第三話
きいきい。
きい。
隙間の奥から、小さな鳴き声が聞こえてくる。聴音を手に入れてから、俺はずっとこの声を聞いていた。
細い声がいくつも重なって、ときどき止んで、また鳴きだす。
盲鼠の巣だ。
あいつを喰ったときに流れこんできた、乾いた草と、寄り添う毛の塊の匂い。あれが、この隙間の奥にある。
ぽたんを数えながら体を休めて、HP18、MP5の満タンまで戻したところで、俺は隙間に体を押しこんだ。
狭っ!
俺の体の半分くらいしか幅がない。でも、形がないってのはこういうとき便利で、薄く細く伸びればどこにでも入っていける。
ずるずると岩の隙間を進んでいく。感応で壁を探って、聴音で前を探る。鳴き声が少しずつ近くなってきた。
途中、壁に細かい引っかき傷がたくさん残っていた。盲鼠の爪の跡だろう。毎日ここを通ってるらしく、奥へ行くほど傷が新しい。
どこまで続くんだ、これ? と思いはじめたころ、隙間が少し広がって、岩のくぼみに出た。
草とか毛とか、そういうものを集めて敷きつめた、小さな寝床がある。
その上に、きいきい鳴く小さな塊が五つ。
生まれて間もないんだろう、毛もまだ薄い。感応の中で、柔らかくて温かいものがひくひく震えていた。
親はいない。水場で俺が喰ったあいつが、たぶん親の片方だった。もう片方は逃げたきり戻ってきてないらしい。
五つの、柔らかい肉。
逃げる足もないし、噛みつく歯もない。
……喰えるな、これ。
腹が鳴った気がした。鳴る腹なんかないけど、そういう気分だった。飢えはまだ、底のほうでずっとくすぶっている。
包んで溶かして喰う、を五回やるだけだ。危険はゼロで、経験値もたぶん少しは入る。
考えるまでもない。
なのに、体が動かなかった。
――かえらなきゃ。あの子たちに。
あいつの最後の声が、底のほうで小さく響いた。
うるさいって。あれは俺のじゃないって、決めただろ。
そのとき、聴音が別の音を拾った。
しゅる。しゅるる。
乾いた長いものが、岩の上を滑ってくる音だ。
巣のくぼみの、もうひとつの出入り口のほうからだった。ゆっくり、近づいてくる。
感応の端に、そいつが触れた。
長い。どこまで続くんだってくらい長くて、ひんやりした胴体。鱗のざらざらした手ざわり。先っぽの頭が、左右に小さく揺れている。
蛇だ!
しかもでかい。盲鼠なんか丸呑みにできる太さがある。
そいつは迷わず、まっすぐ巣のほうへ頭を向けていた。目がないのに、見えてるとしか思えない動きで、小さな温かい塊たちのほうへすうっと寄っていく。
子鼠たちの鳴き声が、急に大きくなった。
……おいおい。
こいつも、同じものを喰いに来たのか。
すぐに飛び出すのは、やめておいた。
盲鼠のときに早すぎて逃がしてるからな。同じ失敗は二回もしたくない。
それに、正面から行って勝てる相手じゃない。胴の太さも長さも、盲鼠や甲虫とは桁が違う。巻きつかれたら、たぶんそれで終わりだ。
とにかく、見る。
蛇は巣のくぼみの手前で頭を止めた。舌らしきものがちろちろ出入りしている。それから、ゆっくり口を開けた。
でかっ! 自分の頭よりでかく開くのかよ。
その口が、子鼠のひとつをぱくっと咥えた。
きいっ、と短い声がした。
蛇が呑みこみ始める。のどがゆっくり動いて、子鼠の体が少しずつ奥へ送られていく。そのあいだ、蛇の頭はくぼみに突っこんだまま、ほとんど動かない。
口は塞がってる。頭は狭いくぼみの中。胴体は、細い出入り口に長く伸びきっている。
……あれ?
こいつ今、何もできなくないか?
呑みこんでる最中は噛めないし、こんな狭い穴の中じゃ、巻きつくにも向きを変えなきゃならない。
これは押しどころだろ。
俺は巣の脇から、蛇の胴体に飛びついた。
狙うのは、首の少し下。出入り口に伸びた胴体の真ん中あたりだ。そこを、全身で包みこむ。
〈溶解を発動します。MP:5→4〉
鱗が、じゅっと鳴った。
硬い! 甲虫の殻ほどじゃないけど、岩並みに酸をはじく。溶けてるのは、鱗と鱗の継ぎ目だけだ。
蛇が胴体をぐねっとうねらせた。
頭はまだ子鼠を咥えたままなのに、胴体だけが別の生き物になったように暴れ始める。狭い穴の壁に、俺ごと叩きつけられた。
〈HPが減少しました。HP:18→15〉
離すか、この野郎。
〈溶解を発動します。MP:4→3〉
継ぎ目から、酸を奥へ押しこむ。
蛇が、子鼠を吐き出した。
あ、やばい。
自由になった頭が、くるっとこっちを向く。口が開く。
硬殻!
〈MP:3→2〉
固めた表面に、牙が突き刺さった。
〈HPが減少しました。HP:15→11〉
嘘だろ、通った!? 甲虫の顎も盲鼠の歯も止めたのに、この牙は細くて鋭くて、固めた層の隙間をすっと抜けてくる。
そして――
〈状態異常:毒〉
熱い。
牙の刺さったところから、何か熱いものが流れこんできた。内側からじわじわ焼かれる、嫌な熱さだ。
〈HPが減少しました。HP:11→10〉
〈HPが減少しました。HP:10→9〉
止まらない! 噛まれてないのに減っていく。
毒かよ……!
蛇がもう一度牙を立てようと、頭を引く。
させるか。
胴体を包んだまま、体の一部を蛇の頭へ伸ばした。開いた口の中へ、牙が来るより先に飛びこむ。
甲虫のときと同じだ。外が硬いなら、中から溶かせばいい。
〈溶解を発動します。MP:2→1〉
口の中は、柔らかかった。
蛇が狂ったように暴れた。胴体と頭の二か所から溶かされて、狭い穴の中でのたうち回る。
でも、俺はどこにも行かない。形がないから、叩きつけられても潰されても、ちぎれない限り離れない。
〈HPが減少しました。HP:9→8〉
〈HPが減少しました。HP:8→7〉
毒と、叩きつけられるのと。HPがじりじり削れていく。
先に溶けろ。俺が消えるより先に。
〈溶解の熟練度が上昇しました。溶解Lv2→Lv3〉
じゅう、と音が深くなった。継ぎ目が崩れて、鱗の下の柔らかい肉に酸が届く。
蛇の動きが鈍くなっていく。うねりがだんだん小さくなって、長い胴体が最後に一度だけ大きく波打って、静かになった。
〈HPが減少しました。HP:7→6〉
毒は、まだ止まってなかった。
まずいまずいまずい。
蛇は死んだのに、体の中の熱いのが消えない。このまま減り続けたら、喰う前に俺のほうが終わる。
どうする?
さっき、溶解は蛇の肉を溶かした。硬い鱗も、継ぎ目から崩した。
……この毒も、溶かせるんじゃないか?
根拠なんかない。でも、ほかに手がない。
体の内側に意識を向ける。牙が刺さったところの、熱いのが広がってる場所。そこだけを包むように、溶解を外じゃなくて内側に向けて流す。
〈溶解を発動します。MP:1→0〉
じゅっ。
体の中で、何かがほどけた。焼けるような熱さが、ゆっくり引いていく。
〈状態異常:毒が解除されました〉
……っ、はあああ。
口がないのに、でっかいため息が出た気がした。
溶解は、外のものだけじゃなくて、俺の中に入りこんだものも溶かせるらしい。死にかけてやっと覚えるのは、もう勘弁してほしいんだけどな。
喰掠の理。
蛇の肉は冷たくて、淡白で、ちょっと土臭かった。でも量がすごい。喰っても喰っても終わらなくて、長い胴体が端から順番に俺の中へ消えていく。
熱い塊がほどける。甲虫よりも、盲鼠よりも大きい。
そして、声が来た。
……いや、声と言っていいのかもわからなかった。
言葉がない。感情もほとんどない。ただ冷たくて長い空腹だけがあった。何日も何十日も、じっと待って、温かいものが来たら喰う。それだけの、静かで長い時間。
それから、世界の見え方。
目はないし、音もあまり聞こえない。代わりに、温かいものだけがぼうっと浮かび上がって見える。冷たい岩の中に、ぽつん、ぽつんと小さな灯りがともっている。
これが、こいつの見てた世界か。
今度の声は、あっさり噛み砕けた。飢えも恐怖もない、ただの冷たい静けさだったから。
〈捕食を完了しました〉
〈対象:盲蛇 Lv5〉
〈経験値45を獲得しました〉
〈うち4は上位領域へ転送されました〉
〈経験値41を取得しました〉
〈レベルが上昇しました。Lv3→Lv4〉
〈能力値を吸収しました〉
〈技能の解析を開始します〉
〈対象技能:熱感知Lv2――解析成功。技能【熱感知】を獲得しました〉
〈対象技能:毒牙Lv2――解析失敗〉
〈対象技能:締めつけLv1――解析失敗〉
レベル5の蛇だったのか。どうりで硬いわけだよ。盲鼠より三つ上で、甲虫よりもひとつ上。ここまでで一番の大物だ。
で、また四つ抜かれた。
毎回きっちり一割ずつ持っていきやがる。俺が稼げば稼ぐほど、向こうの取り分も増えるわけだ。
……覚えとけよ。
誰に言ってんのか、自分でもよくわかんないけど。
熱感知に意識を向けた瞬間、真っ暗だった世界に灯りがともった。
温かいものの形が、ぼんやり浮かんでくる。
巣のくぼみに、小さな灯りが四つあった。
子鼠たちだ。蛇に咥えられた一匹は、吐き出されたあと、もう冷たくなっていた。残りの四つは寄り添って、小さく震えながら、ちゃんと温かい。
四つの灯り。
さっきと同じで、逃げる足もないし、噛みつく歯もない。
MPはゼロで、HPも喰ったぶん戻ったとはいえ半分もない。これ以上何かとやり合える状態じゃないんだから、今喰える肉は確実に喰っておくべきだ。
……。
俺は巣の前で、しばらく動かなかった。
それから、自分に言い聞かせるように考えた。
この子鼠を喰えば、少しは腹が膨れる。経験値も少しは入る。でも、それで終わりだ。
じゃあ、喰わなかったらどうなる?
逃げたもう一匹の親が、そのうち戻ってくるかもしれない。こいつらが育てば、また水場に通うようになる。足跡が増えて、俺は水場で待ってるだけでいい。
一回喰って終わりにするか、残しておいて何度も喰うか。
餌場は、残しておいたほうが得だ。
うん。そうだ。これは損得の話だ。
雀荘の店長が、店の裏で野良猫に餌をやってたのを思い出した。俺はそれを見て、甘いっすねって笑ったんだ。店長は、ネズミよけだよ、と言っていた。
たぶん、嘘だったと思う。
関係ないけどな。俺のはちゃんと計算だから。明け方の部屋とか、起きて待ってた誰かとか、そういうのとは全然関係ない。
……たぶん。
俺は巣に背を向けて、蛇の来たほうの出入り口へずるずる体を引きずった。
背中で、きい、と小さな声がした。
振り返らなかった。
【ステータス】
個体名:ヴォイド
種族:腐肉の粘体
段階:1
レベル:4/10
HP:11/25
MP:1/6
攻撃:6
防御:3
敏捷:3
魔力:4
固有スキル:喰掠の理、■■■
スキル:溶解Lv3、感応Lv1、硬殻Lv2、聴音Lv1、熱感知Lv1
感応で触って、聴音で聞いて、熱感知で温かいものを見る。
生まれたときは何もない真っ暗闇だったのに、喰うたびに少しずつ埋まっていく。
蛇の来た出入り口の先で、熱感知がぼんやりした灯りをいくつも拾った。遠くに近くに、小さいのも大きいのも。
世界は、思っていたよりずっと生き物だらけだった。




