5 わたしはどっち
時はすこし遡る───
「──墾田永年私財法ですわ!」
「な、なんでしょうか、それは」
珍しくセバスティアンが困惑している。
「お待ちになって。いま整理しますわ」
エレオノーラは扇を開いた。
閉じた。
柄を指先で弄びながら、ブリッジの空いた場所を行ったり来たりする。
セバスティアンも、艦長も、船員たちも見ていた。
気にしている余裕はなかった。
(前世の私の暮らしていた国──日本の古代の法律。開墾した土地の永久所有を認める……そう、それですわ)
ここでは、百年。
百年住んで開拓を続けた土地は、永久所有を認める。
帝国には、自分の土地を持たない者が大勢いる。
外国に目を向ければ、土地はすべて政府のものとされ、そもそも個人の所有が認められない国だってある。
(自分の土地になる。それも、子や孫へ残せる広さの土地が)
扇を握る手に、力が入った。
欲しがる者はいる。
こちらには、配りきれないほど土地がある。
(これですわ)
帝国民だけに限る必要もない。
開拓する意思と能力があるなら、外国人も受け入れればいい。
叛乱。独立。
そんな単語が頭をかすめた。
(鎮圧して、土地を取り上げればよろしい)
歩きながら、使えそうな知識を片端から引っ張り出す。
けれど、引き出しを開けるたび、中身が違った。
大学の講義室。
公爵家の書斎。
ノートパソコンの画面と、家庭教師の指す星図。
荳ュ驥偉鄒�──。
文字が、形を結ぶ。
中里偉羅。
(それが、私の名前)
私立の大学二年生に上がったばかり。
経営学入門。組織論入門。マーケティングリサーチ入門。会計学。簿記。教養心理学……などなど。
第二外国語はドイツ語だった。
(入門ばかりですわね!)
これからだったのだ。応用を習うまでに亡くなってしまった。
実務経験はない。卒業までとは言わないが、せめてあと一年、勉強しておきたかった。
(マクロ経済学とやらも、やっておけばよかったようですわね……こちらにもあるでしょうけれど)
では、もう一方は。
淑女教育。
言葉遣い、テーブルマナー、姿勢、目線の使い方、貴族の顔と名前、派閥。教養としての学問。
皇太子妃教育。
帝国史と諸外国の歴史。各国言語。礼法。宗教ごとの禁忌。食卓に出してよいもの、いけないもの。
(こちらは、ほとんど上級外交官の教育ですわね)
使える。
使えるはずだ。
なのに、一般常識となると、途端にどちらも知識が抜け落ちる。
この帝国で暮らしていれば当然知っていそうなことも、分かるところと分からないところがある。
記憶の継ぎ目が、揃っていない。
東京で育った幼い自分を思い出す。
私だ。
公爵家で育った幼い自分を思い出す。
わたくしだ。
家族も、学院も、大学も。
ホリスタも、ガチャも、死ぬ直前の記憶さえも。
どちらを辿っても、自分に行き着く。
他人の記憶を覗いている感じは、少しもしなかった。
(……なるほど。前世というより、二重──)
扇の動きが止まった。
気づけば、周囲は真っ暗だった。
ブリッジも、窓も、船員たちの姿もない。
目の前にだけ、何かがいる。
人の形をしたノイズ。
輪郭も顔も、見ようとするたびに細かく乱れる。
けれど、その向こうからこちらを見ている視界もあった。
あちらに立つ自分。
こちらに立つ自分。
どちらから見ても、相手がノイズに見える。
二人が、同じ方へ首を傾げた。
「どちらがわたくしかしら」
「どちらがわたくしかしら」
声まで重なった。
少し考えた。
分からなかった。
「わからないことに、無駄に貴重な時間を費やすのは浪費ね」
「ですわ!」
がしっ。
差し出した手と、差し出された手が、固く握り合う。
「わかり得ぬことについては沈黙せねばならない。あちらのよき名言ですわ!」
つまり、分からないことを考え続けても時間の無駄。切り上げろということだ。
意味が違う気もする。
(いいんですわ、そんなこと!)
ぱっと目を開けた。
ブリッジだ。
扇は、まだ手の中にある。
セバスティアンが、先ほどと同じ姿勢でこちらを待っていた。
「セバスティアン!」
「はっ」
「各部門を立ち上げますわ! 法律、区画整備、金融、行政。それぞれの専門家を集めて、チームごとに分けてちょうだい!」
セバスティアンの手が、端末へ伸びる。
「それから地上の測量を最速で! 区画を設計いたします! ついでにわたくしたちも元総督府へ向かいます!」
「お待ちください」
声を上げたのは、肩幅の広い女性士官だった。
「自力で大気圏離脱が可能な輸送機を選定し、地上への着陸スケジュールを調整いたします。ご移動は、その後に」
「あなたは?」
「副艦長のシュミットです」
エレオノーラは頷いた。
「分かりましたわ。移動の手配はお願いいたします」
「承知しました」
「セバスティアン。わたくし、軍事は素人です。助言のできる方をつけてちょうだい」
「はっ」
分からないものは、分かる人間に聞けばいい。
そのためにも、まず人だ。
「土地は、配ってもなお腐るほどありますわ。開拓に来る皆様へ配って、開発していただきましょう!」
ぱちん、と扇を開く。
「そうだ! CMも撮りましょう!」
「……宣伝映像でございますか?」
「ええ! 来ていただかなければ始まりませんもの!」
アイディアが、次から次へと湧いてくる。できるかどうかは専門家に投げればいい。
「うふふ。楽しくなってきましたわ!」
セバスティアンが顔を上げた。
「わたくし、自分で会社を立ち上げたかったんですの!」
「そ、そうだったのですか」
「ええ! 一国一城の主に!」
窓の向こうには、丸ごと一つの惑星がある。
エレオノーラは、満面の笑みで扇を向けた。
「でも、ここなら惑星の女王ですわ!」
「開拓領主、です。お嬢様」




