第九話
HPとMPが満タンに戻るまでに、魚の群れが三回浅瀬を行き来した。
そのあいだ、あいつは一度も浮かんでこなかった。腹を空かせてるはずなのに、境目の深みでじっとしてる。霊核の熱だけが、ゆっくり脈を打っていた。
待ってるんだろうな。俺がもう一度、境目に来るのを。
いいぜ、行ってやるよ。
ただし、お前が思ってるのとは違うやり方でな。
作戦は単純だ。撃たせる。
あいつは撃つたびに霊核の熱を減らす。減らしきれば撃てなくなる。撃てなくなったところを浅瀬の際まで引っぱり出して、喰う。
問題は、撃たせるたびにこっちも削られることだった。
だから、岩を使う。
境目の手前の、あの大きな岩の陰から、体の端だけをちょこっとのぞかせる。撃たれたら引っこめて、今度は別のところからのぞかせる。
当てさせずに、撃たせる。
魚の群れが境目に差しかかると、あいつが浮かんで群れを呑んで、止まってこっちを向いた。
よし、来い。
岩の右側から、体の端をほんの少しだけ出す。
ばしゃん!
岩の右で水面が弾けた。すぐ引っこめて、左から出す。
ばしゃん!
引っこめて、今度は上から。
ばしゃん!
〈HPが減少しました。HP:36→33〉
うおっ、かすった。硬殻を張る。
〈MP:8→7〉
右、左、また右。ばしゃん、ばしゃん、ばしゃん。
モグラ叩きのモグラになった気分だ。叩かれる側の気持ちが、今ならよくわかる。
撃たせるたびに、熱感知で霊核を見た。下がってる。一発ごとにほんの少しずつ下がって、十発を超えたあたりで、はっきりわかるくらいぬるくなってきた。
〈HPが減少しました。HP:33→30〉
もう一回、硬殻。
〈MP:7→6〉
十五発、十六発。
十七発目が、来なかった。
盛り上がってた水が、境目の縁でぐずぐず形を崩していく。霊核の熱は、最初の半分くらいまで下がっていた。
撃ち止めか?
撃ち止めだな!
ここからが本番だった。
岩の陰から出て、浅瀬の砂の上を境目の縁まで這っていく。あいつの目の前に、わざと体をさらしてやった。
ほら、来いよ。
撃てないなら、呑みに来るしかないだろ。でも浅瀬には入れない。お前が上がってこられるぎりぎりの場所で、俺は待ってる。欲しいなら、限界を越えて来い。越えた瞬間、お前の体は形を保てなくなる。
霊核の熱が、ゆっくり境目の崖を上ってくる。
来た――と思った次の瞬間、あいつの体から何かが伸びてきた。
細い。
本体は深みに残したまま、体の一部だけを細く長く引きのばして、浅瀬の上を滑るように、するすると。
え、ちょっと待っ――
気づいたときには、巻きつかれていた。
〈HPが減少しました。HP:30→26〉
じわっと表面が溶かされて、引っぱられる。深みのほうへ。
やばいやばいやばい!
あいつは浅瀬に入れないから、入らなかったんだ。体の一部だけを細くして、届くところまで伸ばして、獲物を自分の卓まで引きずりこむ。
読みが、ひとつ足りなかった。
砂の上をずるずる引きずられていく。境目の崖の縁が近づいてくる。あの先はあいつの深みで、落ちたら上も下も全部あいつの体だ。
振りほどくか?
溶かせば腕は切れる。でも、切ったところでまた伸ばしてくるだけだ。撃ち止めのあいつが休んで熱を戻したら、今日の作戦は全部やり直しになる。
……待て。
この腕、細いよな?
浅瀬まで伸ばすために、薄く細く引きのばした体だ。そして、あいつの本体につながってる。
霊核まで、一本道で。
――ああ、そういうことか。
お前が作ったのは、俺を引っぱりこむための腕じゃない。
俺を、お前の霊核まで運ぶ道だ。
水化。
〈MP:6→5〉
体がすうっと透きとおる。
巻きついてた腕の中に、俺はそのまま染みこんだ。水と水が混ざるように。
腕の中はあいつの体で、四方から薄い酸が溶かしにくる。
〈HPが減少しました。HP:26→21〉
止まるな。
腕の中を本体へ向かって、流れるように進む。あいつは俺を引っぱりこもうとしてるんだから、その力に逆らわずに乗ってやればいい。
境目の崖を越えた。
冷たっ!
深みの水は浅瀬とは比べものにならないくらい冷たくて、どこもかしこもあいつだった。上も下も右も左も、全部あいつの体で、全部が俺を溶かそうとしてくる。
〈HPが減少しました。HP:21→15〉
水化のままじゃ、溶かされきる。
硬殻!
〈MP:5→4〉
外側だけを固めて、内側は水のまま。固い殻に包まれた水の粒になって、あいつの体の中を落ちていく。
熱感知。
真下に、でかい熱い塊があった。撃ちすぎてぬるくなって、それでもまだ岩並みにでかい霊核だ。
〈HPが減少しました。HP:15→10〉
殻が軋む。
もう少し。もう少し……!
霊核に、触れた。
溶解!
〈溶解を発動します。MP:4→3〉
殻を、霊核に触れてる側だけほどいて、そこから酸を流しこむ。
あいつの体全体が、びくっと震えた。湖が揺れた。
〈溶解を発動します。MP:3→2〉
霊核の表面が崩れて、熱がじゅっと漏れる。
あいつの体が、四方から俺を押しつぶしにかかる。
〈HPが減少しました。HP:10→6〉
離すかよ。ここまで来たんだぞ。
〈溶解を発動します。MP:2→1〉
霊核に、ひびが入った。
〈HPが減少しました。HP:6→4〉
〈溶解を発動します。MP:1→0〉
割れた。
締めつけが、ふっと消えた。
あいつの体がほどけていく。形を保ってた何かがなくなって、ただの水に戻っていく。俺を包んでた酸も、冷たい湖の水に薄まっていく。
〈HPが減少しました。HP:4→3〉
割れた霊核が、目の前でゆっくり冷えはじめた。
冷えたら何も残らない。
喰え。今すぐ!
喰掠の理。
割れた霊核を包んだ瞬間、とんでもない熱が来た。
熱っ……!
今までのどんな獲物より熱い。俺の中でほどけるんじゃなくて、重なってくる。俺の霊核に、あいつの霊核がどさっと覆いかぶさってくる。
小石の上に岩が落ちてきた。重い。熱い。体の芯がみしみし軋む。
そして、流れこんできた。
冷たい水の底。何も見えない、何も聞こえない、長い長い時間。ただ漂って、触れたものを包んで、少しずつ大きくなっていく。
それより前。
もっと下に、温かい場所があった。
ずっと下の温かいところから、ぬるい流れに乗って、ゆっくりゆっくり浮かんできた。上へ、上へ。気づいたら、この冷たい湖の底にいた。
――こいつも、下から来たんだ。
あの鼓動のほうから。
言葉にならない記憶を、噛み砕く。今までで一番時間がかかった。大きすぎて、一口じゃとても飲みこめない。少しずつ少しずつ、冷たい時間を砕いていった。
〈捕食を完了しました〉
〈対象:大水粘体 Lv9〉
〈経験値150を獲得しました〉
〈うち15は上位領域へ転送されました〉
〈経験値135を取得しました〉
〈レベルが上昇しました。Lv6→Lv7〉
〈レベルが上昇しました。Lv7→Lv8〉
〈同系統の上位個体の霊核を捕食しました〉
〈霊核の密度が大きく上昇しました〉
〈霊核の密度が閾値に達しました。レベル上限が上昇します。上限:10→15〉
〈進化の条件の一部を満たしました〉
〈能力値を吸収しました〉
〈技能の解析を開始します〉
〈対象技能:水化Lv4――解析成功〉
〈技能【水化】は保有技能【水化】と同一です。自動で統合します〉
〈水化Lv1→Lv2〉
〈対象技能:呑込Lv3――解析失敗〉
〈対象技能:水弾Lv2――解析成功。技能【水弾】を獲得しました〉
声が、次から次へと流れていく。冷たい湖の底で、俺はそれをぼーっと聞いていた。
レベル8で、上限が15になった。
で、十五も抜かれた。一番の大物からは一番多く持っていく。わかっちゃいたけど、腹立つわー。
それから、進化の条件の一部。
進化って、あれだよな。前の世界でゲームや何かでよく見た、姿が変わって強くなるやつ。
俺にも、それがあるのか? この腐った肉の塊にも?
条件の一部ってことは、まだ足りないものがあるんだろう。それが何なのかは、例によって教えてくれない。
上等だ。探してやるよ。
ステータスを開こうとして、気づいた。
■■■が、にじんでいた。
前に一瞬だけ揺らいだことはあった。でも今度は、一瞬じゃ終わらない。黒い塗り潰しの奥で、何かの線がゆっくり動いている。
文字の一画だ。
縦に引かれた一本の線が、塗り潰しの下からほんのわずかに透けて見える。
読めない。何の字の一部なのかもわからない。
でも、確かにそこに何かが書いてある。
喰うたびに、少しずつ見えてきてるのか?
下のほうで、あの鼓動が鳴った。湖の底だと、今までで一番はっきり聞こえた。
【ステータス】
個体名:ヴォイド
種族:腐肉の粘体
段階:1
レベル:8/15
HP:20/54
MP:4/14
攻撃:10
防御:6
敏捷:6
魔力:11
固有スキル:喰掠の理、変質者、■■■
スキル:溶解Lv3、硬殻Lv3、聴音Lv2、熱感知Lv1、震覚Lv2、水化Lv2、水弾Lv1
冷たい水の底から、ゆっくり浮かび上がる。
体が重い。霊核がみっちり詰まっていて、さっきまでの俺とは芯の重さがまるで違う。
浅瀬に戻ると、水粘体たちが相変わらずぷかぷか漂っていた。
主がいなくなったことにも、たぶん気づいてないんだろうな。




