第8話
喰えるのか、あれを。
浮かんだ考えを、俺はすぐには捨てなかった。かといって、すぐに動きもしなかった。
蜘蛛の網で、体の半分を置いてきてるからな。あのときは相手が何なのかもわからないまま手を伸ばして、あのざまだ。
同じ失敗は、もうしない。
まず、見る。
一日目。
一日って数え方が合ってるのかは知らない。魚の群れが浅瀬に寄ってきて、また沖へ戻っていく。その一回りを一日と呼ぶことにした。
浅瀬の一番奥、岸に近い砂の中に潜って、震覚を湖いっぱいに広げる。
あいつ――とりあえず湖の主と呼ぶことにした――は、沖の深いところにいた。
熱感知だと、ほとんど見えない。冷たい水にまぎれて、ぬるい場所がぼんやり広がってるだけだ。その真ん中の熱い塊だけが、かろうじてわかる。
あれが、あいつの霊核だ。
でかい。とにかくでかい。俺のが小石なら、あいつのは岩だ。
一日目、あいつは一度だけ浮かんできた。
魚の群れが沖へ戻る途中で、浅瀬と深みの境目――底が急にすとんと落ちこんでる崖っぽい場所――に差しかかったときだ。
盛り上がって、呑んで、沈んだ。
それで終わりだった。
二日目も同じだった。
群れが境目を通ると、あいつが浮かんで、呑んで、沈む。浮かんでくる場所まで、境目の少し沖側でほとんど変わらない。
三日目も同じ。
……これ、癖だよな?
蟹と同じで、あいつも同じ場所で同じことをくり返してる。魚が一番集まる場所で待っていて、自分からは探しに行かない。
来るのを待って、呑む。
俺と同じやり方じゃないか。なんか腹立つな。
四日目に、気づいたことがある。
あいつ、浅瀬に来ない。
一度もだ。
魚の群れは浅瀬まで寄ってくるし、数もそっちのほうが多い。喰うだけなら浅瀬に来たほうがいいに決まってる。
なのに、あいつは境目から先へ絶対に上がってこない。
それに、あいつが浮かんでくると、水粘体たちが浅瀬のほうへ流れてくる。何も考えてないはずの、あの小さいやつらがだ。
浅瀬は安全なんだ。
少なくとも、あいつにとっては入れない場所なんだろう。
なんで?
水が浅いから、か?
あいつの体はほとんど水だ。深い水の中ならどこまでも広がれるけど、浅瀬には水が少ない。あのでかい体を保っていられないのかもしれない。
蜘蛛が網の上でしか戦わないのと同じで、あいつは深い水の中でしか戦えない。
……って考えてみたけど、まだ仮説だ。確かめてない。
五日目。
確かめることにした。ただし、逃げ道を先に決めてから。
境目の手前の浅瀬に、大きな岩がひとつある。岩の陰から浅瀬の奥までは、まっすぐ這って戻れる。途中に邪魔なものはない。
岩の陰から境目をのぞいて、あいつが来たらすぐ浅瀬の奥へ下がる。もしあいつが浅瀬に入ってきたら仮説は外れで、そのときは岸まで上がって陸に逃げる。
どっちに転んでも死なない道を、先に作っておく。
蜘蛛のときは、それがなかったんだよな。
雀荘で、ラス目で追いつめられた客ほど、振りこんだら終わりの牌を平気で切っていった。逃げ道を考えてないから、切ったあとで青くなる。俺はあれを横で何度も見てきたくせに、この体になってから同じことをやらかした。
今度は違うぞ。
俺は、岩の陰まで這っていった。
境目は、思ってたよりずっと深かった。
震覚で底をなぞると、浅瀬の砂がある場所から急にすとんと落ちこんで、その先は震覚が届かないくらい遠い。冷たい水が、下から湧いてくるのがわかる。
待った。
魚の群れが沖へ戻りはじめて、境目に差しかかる。
来た。
沖の冷たい水の中で、ぬるい場所がゆっくり持ち上がってくる。霊核の熱が近づいてくる。
盛り上がって、群れを呑む。
いつもなら、ここで終わる。
今日は終わらなかった。
霊核の熱が、止まった。沈まないで、ゆっくりと向きを変える。
こっちに。
……うわ、気づかれた。
俺の霊核は、この四日間で少し重くなってる。水粘体を四匹喰ったからだ。
同じ系統のやつの霊核は、重なる。
てことは、あいつにとって俺は、魚よりずっとうまそうな餌ってことか!?
盛り上がった水の表面が、ぎゅっと縮んだ。
何か飛んできた!
ばしゃん、と岩の横の水面が弾けた。
聴音が水の裂ける鋭い音を拾って、震覚が水の中を突き進んでくる塊を拾う。
水の塊だ。あいつ、自分の体の一部を固めて撃ってきやがった!
一発目は外れた。二発目は岩に当たって砕けた。
三発目が、岩の陰からはみ出してた俺の端に当たった。
〈HPが減少しました。HP:36→29〉
ぐっ、重い!
ただの水じゃない。ぶつかった瞬間、ハンマーで殴られた衝撃が体の奥まで響いてくる。
硬殻!
〈MP:8→7〉
四発目。
〈HPが減少しました。HP:29→24〉
固めた上からでも、響く。
下がれ。決めてたとおりに。
俺は岩の陰から、浅瀬の奥へまっすぐ這った。
五発目、六発目。背中で水面が弾ける。
〈HPが減少しました。HP:24→18〉
硬殻を張りなおす。
〈MP:7→6〉
七発目。
〈HPが減少しました。HP:18→14〉
痛え、痛えけど、止まるな。止まったら、それこそいい的だ。
震覚で後ろを探ると、あいつの熱は境目で止まっていた。
盛り上がった水が、崖の縁でぐずぐず揺れている。前に出ようとしてるのに、出てこない。
出てこられないんだ!
八発目は、来なかった。
浅瀬の一番奥で、俺はしばらく動けなかった。
HP14。逃げ道を先に決めてなかったら、たぶん半分は溶けてた。
でも、生きてる。
それに、わかった。あいつは浅瀬に入れない。仮説は当たってたんだ。
それと、もうひとつ。
撃たれてるあいだ、熱感知であいつの霊核を見てたんだけど、水の塊を撃つたびに、熱がほんの少しずつ下がってた。
気のせいかと思うくらい、ほんの少しだ。でも、七発撃ったあとの熱は、撃つ前よりたしかにぬるかった。
撃つのにも、何か使ってるんだ。
俺が溶解を使うたびにMPが減るのと同じで、あいつも撃つたびに何かを減らしてる。減らせば、いつかは尽きる。
休みながら、今日の一局を振り返った。
負けは負けだ。HPを半分以上持っていかれた。
でも、蜘蛛のときとは中身が違う。
あのときは、わけもわからず逃げただけだった。今日は逃げると決めてから前に出て、逃げながら相手の手を見た。
降りるのは、負けじゃない。
相手の手の内を見るために、わざと降りることだってある。
あいつは浅瀬に入れないし、撃てば熱が減る。魚の群れが境目を通るときは必ず浮かんでくるし、何より俺を喰いたがってる。
ここまでわかれば、組み立てられる。
〈震覚の熟練度が上昇しました。震覚Lv1→Lv2〉
お、上がった。五日間ずっと湖を聞いてたせいだろう。湖の底の、もっと細かい揺れまで拾えるようになった。
【ステータス】
個体名:ヴォイド
種族:腐肉の粘体
段階:1
レベル:6/10
HP:14/36
MP:6/8
攻撃:8
防御:5
敏捷:6
魔力:6
固有スキル:喰掠の理、変質者、■■■
スキル:溶解Lv3、硬殻Lv3、聴音Lv2、熱感知Lv1、震覚Lv2、水化Lv1
境目の向こうの冷たい深みの底で、あいつの霊核がゆっくり脈を打っている。
たぶん今、腹を空かせてるんだろうな。目の前まで来たうまそうな餌を、取り逃がしたんだから。
悪いけど、次に取り逃がすのはお前のほうだ。




