11 ログインボーナスですわ!
「今日はツナギを着ますわ!」
エレオノーラは宣言した。
今度は測量ではない。本格的な現場視察である。
ドレスでは裾が邪魔になる。スーツでも泥と埃は避けられない。ならば、最初から汚れてよい格好で行けばいい。
初めは整備員達が着るようなものを着用していたがすぐにエレオノーラ専用の白と赤を基調としたツナギが仕立て上げられた。
髪をまとめ、袖を整え、靴を履き替えたところで、連絡が入った。
「補給艦が到着いたしました」
「まあ! お父様からログインボーナス⁉」
エレオノーラの顔が輝く。
「いえ、初心者ボーナスかしら! どちらにしても大歓迎ですわ!」
「それと、奥様が」
「……お母様?」
─────
「エラちゃん、ママよー!」
補給艦には、資材と物資と母が載っていた。
エレオノーラは、思わず母の周りへ目を凝らした。
黄色い枠が見える。
ゲーム的に言えば、十分に優秀だが最高レアではない、そういう位置付けの枠。
だが、目の前の女性は、輝くような黄金の髪に、宝石のような青い瞳、透き通るような肌をした、文句なしの美貌を持っていた。
(レアリティと美貌が、まったく比例しておりませんわ……!)
「お母様⁉」
「様子を見に来ちゃった」
セリーンは娘を頭から爪先まで眺める。
「あら。お出かけ?」
「地上の視察ですわ。ですが、お母様がいらしたのでしたら――」
「ママも一緒に行くわね」
─────
飛行艇の窓下に、ノイエルデが広がっていた。
森の向こうに海がきらめき、雲の影が岸辺を渡っている。地上には道と区画が引かれ、仮設住宅の屋根と資材置き場が並んでいた。
「きれいなところねえ」
「上から見ると、そうですわね……」
高度が下がると、町ではなく、町になる途中の工事現場だと分かる。道路は途中まで、建物は骨組みまで。溝には管が並び、運搬車が互いの通過を待っていた。
「……まだ領地というより、工事現場ですわね」
「ずいぶん大きな工事現場──」
ディートリヒが呟き、すぐに言い直す。
「……ですね」
セリーンが彼を振り返った。
「あら、あなたが――」
「ディートリヒ・バウアーです。奥様」
背筋を伸ばした彼を、セリーンは微笑みながら眺める。
「いつもエラちゃんがお世話になっているのね」
「い、いえ。こちらこそ!」
「そう」
ディートリヒはますます姿勢を正した。
─────
飛行艇を降りると、土と木材の匂いに槌の音や車輪の音が重なった。
初めて測量に来たとき、ここは病に見舞われた廃墟だった。崩れた建物の間には草が伸び、元総督府は蔦に覆われ、魔導炉も道路も水道も止まっていた。
前任の総督は危険な病が流行り出した時真っ先に逃げ出した。未開の惑星の未知の病気だ。恐ろしかったのはわかる。それはそれとして逃げ足だけは天下一品だったらしい。
かつて一万人ほどいた住民は散り、残った人々は畑を耕し、狩りをして暮らしていた。そこへ降り立った十八歳の小娘を、彼らはやっとまともな首長が来たとして歓迎した。
(これでまともな領主とはどういうことですの……)
「お嬢様、こちらへ。踏み固めてあります」
「ツナギで正解でしたわ」
彼女は足場を移り、担当官の図面を覗き込む。
「あちらは?」
「水道です。その先が電力と魔力の供給設備、右手が仮設居住区です」
「左は?」
「道路工事です」
「奥は?」
「新しい領主邸の建設予定地です」
指さす先は、どこも工事中だった。
元総督府では蔦の除去と解体が進み、資材の間を作業員が行き交っている。
「こちらの資材は今朝の分ですの?」
「はい。ただ、次の区画まで回すには足りません」
「補給艦の積荷と照らして、不足分をまとめてくださいませ」
「承知しました」
すぐ隣から別の図面が差し出された。
区画整備も設計も、動かせるものは動かしていた。それでも確認待ち、人手待ち、資材待ちが積み上がっている。
図面では隣り合う区画の間に、現地ではまだ木が生えていた。
「……わたくし、まだ何も完成させてませんわ」
エレオノーラは図面から顔を上げた。
道路も、住宅も、水道も、すべて完成予定だ。書類には何度も署名したが、署名だけで屋根が載るわけではない。
それでも、仮設住宅の軒先には洗濯物が揺れていた。家族が戸口で相談し、仕事を終えた男が靴の泥を落とし、どこかの家から食事の匂いが流れてくる。
まだ足りない。
泥まみれだ。
それでも、人々は暮らし始めていた。
「領主様、こちらもお願いします!」
「ええ、今参りますわ!」
エレオノーラは図面を返し、声の方へ歩き出す。数歩進んで振り返った。
「お母様、足元にお気をつけて!」
「ええ。ママは大丈夫よ」
─────
セリーンは、娘の背を見送った。
公衆の面前で婚約破棄され追放された十八歳の娘が、未開の惑星を任された。顔を見るまでは心配だった。
だが今、娘は作業員達の輪の中にいる。
髪をまとめ、ツナギを泥だらけにし、説明を聞けば図面を指し、分からなければすぐ聞き返す。周囲の人々も次々に相談を持ち込み、返事を受けると仕事へ戻っていく。
その表情のなかに翳りはない。
(この子、大丈夫そうね)
「それで、こちらはいつ完成しますの?」
エレオノーラの声が飛んだ。
担当者の返答に、彼女の肩が落ちる。
「こちらも資材待ちですの⁉」
セリーンは口元をほころばせた。
エレオノーラはすぐディートリヒを振り返り、端末を覗き込む。彼は画面を示しながら、足元の資材にぶつからないよう、さりげなく彼女の立つ場所を空けていた。
セリーンは、その様子まで見届けた。
娘の顔だけではない。
仕事ぶりも、そばにいる青年の働きぶりも。
ふと目が合うと、ディートリヒはまた背筋を伸ばした。
─────
夜。
ベッドに寝転がり、エレオノーラは天井を見つめた。
日本の知識によれば、追放されて領地を任された令嬢は、ここから手腕を発揮するはずだった。
貴金属を輸出する。
新しい宝石を見つけ、なんなら自分の名前がつく。
美しい細工の工芸品。手織り物。特産の農産物に、珍しい嗜好品。
前世の知識で化粧品を作れば、貴婦人たちの間で大評判。
領地は潤い、商人が押し寄せ、売上は右肩上がり。
「土地改良の段階ですわ」
今日見てきたのは、土だった。
掘った土。盛った土。これからどうにかする土。
自分の名前をつけるなら、今のところ泥しかない。
エレオノーラは寝返りを打った。
オリジナルブランドの化粧品まで、いったい何枚の決裁書を挟むのだろう。
「……だいぶ先ですわね」
枕を抱え、頬を押しつけた。
今日届いた補給物資も、ただで湧いてきたわけではない。
ログインボーナスと喜んだが、支払っているのはヴァルテンベルク公爵家だ。
資材費。輸送費。人件費。
毎日、自分が承認している金額。
全部で、いくらになっているのやら。
(いえ。少し考えれば分かりますわ)
何しろ、自分で目を通している。
見覚えのある数字をいくつか足したところで、枕を抱える腕に力が入った。
出ていくお金には毎日会うのに、入ってくるお金とは、なかなかお目にかかれなかった。
公爵家だから大丈夫。
そう思って使い続けて、我が家まで傾いたらどうするのか。
いや、すでに傾いてもおかしくないほどの富と人を動かしている。
「何か……何かございませんの……」
大きな産業でなくてもいい。
立派な工芸品でなくてもいい。
今あるもので、少しでも収入になる何か。
ごろごろ。
何も浮かばない。
そもそも、前世で経営学部へ進んだのだって、あちらの父のようになりたかったからだ。
小さな会社ではあったが、父は社長だった。
自分で事業を起こし、会社を経営する。その姿を見て、自分もいつか起業家に、と考えていた。
エレオノーラは枕から顔を上げた。
「わたくしの知識……まっったくチートできませんわー!」
枕へ、もう一度顔を埋めた。
明日も、決裁はある。
土地改良※ 農地のための道路や水路などといった基盤整備の工事。
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