第六話
変質者をいじるのが、ここ最近の俺の日課になっていた。
浅瀬で休みながら意識を向けると、体の奥の作業台の上に、スキルがひとつずつ並んで見える。見えるって言い方も変なんだけど、ほかに言いようがない。
並んでるのは形だった。
溶解は、中心に向かってとろとろ崩れていく渦。硬殻は、薄い板が何枚も重なった四角くて固いかたまり。聴音は、細い糸がぴんと張って震えてる形で、熱感知はぼんやり光る丸い灯り。
感応と側線はよく似ていた。どっちも表面に細かい毛がびっしり生えていて、その一本一本が外からの揺れでそよそよ動いている。
へえ、と思った。スキルって、こういうふうにできてるのか?
ただの名前だと思ってたけど、ひとつひとつにちゃんと作りがある。
まずは溶解と硬殻からだ。
前に試してはじかれたふたつを、今度は作業台の上で形を見ながら近づけてみる。
渦と、板。
渦を板にくっつけようとすると、渦が板をがりがり削る。板を渦に押しつけると、板が渦をはじき返す。どっちから寄せても、片方がもう片方を壊しにかかる。
〈統合に失敗しました〉
〈MP:7→5〉
うわ、ふたつも持っていかれた。高っ! 失敗の代金、高すぎないか?
でも形を見てたらなんとなくわかった。
このふたつは真逆なんだ。溶かす力と固める力を直接つなごうとしても、喧嘩するだけだ。
何か、あいだに挟むものが要る。
渦にも板にもくっつく何かがあれば、たぶんいける。
問題は、今の手持ちにそんなものはないってことだった。
まあいい。いったん置いとこう。
次は、似てるふたつ。感応と側線だ。
どっちも毛の生えた形をしていて、感応は手の届く範囲の手ざわりを、側線は水の中の揺れを遠くまで拾う。何が違うんだ、これ? やってることは、たぶん同じなんだよな。外から来る揺れを、体の表面で受けとめてる。
違うのは、届く距離と場所だけだ。
作業台の上で、ふたつをそっと近づけた。
毛と毛が触れる。
するっ、と。
ふたつの形が溶けあうように、ひとつになっていく。はじきも削りもしない。もともとひとつだったものが、元の形に戻っていく感じだった。
〈統合に成功しました〉
〈技能【感応】【側線】を統合し、技能【震覚】を生成しました〉
〈MP:5→0〉
震覚。
意識を向けた、その瞬間。
世界がざわっと震えた。
いや、震えてたのは最初からで、俺がそれを拾えるようになっただけなんだろう。
浅瀬の水の揺れだけじゃなく、岸の砂のほんのかすかな振動や、岩の中を伝わってくる遠い水の流れの響きまで届く。感応は手の届く範囲だけで、側線は水の中だけだったのに、震覚は水も砂も岩も、全部を伝ってくる揺れを拾う。
これ、あの蜘蛛がやってたことだ。
網の上で俺がもがいた揺れを、あいつは遠くから感じとってた。だから迷わず、まっすぐ歩いてきたんだ。
同じことが、今の俺にもできる。
網はないけど、この地面そのものが網の代わりになる。
うわ……これは、ちょっとすごいかもしれない。
ステータスを見ると、感応と側線は消えていて、代わりに震覚がひとつだけ増えていた。
便利だけど、ちょっとだけ心細い。……いや、けっこう心細いぞ? 二度と元のふたつには戻せない気がする。
つなげたら戻らない。覚えとこう。
MPはゼロになったから、浅瀬でまた休んだ。休みながら震覚を広げて、世界を聞いていた。
水の中には魚の群れがいて、岸辺の岩の上をときどき何かが歩いている。硬くて横に動く、脚のたくさんあるやつだ。
聴音でも熱感知でも、いるのはわかってた。でもどう歩くかまではわからなかった。
震覚だとわかる。
脚は左右に四本ずつの八本。横向きにちょこちょこ動いては止まって、何かを挟んで口に運んでいる。
蟹だ。
岸辺の岩場を、同じ場所を同じ順番で行ったり来たりしている。
蟹の歩き方を、何度も聞いた。
岩場の端から端まで行くあいだに、三回止まる。一回目は水際で何かを挟んで喰って、二回目は大きな岩の陰でじっとして、三回目はまた水際。
それを、何度も何度もくり返してる。
見てるうちに、雀荘の常連を思い出した。
勝ってる日は打牌がやたら速くなる爺さんがいた。手が悪いときに限って煙草に火をつける兄ちゃんもいた。本人たちは気づいてないけど、毎回同じことをする。店員の俺からは全部丸見えだった。
こいつも、同じだ。
二回目の、大きな岩の陰で止まるとき。蟹は岩に背を向けて、腹を砂につけて休む。
背中の甲羅は、甲虫の殻より硬いかもしれない。正面から溶かそうとしたら、MPがいくらあっても足りないだろう。
でも甲羅がない場所がある。
腹と甲羅の継ぎ目だ!
休むとき、そこは砂に押しつけられている。つまり砂の下からなら届くってわけだ。
MPが戻るのを待って、俺は大きな岩の陰の砂の中に、体を薄く潜りこませた。
薄く平たく砂に混ざるようにしておけば、匂いも砂がいくらか吸ってくれる。
待つ。
震覚が、横向きのちょこちょこした足音を拾う。水際で止まって、何かを挟んで……こっちへ来る。
来た!
蟹が俺の真上で止まった。岩に背を向けて、腹を下ろす。
継ぎ目が、砂に――俺に、触れた。
〈溶解を発動します。MP:7→6〉
蟹が跳ねた。
でも跳ねた先は岩だった。背中の岩と腹の下の俺に挟まれて、横にしか逃げられない。横に逃げようとした瞬間に、もう一発。
〈溶解を発動します。MP:6→5〉
鋏が、振り下ろされてきた。
砂の中の俺を、でたらめに挟みにくる。
硬殻!
〈MP:5→4〉
がちん、と鋏が止まった。止まったけど、挟まれた場所がぎりぎり締めつけられる。
〈HPが減少しました。HP:31→22〉
いだだだだっ!
痛いっていうか、押しつぶされる感覚だ。硬殻がみしみし軋む。
でも継ぎ目の奥にはもう酸が届いてる。
蟹の脚が、一本ずつ動かなくなっていく。
鋏がゆるんだ。
喰掠の理。
甲羅の中の身は、甘かった。
うっま! ぷりっとして、水っぽくて、ちょっとしょっぱい。今まで喰った中で一番うまいかもしれない。
……これ、コンビニのカニカマの味に似てないか? いや、たぶんカニカマのほうが蟹に似せてるんだろうけど。
流れこんできたのは、狭くて暗い場所への執着だった。固い殻の内側。そこにいれば安全で、そこから出たくない。
わかるよ、その気持ち。
少しだけそう思った。でもそれはこいつの気持ちだ。噛み砕く。
〈捕食を完了しました〉
〈対象:洞窟蟹 Lv4〉
〈経験値28を獲得しました〉
〈うち2は上位領域へ転送されました〉
〈経験値26を取得しました〉
〈能力値を吸収しました〉
〈技能の解析を開始します〉
〈対象技能:甲殻Lv2――解析成功〉
〈技能【甲殻】は保有技能【硬殻】と同系統です。自動で統合します〉
〈硬殻Lv2→Lv3〉
〈対象技能:鋏撃Lv1――解析失敗〉
お?
甲殻と硬殻みたいに似てるものは、作業台に乗せるまでもなく勝手にまとまるらしい。
作業台の上の硬殻を見ると、板の重なりがさっきより一枚分厚くなっていた。
楽でいいな、これ。
休みながら、今日わかったことを反芻した。
似たものはつながるけど、真逆のものは喧嘩する。つなげたら戻らない。喰ったものが手持ちと似てたら、勝手にまとまる。
それと生き物には癖があるってこと。
盲鼠だってそうだった。毎日同じ隙間を通って、同じ水場に来てた。
癖がわかれば、待つ場所がわかる。待つ場所がわかれば、俺みたいなのろまでも先回りできる。
【ステータス】
個体名:ヴォイド
種族:腐肉の粘体
段階:1
レベル:5/10
HP:27/33
MP:5/7
攻撃:7
防御:5
敏捷:6
魔力:5
固有スキル:喰掠の理、変質者、■■■
スキル:溶解Lv3、硬殻Lv3、聴音Lv2、熱感知Lv1、震覚Lv1
作業台の上に、溶解と硬殻をもう一度だけ並べてみた。
渦と、板。やっぱり喧嘩する。
あいだに挟むもの。溶かすものにも固めるものにも、くっつく何か。
……くっつく?
頭の中で、何かが引っかかった。
べたべたの糸。張りついて、どうやってもはがれなかった、あの感触。
いやいやいや。
まさかな。
作業台から意識を離して、浅瀬の水に体をあずけた。考えたくないことは、考えないに限る。
そのとき、湖の沖のほうで、震覚が今まで拾ったこともないくらい大きな揺れを、ひとつだけ拾った気がした。




