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十時半前に東新宮に着いた。望結ちゃんが朝から何も食べていないというのでセブンイレブンで菓子パンを買ってあげ、タクシーに乗った。望結ちゃんはタクシーの中でがつがつパンを食べた。五分も経たずにアパートに着いた。
アパートのドアに鍵を差し込み、開け、玄関に入った。家の中はしん、としていた。
「美洋ー?」
弟に呼びかけながら、望結ちゃんを中に招き入れ、短い廊下からリビングへ入った。
リビングは先ほど私が出た時とほとんど変わらない状態だった。テーブルには作り置きの料理が昨夜のまま並び、ひとつ空のコップがあった。それからコップの隣に望結ちゃんへのプレゼントが入っている茶色の紙袋。
「美洋いないね」
「そうですね」
私の後にリビングに入った望結ちゃんはきょとんとしていた。
「多分部屋にいると思う。そういえば私が出かける前に、部屋で休んでるって言っていたんだった。ちょっと待ってて、呼んでくるね」
私はリビングにつながっている弟の部屋の前に行った。望結ちゃんがすぐ後ろに控える気配がした。私は部屋のドアをノックした。
「美洋ー? 望結ちゃん来てくれたよ」
中でがさっと物音がして、あと、静かになった。
「美洋? 開けるよ」
私はドアノブに手をかけ、ひねり、一気に中に押し開いた。
ドアを開けると共に弟の散らかった部屋の光景が目の前に広がっていった。その瞬間、
「ぐわああああーっ」
叫び声がして黒っぽい服装に身を包んだ弟が、こちらへ飛び出してきた。
「わっ」
私は思わず身を引いた。弟は私のすぐ後ろに立っていた望結ちゃんに襲いかかった。両手で彼女のふくよかな肩を掴み、かぶりつこうとした。
「きゃああっ」
望結ちゃんが両手を伸ばして弟の顔を押しのけた。
一瞬間前に私に見えた限りでは、眼鏡をかけていない弟の顔中に、ファンデーションではごまかしきれないくらい赤黒く血管が浮き出て、両眼も真っ赤に充血していた。しかしきちんとチノパンにスーツのジャケットを着ているのだった。
(ゾンビ化したんだ! 間に合わなかった!)
私は思い、弟を後ろから羽交い絞めした。
「美洋! やめろ! 望結ちゃんだ! あんたの好きな望結ちゃんだよ!」
私は必死でそう弟に叫んだ。すると弟の体から、力が抜けたのが感じられたのである。「ぐうう……? みゆ、ちゃん……?」
弟はきれぎれになっている意識の中そう声を出した。私はほっとして、羽交い絞めを止め、
「そうそう、そうだよ。望結ちゃん。ほら、そこのプレゼント、あげるんでしょう?」
とテーブルの上の紙袋を指さした。弟は、ぐうう……とまた呻った。私が弟の体越しに望結ちゃんを見ると、彼女が明らかに恐怖し混乱しているのが分かった。
「ごめんね望結ちゃん、がんの症状で――」
私がなんとかその場を取り繕うとした瞬間、
「ぐわあああっ、ずぎだーっ」
そう叫んだが最後再び弟の意識が吹き飛んで、望結ちゃんに襲いかかり、彼女の左の首筋に咬みついた。ぷしゅううう、と望結ちゃんの首元から鮮血がほとばしり、フローリングの床に飛び散った。
「あああああーっ」
望結ちゃんが叫んだ。痛みでぷるぷる体を震わせていた。
「美洋! やめろ! やめっ……うわあああーっ」
私は食卓の椅子の座面に載せてあった大きなフライパンを手に取った。取っ手を両手に持って、頭の上に振りかぶった。
望結ちゃんにがぶがぶ咬みついている弟の後頭部へ、全力でフライパンを振り下ろした。――きちんと縁の部分を下に向けて。




