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いつもの帰り道  作者: 銀花
#05 移りゆく日々の中で
22/33

 菜月は瞼を下ろし、俯いた。

 六年前の、大貴の両親が死んだあの日のことが次々に蘇ってくる。あの日、菜月と大貴は小学六年生で、朱那は高校生で。あの残酷な光景に直面するには、皆幼すぎた。


 俯いたまま顔をしかめた時、待合室のドアが開き菜月はハッと顔を上げた。

 看護師が他の患者の家族を呼び、彼らを連れて出ていく。

 事故に巻き込まれた人は朱那の他にもいて、何人かこの病院に運び込まれている。先程、待合室に入った時に光から聞かされた話で、菜月は気付いていなかったのだが。


――そういえば光……。


 人のいなくなった部屋を菜月は目を動かし、見渡した。手洗いに行くとここを出ていったっきり、光がまだ戻っていない。

 また時計を見上げて菜月は考えた。

 光がいなかったら、自分一人では狼狽するばかりで何もできなかったと思う。彼女の存在がどれほど心強かったか。それなのに自分は光に頼りっきりだ。

 表には出していなかったが、彼女にとってもあの惨状は見るのも辛かったかもしれない。


 そう考えると急に光が心配になってきた。

 菜月はよろめきながら立ち上がりドアへ向かった。ドアを開こうと伸ばした手が届く前に、唐突にそのドアが開いた。

 驚いて顔を上げると、そこには大貴の姿があった。

 突然の出現に思わず呆け、菜月はまじまじと彼の顔を凝視してしまった。彼の表情は感情を押し殺しているように見えた。


 互いに何も言えないままそうしている内に、大貴が僅かに歪んだ笑みを浮かべる。

 その表情を見て、彼が何を言いたいのか菜月は悟った。途端、自分の目に涙が盛り上がってきたのがわかり、気付けば大貴の首に両腕を回してしがみついていた。


 大丈夫だよ、大貴、私がいるから。大丈夫。


 そう口にしたつもりが、小さな嗚咽が漏れるだけだった。


「感動の場面に水を指すようで悪いんだが、朱那の容態は?」


 大貴の後ろからの声に菜月は飛び上がった。慌てて見上げると、少々呆れ顔を浮かべた大和が立っている。


「何で大和がいんの?」


 心底不思議そうに菜月は尋ねた。さっきまでの涙もいずこかへ飛んでいってしまった。


「まあ成り行きだ。で、朱那は?」


「……まだ治療受けてる。意識はなくて……それで」


「あー、いい。要はまだわかってないんだな」


 手をぷらぷらと振り、大和は待合室へ入ってソファに腰を下ろした。彼を目で追いながら菜月は頬を膨らます。

 そっちが聞いたくせに。

 菜月は無言でいる大貴の手を引き、大和の隣に座らせた。


「私、光探してくる。トイレ行ったまま戻ってこないの」


「探しに行かなくてもその内帰ってくるだろうに」


 大和が面倒そうに言う。


「あんたって相変わらず冷たい。そんなんで光と仲良くできてんの?」


「うっせー」


「まあとにかく探してくるわ、ちょっと心配なん――」


「栗原朱那さんのご家族の方はいらっしゃいますか?」


 会話に割り込むように、看護師が待合室に訪れた。一瞬で三人の間に緊張が走る。

「俺です」と大貴が即座に立ち上がった。大貴を見た看護師が僅かに眉をひそめる。


「貴方だけですか? ご両親は……?」


「あ……いえ、うち親がいないので……身内は俺だけです」


「そうですか……治療を行った医師から説明がありますが、お一人で聞きますか?」


 看護師の問いに、大貴は口ごもっていた。その様子を傍らで見ていた菜月は、思わず口を挟んだ。


「大貴、私のお母さん、呼ぼうか? すぐ来てくれると思うけど……」


「いや、佐々木待つ方が早いだろ」


 そう切り返したのは大和で、大貴も「え?」と驚いた表情を見せる。ソファに座る大和を見下ろし、菜月は目をしばたく。


「佐々木ちゃん?」


「ここに来る間に電話しておいた。そろそろ着くんじゃね」


「え……気付かなかった、いつの間に」


 大貴がホッとしたような、また情けないようなため息を吐く。

 静かにこちらの会話を聞いていた看護師が、「その方は?」と尋ねた。大貴は彼女へ振り返る。


「姉の婚約者です……その人も話聞いて大丈夫ですか?」


「ええ、大丈夫ですよ。ではその方がいらっしゃったら、一緒にナースセンターまで来てください」


 そう残して看護師は待合室を後にする。


 彼女を見送ってすぐ大貴は脱力するようにソファに腰を下ろし、小さく呟いた。


「……ありがとう、電話しててくれて。先生のことすっかり忘れてた」


「まあ、別にいいさ」


 大和が軽く肩をすくめた。菜月はその場にしゃがみ、大貴の顔を覗き込んだ。


「大貴、一応私のお母さんも呼んでおくね。今日日曜だし、お父さんもいるから」


「え、いいよ。迷惑かけるし」


 僅かに首を振る彼に、菜月は眉を上げてみせた。


「バカ、迷惑なもんか。迷惑だと思ってる人間が、朱那さんと一緒にバージンロード歩くと思ってんの?」


 菜月は立ち上がって、見くびんないでよねとでも言うように鼻をフンと鳴らした。

 一方で彼は、こちらを見上げてポカンと間抜けな顔をしている。

 菜月は腰に手を当て、再度顔を寄せる。


「わかってないようだから言うけど、私たちは大貴と朱那さんのことを家族のように思ってる。二人とも家族同然に大事なの。覚えときなさい」


 力強く言い放ち、キッと睨みつけると、大貴は気圧されて少し顎を引いた。


「わかった?」


「…………はい」


「よろしい」


 菜月が満足げに頷くと、大和から短い笑い声が聞こえた。二人が同時に振り向いたら、そのことにも彼は笑っていた。


「なんつーか、昔からそんな調子なんだろうなお前ら」


 大和の台詞に、菜月も大貴も「どんな調子?」と声を揃える。


「それ、だ」


 そう大和に指摘され、二人は気まずそうに目配せし合った。


「あれ、南くんも来てたの?」


 唐突に待合室へ入ってきた光が、目をぱちくりとさせて三人を見つめた。菜月は慌てて彼女に歩み寄り、手を取る。


「光、長いこと戻ってこないから、トイレで倒れてるんじゃないかって心配したじゃん!」


「ええ? ああ……ごめんね、スカートが汚れてたから洗ってたの。なかなか落ちなくて」


 苦笑する光の足元を見下ろすと、膝丈のパステルブルーのスカートが結構な範囲で濡れている。

 透けてはいないが、光にしてははしたない格好に見えてしまう。

 いやそんなことよりも、もしや事故現場にいたときに汚したのではないだろうか。

 菜月は眉を下げ、光の目を覗き込んだ。


「光……ごめんね」


「なんであんたが謝るのよ」


 ふっと優しく笑って光は菜月の頭を撫でた。


「気にしなくていいから、ね? そういえば、佐々木先生には連絡した? 婚約者でしょ?」


「佐々木ちゃんには大和がしたって。もうすぐ来ると思う」


「そう。じゃあ先生が着いたら帰ろうかな、私がいてもしょうがないしね」


「うん……家まで送ろうか?」


 小首を傾げてそう尋ねると、光は短く笑った。


「大丈夫だよ。まだ暗くもないし」


「……ああ、そうだね、とても不躾な質問をしてしまった。送るのは彼氏の役目だ」


 真顔でうんうん頷きながら呟く菜月。一方で光は顔を赤らめ反論する、かと思いきや俯いてしまった。


 おやおや、満更でもないようだ。


 ニヤニヤしながら菜月は大和へ振り返る。


「大和ー。私しばらくここに残るから、あんたが光送ってってあげるんだよ?」


「……わかってるよ」


 大和が鬱陶しそうにこちらを睨み、菜月はにこりと笑った。

 こういう友人との何気ないやり取りがとても落ち着く。


「あーなんか安心したらトイレ行きたくなってきた。ちょっと行ってくる」


「えっちょっ……」


 再び光を見ると彼女は困惑しきった顔を浮かべている。この状況どうすんのよ! と言いたげである。

 そんなの知ったこっちゃないので菜月は肩をすくめてはぐらかした。


「こんな空間に俺だけ残して行くなよな」


 背後で大貴がげんなりと呟き、菜月は思わず笑い声を上げた。


「少しだけ我慢してよ、じゃーね」


 それだけ告げて、菜月は颯爽とドアをくぐり抜けるのだった。




 手を洗って外に出ると、ちょうど辿り着いたばかりとおぼしき佐々木と鉢合わせ自ずと声をかけた。


「先生」


「お……おお、篠原。朱那は?」


 酷く狼狽した様子で佐々木に詰め寄られ、菜月は数歩後退る。


「ちょっ、近っ!」


「事故って、車にぶつかられたのか? どんな容態なんだ」


「あー待って待って、そのことはお医者さんから聞いて下さい」


 佐々木を落ち着かせるように、菜月は彼の腕を軽く叩いた。その行為に佐々木はハッとして、大きく息を吸った。それから一呼吸置いて、また口を開く。


「……栗原は大丈夫か?」


「うーん、落ち着いてるようで実は超テンパってるって感じ。先生、大貴と一緒にお医者さんの話聞いてやってね」


「ああ、それは構わないが」

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