第二十一話
頭はあれから毎晩ひとりで水を飲みに来た。
群れの残りは来ない。たぶん頭が先に水を飲んで、安全を確かめてから、巣穴の連中を連れてくるつもりなんだろう。でも毎晩、頭は飲み終わっても誰も呼ばずに帰っていく。
脇腹の新しい傷から、ずっと血の匂いがしていた。
足を引きずる音も、少しずつ軽くなってはいる。でも、まだ治りきってない。
……今が、一番弱ってるときだ。
雀荘で、点数をごっそり削られた親が一番怖いのは知ってる。失うものがなくなった人間は、とんでもない手で押してくる。
でも点数がないってことは、一回振りこんだら終わりってことでもある。
怖いけど、狙うなら今だ。
ただ今の俺のままじゃ、手負いの頭にすら勝てない。
あの牙を思い出す。硬殻の上から二十五を持っていった、骨ごと砕く牙。手負いでも、あれは変わらないだろう。
こっちにも、牙がいる。
隣の群れの雄から奪った噛砕を、作業台に乗せてみた。
形は上下に並んだ鋭い三角の列だった。ぎざぎざの縁ががちっと噛みあうようにできている。
これを、どうやって使えばいいんだ?
俺には口がない。歯もない。顎もない。
……ないなら、作ればいいか。
体の一部を伸ばして、先っぽを硬殻で固める。固めた部分を、噛砕の形に合わせて、三角の列にしてみる。
〈MP:19→18〉
できた……のか?
浅瀬の小石を、その「牙」で挟んでみた。
かりっ。
小石の表面に、浅い傷がついた。
おお!
もう一回。今度は上下から挟みこむ形にしてみる。
〈MP:18→17〉
がりっ。
小石が、ひびを入れて割れた。
うおおお! 割れた!
粘体のくせに、牙がある。腐った肉の塊が噛みつける。なんか、ちょっと感動した。
何回か試すうちに、牙の形を作るのも速くなってきた。
〈MP:17→16〉
噛める。でも、それだけじゃ頭には足りない。
あいつの体は牙を入れても簡単には崩れないだろう。噛んで、溶かして、吸い取る。全部いっぺんにやらないと、たぶん間に合わない。
そのためには、まずレベルを上げる。
前に狙っていた、あの灯りのことを思い出した。頭に待ち伏せされたときに、向かっていた先にいたやつだ。
あそこへの道は、頭にもう読まれてる。
だから道を変える。反響感知で岩場の形をなぞって、前とはまったく別の割れ目を抜けていく。
匂いは、岩の匂いでごまかす。
頭が付けた匂いの印が、あちこちの岩に残っていた。それを避けて、遠回りする。
だいぶ時間がかかったけど、ようやくその場所にたどり着いた。
岩壁が、じっとり濡れていた。
壁から染み出した水が、白っぽい筋になって固まっている。その壁に、でかい灯りがぴったり張りついていた。
熱感知で形をなぞる。
蜥蜴だ。ずんぐりした体に、太くて短い四本の脚。尻尾も太い。背中は岩そのもののようにごつごつしている。
そいつは壁の白い筋を舌でべろべろ舐めていた。
壁に染み出した何かを、舐めて喰ってるんだ。
反響感知を飛ばす。背中の殻は甲虫よりも、蟹よりも硬そうだった。正面から溶解をかけても、たぶんほとんど通らない。
でも、舌は柔らかい。
あいつは舐めてるあいだ、ずっと舌を出しっぱなしにしてる。
しばらく見ていると、もうひとつ気づいた。
舐める場所が毎回同じだ。白い筋が一番太くなってるところを、端から順番に舐めていく。舐め終わると少しだけ休んで、また最初から。
癖だな。
舐めはじめの場所の、すぐ横の岩陰に、俺は体を沈めた。
蜥蜴が舐めはじめる。
べろり、べろり。
舌が、俺のすぐ横を通る。
今だ!
体を伸ばして、牙を作る。
〈MP:16→15〉
伸びてきた舌に、上下から噛みつく!
〈MP:15→14〉
がちっ!
牙が、舌に食いこんだ。
蜥蜴が跳ねる。ずんぐりした体からは想像できない勢いで、頭を振りまわす。
離すか!
噛んだまま、吸血を流す。
〈MP:14→13〉
舌の傷口から、何かが流れこんでくる。熱い。蜥蜴の体力が俺の中に吸いこまれていく。
それから、溶解。
〈溶解を発動します。MP:13→12〉
舌の付け根まで、酸を流しこむ。
蜥蜴が尻尾を振りまわした。
太い尻尾が俺の体の真ん中を思いきり叩いた。
〈HPが減少しました。HP:102→91〉
ぐはっ! 重い!
硬殻をかける。
〈MP:12→11〉
〈HPが減少しました。HP:91→80〉
もう一発来た。でも離さない。
〈溶解を発動します。MP:11→10〉
舌から口の中へ、口の中から喉の奥へ。外側の岩みたいな殻は関係ない。中はどこも柔らかい。
〈溶解を発動します。MP:10→9〉
蜥蜴の動きがだんだん鈍くなる。尻尾を振る力も落ちてくる。
最後に、壁にどすんと体をあずけて、そのまま動かなくなった。
喰掠の理。
重い肉だった。
みっしり詰まっていて、噛んでも噛んでも終わらない。岩を噛みしめているような、ぼそぼそした歯ごたえだ。
流れこんできたのは、遅くて重い満足だった。
ゆっくり壁を舐める。ゆっくり歩く。急ぐ必要なんかない。硬い背中があれば、誰にも喰われない。岩の味を、ただじっくり噛みしめていればいい。
……幸せそうだな、お前。
ちょっとうらやましいくらいだった。
〈捕食を完了しました〉
〈対象:岩喰い蜥蜴 Lv10〉
〈経験値100を獲得しました〉
〈うち10は上位領域へ転送されました〉
〈経験値90を取得しました〉
〈レベルが上昇しました。Lv11→Lv12〉
〈能力値を吸収しました〉
〈技能の解析を開始します〉
〈対象技能:剛皮Lv3――解析成功〉
〈技能【剛皮】は保有技能【硬殻】と同系統です。自動で統合します〉
〈硬殻Lv3→Lv4〉
〈対象技能:岩喰Lv2――解析成功〉
〈技能【岩喰】は保有技能【溶解】と同系統です。自動で統合します〉
〈溶解Lv3→Lv4〉
両方取れた!
しかも、どっちも手持ちのスキルに入りこんで、レベルを押し上げてくれた。
試しに、岸の岩に溶解をかけてみる。
じゅっ。
前はほとんど溶けなかった岩の表面が、ぐずっと崩れた。
……溶ける。岩が溶ける!
硬殻も固めてみると、板の重なりがまた一枚増えていた。
【ステータス】
個体名:ヴォイド
種族:腐肉の粘体
段階:1
レベル:12/15
HP:92/116
MP:10/21
攻撃:20
防御:14
敏捷:16
魔力:15
固有スキル:喰掠の理、変質者、■■■
スキル:溶解Lv4、硬殻Lv4、熱感知Lv2、震覚Lv2、水化Lv3、水弾Lv3、匂い写しLv4、吸血Lv1、反響感知Lv1、噛砕Lv1
噛んで、吸って、溶かす。
手持ちの札が、やっとそろってきた。
湖に戻る途中、ずっと遠くの岩場から、頭の匂いが風に乗って流れてきた。
血の匂いは昨日より少しだけ薄くなっていた。
傷が治りきる前に、決めないとな。




