6 赤だらけですわー!
「赤、赤、赤……赤だらけですわー!」
エレオノーラは帳簿から顔を上げた。
次の帳簿が出てきた。
「こちらもです」
「そちらも⁉︎」
「こちらも」
逃げた先にも赤があった。
会計・監査区画。
机を挟んだ向かいで、眼鏡の老女が書類の角を揃えている。
イルゼ・クラマー。
会計・監査担当。青い枠のR。
そのRが、先ほどから公爵令嬢を一方的に追い詰めていた。
「建築費。補給費。修理費。人件費。輸送費」
一枚ずつ、目の前に並べられる。
「各部署からの追加申請が、こちらです」
どさり。
最後だけ、厚みが違った。
「……皆さま、少々欲しがりすぎではなくて?」
「お嬢様が採用なさった方々です」
隣に控えたセバスティアンが答えた。
「採用ガチャは無料ではございません、お嬢様」
「そんな。好きなだけ回せるのでは……」
「お給金が発生いたします」
エレオノーラは、目の前の人件費を見た。
引いたあとも、お金がかかる。
毎月。
(継続課金……!)
「皆さまに働いていただくための設備にも、費用がかかります」
「育成費まで!」
「業務に必要な経費です」
イルゼが、帳簿の一か所を指で押さえた。
「こちらは当初予算を超えています。追加分の内訳を再提出していただきます」
「ですが、必要なものなのでしょう?」
「必要であれば、無制限に支出を認めてよいということにはなりません」
イルゼは淡々と、ただ、逃げ道に一枚ずつ書類を置いてくる。
「優先順位をつけてください。すべて同時に、というわけにはまいりません」
「……はい」
「それから、こちら」
「まだございますの?」
「ございます」
エレオノーラは頭を抱えた。
レアリティはR。
だが勝てる気がしなかった。
─────
会計・監査区画を出ても、赤い数字が目の裏に残っていた。
エレオノーラはスーツの襟元を直し、重い足取りで通路を進んだ。
最近は、ドレスよりもスーツを着る機会が増えている。
艦内の各部署を訪ね、現場の人間から直接話を聞いて回るには、こちらの方が動きやすかった。
もっとも、動きやすくなったぶん、次々と用事に捕まる。
「おい、嬢ちゃん!」
早速だった。
「まあ、シュタインおじいさま?」
黄色い枠をまとった老人が、通路の向こうからやってくる。 SRだ。
オットー・シュタインは、エレオノーラの前まで来るなり、後方を親指で指した。
「なんじゃ、あれは!」
「……あれ、と申しますと?」
「わしの作業区画じゃ!」
もう、嫌な予感がした。
主に予算の方面で。
「こんなの、オフィスにデスクと仕切りがついただけじゃ!」
「お仕事をしていただく場所ですもの」
「何をするんじゃ、あの机で!」
「……書類などを?」
「わしは炉をいじりに来たんじゃ!」
「炉もなければ試験設備もない! 工具も足りん! 技術班もおらん! 机だけあって何になる!」
ごもっともだった。
だが、今しがた見てきた赤い数字も、たいへんもっともだった。
「困りましたわ……新しい設備を用意するにも、予算が……」
「この船には、立派な炉があるじゃろうが」
「そもそも、この船の動力炉へ勝手に人員を配置する権限は、わたくしにはございませんの。そちらはお父様の──」
「机では炉は回らんぞ」
「分かっておりますわ……」
机で頭を抱える仕事なら、今すぐ代わっていただきたかった。
エレオノーラは扇を顎へ当てた。
新しく買うお金はない。
艦の動力炉へ放り込むわけにもいかない。
必要なのは、設備。
工具。
人員。
そして、触れる実物。
「……はっ!」
顔を上げた。
「ありますわ!」
「何がじゃ」
「触ってもよいものが、ふたつ!」
扇を畳み、指を二本立てる。
「地上に、稼働停止中の魔導動力炉がございますの。丸ごと一基」
オットーの眉が上がった。
「ほう」
「どのみち、再稼働させなければなりませんわ。まず調査をしていただいて、修復を。必要なら改良も──」
「現物は見られるんじゃな?」
「ええ」
机を渡したときより、明らかに反応がよい。
エレオノーラは、ほっと息をついた。
そして、もう一つを思い浮かべる。
荷役アームとの事故で中破。
現在、修理中。
すでに整備設備があり、工具があり、整備士もいて、各部を開けている。
ちょうどよいものが。
「もういっこはなんじゃ?」
エレオノーラは、にっこりと微笑んだ。
─────
騎士機ハンガーへ入ると、聞き慣れた工具の音が迎えてくれた。
ディートリヒは、近くの整備士へ手を上げる。
「お疲れさん。どうだ?」
「ああ、来たか。外装は戻ったぞ」
「助かる。ひどい有様だったろ」
「まったくだ。こっちは大仕事だよ」
「悪かったって」
笑いながら、愛機へ近づく。
荷役アームに潰された外装は交換され、損傷した各部も、見慣れた形を取り戻していた。
整備士たちが、できる限り元の状態へ戻してくれたのだ。
ディートリヒは足を止め、機体を見上げた。
公爵家の白と真紅を基調とした配色。
騎士を模した人型可変戦闘機。
「よっ、相棒」
ボンッ。
腰のあたりで、小さな爆発が起きた。
「……」
ディートリヒの目が、まんまるになった。
外装の隙間から、煙が立ち上る。
相棒は、煙で返事をした。
「ちょっと失敗じゃ!」
上から、明るい声が降ってきた。
「ち、ちょっと……?」
開いたコックピットから、煤だらけになった小柄な老人が顔を出していた。
ディートリヒは機体を見た。
老人を見た。
もう一度、煙を見た。
「……何してるんですか!?」
「試験じゃ!」
「俺の機体で?」
「うむ!」
元気いっぱいのたいへんよい返事だった。
ディートリヒは、隣の整備士へ振り向いた。
「何であの人、乗ってるんだ?」
「いや、あのじいさん、結構な権威らしくて」
「権威」
「魔導炉の小型化とか、パッケージングの変更とか。魔力網への接続も見直せるって話でさ」
別の整備士が、端末を抱えて寄ってきた。
「出力を維持したまま効率を上げられるなら、こっちも助かるだろ? ちょうど修理で開けてたし」
「ちょうど」
「今やっちまえば、また開けなくて済むしな」
整備士たちが頷いた。
いつの間にか、話がまとまっていた。
機体の持ち主を除いて。
「いや、煙! 煙出てますよ⁉」
「見えとる!」
オットーがコックピットから身を乗り出した。
「そっちの数値はどうじゃ?」
「一瞬、跳ねましたね」
「ふむ。やはりか」
整備士が端末を掲げる。
オットーが頷く。
ディートリヒは、二人の間を見比べた。
誰も慌てていない。
自分の機体から煙が出ているのに、数値の話をしている。
「あの、直してるんですよね?」
「直しとるぞ」
「今、爆発しましたよね?」
「じゃから、今からそこを直すんじゃ」
修理箇所が増えている気がする。
ディートリヒは口を開けたまま、愛機を見上げた。
さっきまで、外装はきれいだった。
ようやく戻ってきたと思った。
腰のあたりに、うっすら煤がついている。
オットーが、ひょいと顔を出した。
「もっちょい修理延長じゃ!」
「俺の機体で試作機を作らないでくださいよ!」
老人は無表情のまま──
工具を持っていない方の手で、指を二本立てる。
Vサイン。
「聞いてますか⁉」
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