第四話
正直に言うと、浮かれてた。
蛇の抜け穴の先で、ぽたん五千回ぶんくらい休んだ。HP25にMP6でどっちも満タン、レベル4でスキルは五つ。
生まれたときなんか、HP8で目も耳もなかったんだぞ?
それが今じゃ手ざわりがわかって、遠くの音が聞こえて、温かいものの形まで見える。甲虫を喰って、盲鼠を喰って、レベル5の蛇まで喰った。
三戦三勝。一回ネズミに逃げられたのは、まあノーカンでいいだろ。
いけるんじゃね、俺?
そう思ったのは腹が減ってたせいもあるけど、それだけじゃなかった。
抜け穴を進んでいくと、熱感知があちこちで灯りを拾った。盲鼠くらいの小さいのが多くて、ちょろちょろ動いている。たまに少し大きいのが、離れたところをのっそり横切っていく。
水の流れる音が、だんだん大きくなってきた。
体を引きずるのにもだいぶ慣れた。敏捷3は生まれたときの三倍で、遅いのは相変わらずだけど、止まって見えるほどじゃない。
〈聴音の熟練度が上昇しました。聴音Lv1→Lv2〉
おっ、きたきた!
ずっと耳を澄ませてたせいか、聴音が上がった。音がさらにくっきりして、遠くの水しぶきの粒まで聞こえそうなくらいだ。
いい流れじゃん。今日の俺、ついてるわ。
……流れもツキも信じないはずの俺が、そう思った。今思えば、この時点でもう負けてたんだよな。
抜け穴が、急に開けた。
音の響き方がそれまでの通路とまるで違う。天井が高くて、横にも奥にも空間がずっと続いてる。
で、熱感知の中に、ぽつんと小さな灯りがひとつ浮かんでいた。
床でも壁でもなく、空間の真ん中あたりのちょっと高いところで、ぱたぱた小刻みに揺れている。
……なんだあれ?
浮いてるのにどこにも行かず、同じ場所でずっともがいてる。弱ってるのか?
喰いやすそうだな!
俺はうきうきしながら、灯りのほうへ這っていった。
途中で、感応に妙なものが触れた。細い糸だ。床から斜め上へ張っていて、触るたびにまた一本、また一本と出てくる。
根っこか、何かの毛か?
気にせず乗り越えた。
灯りの真下まで来ると、灯りは俺の真上でまだもがいていた。羽ばたくような、小さな振動がする。
この糸を伝えば、あそこまで登れそうだ。
体を伸ばして、糸に絡みついた。
ぺたっ。
……ん? 離れない。
体を引くと、糸がびよーんと伸びるだけで、はがれない。表面が糸にべったりくっついている。
引けば引くほど別の糸にも触れて、そっちにも張りつく。
あれ、これ、やばくね?
もがいてる灯りと、今の俺。まったく同じ格好じゃないか。
あいつ、浮いてたんじゃなくて捕まってたのか。
糸が震えた。俺がもがいた振動じゃなくて、もっと遠くの、上のほうからだ。
とん。
とん、とん。
何かが、糸の上を歩いてくる。
熱感知がそいつを拾った瞬間、全身が凍りついた。
でかい。あの蛇の何倍あるんだよ、これ。真ん中に大きな胴体があって、そこから長い脚が何本も伸びている。数える。一、二、三……八本。
蜘蛛だ。
前の世界にもいたけど、こんなのはいなかった。胴体だけで俺が十匹は入る。
蜘蛛は糸の上を、迷わず歩いてくる。急ぐ必要なんかないってわかってる、ゆっくりした歩き方だった。
もう網にかかってるからな、俺。もがけばもがくほど、場所を教えるだけだ。
動くな。止まれ。……でも遅い。蜘蛛はもう、俺の居場所をわかってる。
長い脚が一本、俺の上にそっと置かれた。
硬殻!
〈MP:6→5〉
固めた表面に、何かが突き立った。
蛇のより太い牙が、硬殻の層をあっさり突き破ってくる。
〈HPが減少しました。HP:25→17〉
いってえ……!
一撃で8かよ。蜘蛛は慌てず、牙を抜いてまた立てる。
〈HPが減少しました。HP:17→11〉
勝てない。
考えるまでもなかった。相手が何を持ってるのか、どれだけ強いのか、どこが弱いのか、何ひとつ読めない。わかるのは、今の俺が何をしても、この脚一本すら溶かしきれないってことだけだ。
蛇のときは、あいつの口が塞がってた。狭い穴の中だった。俺に都合のいい条件が、全部そろってたんだ。
今は何ひとつそろってない。ここはあいつの網の上だ。
降りろ。
頭の奥で、自分の声がした。
読めない相手の卓には座るな。座っちまったなら、一秒でも早く降りろ。
いや、降りるってどうやって!? 糸に張りついて動けないんだぞ!
〈HPが減少しました。HP:11→6〉
溶かせ。糸を溶かせ。
〈溶解を発動します。MP:5→4〉
張りついた場所に酸をにじませると、糸がじゅっと鳴って細くなった。
溶ける! 糸なら蛇の鱗よりずっと柔らかい。
でも、全部溶かしてたら間に合わない。俺の体は何本もの糸に張りついてて、一本溶かすあいだに蜘蛛の牙が一回来る。
〈溶解を発動します。MP:4→3〉
〈溶解を発動します。MP:3→2〉
足りない、全然足りない!
牙が、また持ち上がる。
全部は持って帰れない。
だったら、張りついてるところごと置いていけ。
俺は体の中の、糸に張りついてる側とそうじゃない側のあいだに、溶解を流しこんだ。外じゃなくて、内側に。俺自身に。
〈溶解を発動します。MP:2→1〉
ぶつん。
自分の一部が、自分から離れていく感じがした。
痛くはないけど、胸の穴にまた風が吹きこんできたように寒い。
〈HPが減少しました。HP:6→3〉
網に残った俺の半分に、蜘蛛の牙が刺さる。残された俺を、蜘蛛が喰ってる。
その隙に、俺は糸の少ない床のほうへ、全力で転がり落ちた。
〈溶解を発動します。MP:1→0〉
最後に絡んでた糸を溶かす。
どこへ逃げる?
聴音。水の音。すぐ近くだ。広間の端の床に裂け目があって、その下からごうごう流れる音がする。
蜘蛛の足音が止まった。
喰い終わったんだ。
とん。
また、糸を伝ってこっちへ――
俺は裂け目に飛びこんだ。
〈HPが減少しました。HP:3→2〉
岩にぶつかって、跳ねて、落ちて。
冷たいものに、ざぶんと包まれた。
水だ。しかも流れが速い。体が流れに引きずられて、どんどん運ばれていく。どっちが上でどっちが下かもわからない。
でも、蜘蛛の足音はもう聞こえなかった。
流されながら、熱感知を上に向けた。
遠ざかっていく広間の端で、でかい熱の塊がじっと止まっていた。追ってはこないで、こっちを見てるらしい。
あの熱は、しばらく裂け目の縁から動かなかった。逃がした獲物を、確かめるように。
あいつは、俺の味を覚えた。
そんな気がして、ぞっとした。
流されるまま、考えるくらいしかできなかった。
HP2でMPはゼロ、体は半分近くなくなってる。
あの広間のことを思い返す。
熱感知で見たとき、灯りはひとつしかなかった。網にかかってた、あの小さいのだけだ。
抜け穴には、あんなにたくさんいたのに。盲鼠くらいのやつが、あちこちでちょろちょろしてたのに。
あの広い場所にだけ、生き物がいなかった。
なんでだ?
……いや、わかるだろ。今なら。
みんな知ってたんだよ。あそこには近づいちゃいけないって。近づいたやつは、全部喰われたって。
何もいない場所には、一番強いやつがいる。
誰も切ってこない牌は、誰かが待ってる牌。雀荘に入って三日目の新人でも知ってる、基本中の基本だ。
それを、浮かれて見落とした。見えるものばっかり見て、見えないものを見なかった。
「……っ、くそ」
情けねえ。ほんとに情けねえ。でも、半分置いてきたけど生きてる。
降りた。ちゃんと降りられた。
甲虫のときは押すしかなかった。今日は、降りるしかなかった。
どっちも、前の俺なら知ってたことだ。この体になってから、やっと両方思い出した。
【ステータス】
個体名:ヴォイド
種族:腐肉の粘体
段階:1
レベル:4/10
HP:2/25
MP:0/6
攻撃:6
防御:3
敏捷:3
魔力:4
固有スキル:喰掠の理、■■■
スキル:溶解Lv3、感応Lv1、硬殻Lv2、聴音Lv2、熱感知Lv1
水が冷たい。
この流れがどこまで続くのかも、どこに着くのかもわからないけど、まあ、どこかには着くだろ。着いたら、まず休む。休んで戻して、それから今日の負けをちゃんと全部数え直す。
……あと、次に「今日の俺ついてる」とか思ったら、自分をぶん殴ろう。
殴る手はないけどな。




