もツナギなんですね」
「動きやすいんですの」
「でも、後ろはすげえなあ」
「あれがご領主様かぁ」
仮設市役所の前の広場で軍人が元の住民たちを集め、立ち退きと移転先について説明していた。
「インフラも順次復旧します。星間ネットワークも整備予定です。ただし、まだ当面は不便が続きますので……」
「星間ネット?」
「つながるようになるんか?」
人垣がざわつく。
「閉鎖され、破壊されていた旧宇宙港は解体します。新しい宇宙港を建設する予定です」
「あそこ、直すんじゃねえのか」
「新しく造るんか」
「港まで新品かあ」
軍人は資料をめくった。
「あと、三親等以内のご家族で百年居住された場合、土地の永久所有権が認められます」
住民たちが黙った。
一人が、赤いマントのエレオノーラを見る。
「……神か?」
「女神では?」
エレオノーラは扇の陰で、セバスティアンへ囁いた。
「わたくし、領主から女神に位が上がりましたわ」
「領主様で結構でございます」
前の方にいた老婆が、小さく手を上げた。
「おら、仮設住宅でいいだ」
その向こうには、新品のコンテナハウスが並んでいる。
「おらも、あっちがいいな」
「窓、ちゃんと閉まるんだべ?」
「騙されるな!」
後ろから男が声を張り上げた。
皆が振り向く。
「いいことばっかり言いやがって! そうやって俺たちを追い出す気だろう!」
軍人は資料を持ち直した。
「なお、立ち退いていただけない場合は、強制執行となります」
「ほら見ろ!」
「何の権限があって!」
別の住民まで声を上げる。
「領主権限ですが」
軍人は、すぐ答えた。
赤いマントに視線が集まった。
エレオノーラは、静止した。ちょっと気まずい。
「新しい仮設住宅へ、強制的に引っ越していただきます」
「……」
声を上げた住民が、振り返った。
今の家。建築も素人の住民たちの手作り木造住宅。崩れかけの壁。
継ぎ足した屋根。
傾いた戸口。
次に、コンテナハウスを見た。
新品。電気あり。水道もこれから。
星間ネットも整備予定。
宇宙港まで新しくなる。
そのうえ、この星に百年住めば土地が自分のものになるという。
住民は腕を組んだ。
しばらく、難しい顔をした。
「……強制なら仕方ねえな」
隣の男が重々しくうなずいた。
「領主権限だもんな」
「逆らうわけにいかねえべ」
「おら、荷物まとめてくるだ」
老婆がさっさと立ち上がった。
「お前ら切り替え早すぎるだろ!」
反対派の男の叫びを背に、住民たちはそそくさと新品の家を見に行った。
─────
惑星ノイエルデ軌道上。
《ヴァルテンベルク》では、今日も人事部が移民と採用希望者の初期審査に追われていた。
宇宙基地と連携し、審査を分担。
入国対応の体制も決まった。
決まったからといって、暇になるわけではない。
「シュミットさん、お嬢様はどこだい?」
白髪の老女が、艦内を早足でやってきた。
レア度はR、会計担当のイルゼである。
「お嬢様なら、一昨日こちらの様子を見に帰還されたあと、昨日の朝一番で地上に戻られましたよ」
副艦長シュミットが答えると、イルゼは天井を仰いだ。
「ああもう! あたしもすぐに行くよ! 通信が不便すぎるよ!」
シュミットは、ふっと笑った。
イルゼが睨む。
「何が面白いんだい」
「思っていたより、開拓がうまくいっているようで」
「うまくいってるのは一割だよ!」
即答だった。
「残りは赤字と素材不足と人材不足! 人が来たら家が足りない、家を建てようとしたら素材が足りない、素材が来たら今度は運ぶ人が足りない!」
イルゼは端末を持ち上げた。
「AIですら『回線パンク』『接続不良』って口答えばっかりだよ! 役に立ちやしない!」
画面には、くるくる回る表示が出ていた。
「ほらね!」
「……お嬢様のお言葉を借りるなら、そのうち人工衛星を提供してくれる企業が出るといいんですが」
「その企業を待ってる間にも、支払いは来るんだよ!」
イルゼは端末を胸へ抱え直した。
「シュミットさん! 早く地上へ行かせておくれ!」
「すぐに手配を。地上へ下ろす建築機械と一緒になるかもしれませんが」
「構わないよ!」
─────
輸送の手配をしながら、シュミットは口元を緩めた。
開拓命令を受け取ったのは、エレオノーラがまだ昏睡状態にあった頃だ。
公爵は、娘が開拓を投げ出した場合まで考えていた。
婚約者との一件で傷ついた心。
突然背負わされた重圧。
経験のない仕事。
十八歳の令嬢に、惑星を一つ任せるのである。
普通なら、まず任せる方を止めたい。
もし彼女が動けなければ、艦長たちが主体となるはずだった。
都市型移民船を兼ねる巨大空母≪ヴァルテンベルク≫を地上へ下ろし、艦そのものを開拓都市として利用する。
ところが、エレオノーラは投げ出さなかった。
腹を立てた。
そして、その勢いで立ち上がった。
皆が誇りを持てるようにする。
開拓を成功させ、帝都へ凱旋する。
言った本人は、領主としても開拓者としても新米である。
そのうえ、百年居住で土地を永久所有できるという、異例の政策まで打ち出した。
人が来た。
企業も来た。
宇宙基地まで来た。
最後のものは、さすがに誰も想像してなかったが。
数か月で、シュミットもすっかり彼女のファンになっていた。
どんな町ができるのか。
この星が、どんな場所になっていくのか。
見届けるのが楽しみだった。
と、その時。
端末に、新たな通知が入る。
移民審査の厳格化について。
さらに一件。
ノイエルデ開拓領府への会計監査役派遣について。
シュミットは笑みを引っ込め、画面を見下ろした。
楽しみよりも、仕事は増加していく。
─────
「くしゅん」
地上で、エレオノーラが小さくくしゃみをした。
「お嬢様?」
「お加減が?」
「何か羽織るものを」
セバスティアンが顔を覗き込み、メイドたちが一斉に動きかける。
「いえ、地上の砂埃がひどいだけですわ」
エレオノーラはハンカチを鼻に当てた。
「さあ、執務室へ参りましょう」
そう言って歩き出し、足を止めた。
「……役所、あちらではありませんでした?」
「本日はこちらでございます」
セバスティアンが示した先に、コンテナユニットが並んでいた。
仮設役所はコンテナ式だ。
動かせる。
そして、実際によく移動する。数日で位置が変わっているのだ。
「便利ですけれど、出勤先はもう少し落ち着いてほしいですわね」
エレオノーラは新しい位置の入口へ向かった。
扉を開け、執務室に入る。
机には、決裁待ちの書類が積み上がっていた。
端末を開けば、こちらにも大量のデータ。
「今日も書類だらけですわー」
役所が移動しても、書類はきっちりついてくる。
エレオノーラは椅子に腰を下ろし、一番上の書類を引き寄せた。
その横で、メッセージを確認していたディートリヒの眉が上がった。
「お嬢様!」
「なんですの?」
ペンを手にしたまま、顔を上げる。
「監査役が帝都からまいります」
エレオノーラの手が止まった。
「監査役!?」
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