第五話
しばらくは書き溜めた分を出していくので、1日2話更新いたします。
流れがだんだんゆるくなってきた。
ごうごういう音が遠ざかって、代わりにちゃぷちゃぷと静かな水音が聞こえてくる。体がどこにもぶつからなくなって、ただゆっくり漂っているだけになった。
聴音を向けてみると、音が遠くまで広がったきり、跳ね返ってこない。
広っ。
とんでもなく広い水の上に、俺は浮かんでいた。地底の湖だ。
体の端が柔らかい砂に触れた。水の底がだんだん浅くなってきている。
そのまま、俺はそこに流れ着いた。
浅瀬で、ひたすら休んだ。
ぽたんの代わりに、岸に寄せては返す小さな波のちゃぷを数えた。
HPが2から3、4と戻っていく。遅い。とんでもなく遅い。体が半分近くなくなってるせいかもしれない。
それでも、戻るには戻る。
ちゃぷを何万回か数えたころ、HPは25にMPは6に届いていた。蜘蛛の網に置いてきた半分も、いつの間にか元の量まで埋まっている。削れた体も、休めば戻るらしい。
よかった……。マジでよかった。
体が戻るあいだ、今日の負けを数え直していた。
一番効いたのは、ツキなんてものを信じたことだ。
十年近く卓の横で見てきたんだぞ、そういう客を。三連勝した夜に限って、帰りの財布が空っぽになってるやつを。それを、この体になってたった四戦目で自分がやらかした。
穴があったら入りたい。穴だらけの体だけど。
それから、何もいない場所の意味を考えなかったこと。
そして、相手の網の上で、相手のやり方で戦ったこと。
甲虫のときは裂け目があったし、盲鼠のときは隙間の出口だった。蛇のときは狭い巣穴で、あいつの口が塞がっていた。
勝った三回は、全部俺に都合のいい場所だったんだよな。
負けた一回は、あいつに都合のいい場所だった。
強いか弱いかより先に、どこで戦うかが大事なんだ。座る卓を選べって話だ。
半分の体とHP23ぶんの授業料は、正直高すぎたけど。
休んでいるうちに、気づいたことがある。
魚がいる。
熱感知の中で、細長い小さな灯りが群れで行き来していた。十、二十……いや、もっといるな。
そいつらがときどき俺のすぐそばまで寄ってくる。
最初は身構えた。でも、襲ってはこない。俺の体の端をちょんちょんとつついて、また離れていく。
つついてるのは、俺の体から水に溶け出した、腐った肉のかけらだった。
……俺、餌だと思われてる?
それにしては甲虫や盲鼠と違って、まっすぐ喰いに来ない。おそるおそるちょっとずつだ。
なんでだ?
少し考えて、わかった。匂いだ!
陸の上なら腐った肉の匂いはどこまでも広がって、遠くのやつまで呼び寄せる。でも水の中だと、匂いはすぐに薄まってしまう。近くの魚がかすかに嗅ぎつけるくらいにしか届かないんだ。
水の中なら、俺は目立たない。
遠くの強いやつは呼ばずに、近くの弱いやつだけを呼べる。
これだよ、これ!
ここなら、俺が卓を選べる。
浅瀬の底に、体を薄く広げた。
砂の上に泥の膜が一枚張りついた格好で、できるだけ平たく、できるだけ広く。
それから待つ。
もう急がないぞ。盲鼠のときは早すぎて逃がしたし、蜘蛛のときは浮かれて突っこんだ。二回も痛い目を見れば、さすがに覚える。
魚が寄ってきて、ちょんとつついて離れる。また寄ってきて、ちょんちょん。
まだだ。
一匹が、だんだん大胆になってきた。俺の体の真ん中あたりまで入ってきて、口先で底をつつきはじめる。夢中で腐肉のかけらを喰っている。
周り、ぜんぶ俺なんだけどな?
今。
広げていた体の縁を、一気に持ち上げて包む。
魚が跳ねた。盲鼠より速いかもしれない。でも、跳ねた先も俺の中だった。
〈溶解を発動します。MP:6→5〉
じゅっと小さな音がして、魚はすぐに動かなくなった。鱗も骨も柔らかくて、蛇とは比べものにならない。
喰掠の理。
〈捕食を完了しました〉
〈対象:白魚 Lv3〉
〈経験値10を獲得しました〉
〈うち1は上位領域へ転送されました〉
〈経験値9を取得しました〉
〈能力値を吸収しました〉
〈技能の解析を開始します〉
〈対象技能:側線Lv1――解析失敗〉
淡い味だった。泥臭くて、ほんの少しだけ甘い。
流れこんでくる声もほとんどなくて、たくさんの仲間といっしょに泳いでる、ぼんやりした安心感だけがあった。
群れ、か。
胸の穴が、少しだけ冷えた。
……いいから、次だ次。
群れは、仲間が一匹消えたことに気づいてないらしかった。少し時間を置くと、また寄ってくる。俺はまた底に広がって待つ。
二匹目。
〈経験値10を獲得しました〉
〈うち1は上位領域へ転送されました〉
〈経験値9を取得しました〉
〈レベルが上昇しました。Lv4→Lv5〉
〈能力値を吸収しました〉
〈技能の解析を開始します〉
〈対象技能:側線Lv1――解析成功。技能【側線】を獲得しました〉
レベル5! それと、側線。
意識を向けると、水の動きが肌で読めるようになった。
魚が尾を振ったときの、ほんの小さな水の揺れ。それが波紋になって広がって、俺の体の表面に届く。どっちから、どのくらいの大きさのものが、どのくらいの速さで動いたのか、全部わかる。
感応より遠くまで届くし、熱感知より細かい。水の中限定だけど、この湖の中なら誰がどこで何をしてるのか、手に取るようにわかる。
おいおい、これ強くないか?
三匹目は、もっと簡単だった。側線で群れの動きを読んで、一番大胆なやつが寄ってくる瞬間に包んで溶かす。
〈経験値10を獲得しました〉
〈うち1は上位領域へ転送されました〉
〈経験値9を取得しました〉
〈能力値を吸収しました〉
三匹とも、きっちり一割ずつ抜かれた。
もう驚きはしない。でも、忘れてもいないからな。
浅瀬で、また少し休んだ。
MPが満タンの7まで戻ったところで、待ちきれなくなった。HPはまだちょっと足りないけど、試すだけなら十分だ。
レベル5で、敏捷は魚を喰うたびに上がって6になった。生まれたときの六倍だぞ、六倍!
体の中にはスキルが六つある。
並べてみると、感応と聴音と熱感知と側線の四つは世界を知るためのものなんだよな。手ざわり、音、熱、水の揺れ。喰うたびに、真っ暗だった世界が少しずつ埋まってきた。
残りの二つが、溶解と硬殻だ。溶かすのと、固めるの。
蜘蛛の網を思い出す。
あいつは糸で戦ってた。自分の体から出したべたべたの糸を張りめぐらせて、獲物を捕まえて、動けなくしてから喰う。
あいつは、自分に都合のいい場所を自分で作ってたんだ。
俺は違う。裂け目も隙間の出口も狭い巣穴も、たまたま見つけただけだ。
……俺にも、できないか?
溶かすものを固めたら。固めたものに、溶かす力を持たせたら。
同時にやってみた。
体の表面を固めながら、その内側に酸をにじませる。
〈MP:7→6〉
固まりかけた表面が、酸で溶けた。
もう一回。
〈MP:6→5〉
今度は酸が固まった表面にはじかれて、内側に溜まった。混ざらない。油と水で、ふたつの力がお互いを押しのけ合っている。
もう一回だ、もう一回!
〈MP:5→4〉
……だめか。
そう思って力を抜きかけた、そのときだった。
〈――照合中〉
聞き覚えのある声がした。生まれたときに一度だけ聞いた言い回しだ。
〈保有技能数、条件を満たしています〉
〈技能の統合を試みる意思を確認しました〉
〈――エラー〉
〈――再照合〉
〈条件を満たしました。固有技能【変質者】を解放します〉
……は?
〈変質者:保有する技能を統合、分離、改変する〉
体の奥で、何かが開いた。
喰掠の理が口を開けたときの感じとは全然違う。もっと静かで、もっと細かい。体の中に、道具のそろった小さな作業台がひとつ、ことんと置かれたような感覚だった。
その作業台の上に、俺のスキルが全部並んでいる。
さわれるし、ばらせるし、つなげられる。
そういうものが手に入ったんだと、なんとなくわかった。
説明はそれだけで、例によってどうやって使うのかも何ができるのかも教えてくれない。
でも、まあいいさ。わからないなら試せばいい。今までだって、ずっとそうしてきたんだから。
ステータスを開くと、固有スキルの欄に新しい名前が増えていた。
喰掠の理。変質者。そして、いつもの■■■。
――その■■■が、一瞬だけ、にじんだ。
黒い塗り潰しの端がほんのわずかに揺らいだ。インクが水に溶けかけたような揺らぎ方で、何かの文字のかけらが、奥で動いた気がした。
見直したときには、もう元の真っ黒に戻っていた。
……おい、今の何だ!?
聞いても答えないのは、もうわかってる。
そのとき、下のほうからあの鼓動が響いた。
どくん、と。
水が、震えた。
側線が湖全体の揺れをはっきり拾う。岩を伝ってきたときよりずっと強くて、ずっと近い。
流されてきた川は、下へ下へと流れていた。
あの鼓動に、少し近づいたのかもしれない。
【ステータス】
個体名:ヴォイド
種族:腐肉の粘体
段階:1
レベル:5/10
HP:27/31
MP:4/7
攻撃:6
防御:4
敏捷:6
魔力:5
固有スキル:喰掠の理、変質者、■■■
スキル:溶解Lv3、感応Lv1、硬殻Lv2、聴音Lv2、熱感知Lv1、側線Lv1
作業台の上に、溶解と硬殻を並べてみる。
まだ何も起きないし、どうつなげればいいのかもさっぱりわからない。
でも、いつか。
あの蜘蛛が自分の網を張るように、俺も俺だけの卓を作ってやる。
そうしたら、もう一度あいつの前に座ってやるよ。今度は、俺の卓で。




