↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/31

第十五話

群れが来るかどうか、正直、五分五分だと思っていた。


あれだけ怖がってたんだから、別の水場を探しに行ってもおかしくないだろ?


でも最後尾の記憶を思い返すと、それは難しいはずだった。縄張りの中で、まともに水が飲める場所はこの湖しかない。ほかの水場は別の群れの縄張りか、あの糸の匂いがする広間の近くだ。


喉が渇けば、来るしかない。そして実際、群れは来た。



いつもより、ずっと遅い時間だった。


見張りの二頭が岩場の上でなかなか降りてこない。何度も鼻を鳴らして、水際の匂いを確かめている。


ようやく降りてきても、昨夜あいつの匂いがした場所には近づかなかった。わざわざ大回りして、反対側の端の、岩がごつごつした水際を選んでいる。


頭が降りてきて飲む時間も、いつもよりずっと短い。


ほかの連中も急いで飲んで、誰も水面から目を離さない。耳もずっと湖のほうを向いている。


完全に、湖の主がいる湖の飲み方だ。


……悪いな。主はもういないんだ。代わりに、俺がいるけど。



その中に、一頭だけ落ち着きのないやつがいた。


若い見張りだ。昨夜、前に出ようとして頭に吠えられたやつ。


そいつは水を飲みながら、ちらちらと反対側の水際を見ていた。最後尾の匂いがした、あの場所だ。


気になってしょうがないんだろう。怖いのに見たくて、見たいのに怖い。顔なんか見えないけど、匂いと仕草でなんとなくわかる。


雀荘にも、こういう若いのがいた。危ない牌だってわかってるのに、なぜか切りたくなって、結局切る。で、振りこむ。


俺はそっと、最後尾の匂いを水際に流した。


〈MP:16→15〉


ほんの少しだけ。風に乗って、かすかに届くくらい。


若いのの耳が、ぴくっと動いた。……よし、食いついたか?



群れが帰りかけたとき、若いのがひとりだけ足を止めた。


頭が短く喉を鳴らす。帰るぞ、の合図だ。


若いのは一歩だけ群れのほうへ戻りかけて、また止まった。


それから反対側の水際へ、そろそろと歩きだした。


最後尾の匂いがする場所へ。


頭が振り返って、低く唸った。


若いのは一瞬びくっとしたけど、止まらなかった。耳を伏せて、尻尾を下げて、それでも水際に近づいていく。


匂いのする水面に鼻を近づけて、くうん、と鳴く。首を伸ばす。もう少し、もう少し。


そして、前脚が一本、水に入った。


――ここだ。


俺は水の中で、さっきから少しだけ深いところに移っていた。前脚が一本入るくらいの場所なら、もう一歩で膝まで沈む。


体を水化で透きとおらせて、その一歩先で待つ。


〈MP:15→14〉


若いのが、もう一歩踏み出した。


前脚が二本とも、水の中だ。


今だ!


水の中から、若いのの前脚に巻きついて、一気に深みのほうへ引っぱる。


若いのが悲鳴をあげて、後ろ脚で踏ん張ろうとする。でも濡れた砂の上じゃ踏ん張りがきかない。ずるずると水の中に引きずられていく。


〈HPが減少しました。HP:67→61〉


爪が俺の体を引っかく。水の中だと、陸の上ほど力が入らないらしい。浅い。


腹まで、肩まで、水に沈んでいく。


若いのが首を振って、水面から顔を出そうとする。俺はその首に回りこんで、鼻と口を水の中に押さえこんだ。


〈溶解を発動します。MP:14→13〉



岸の上が、大騒ぎになった。


群れの全員が一斉に吠えはじめた。わんわんがうがうと、ものすごい声だ。見張りのもう一頭が、水際をぐるぐる走り回っている。


それでも誰も水には入ってこないし、入ってこられないんだ。


水の中に、仲間を引きずりこむ何かがいる。湖の主がまた獲物を捕まえた。あいつらにはそうとしか見えないだろう。


〈溶解を発動します。MP:13→12〉


若いのが、俺に噛みついてきた。


〈HPが減少しました。HP:61→55〉


水の中でも、牙は牙だ。痛っ!


でも息が続かないんだろう。噛む力はすぐに弱くなった。


そのときだった。


岸の騒ぎが、ふっと止んだ。


熱感知を向けると、群れの全員が水際から下がっていた。その真ん中を、ひとつのでかい灯りが歩いてくる。


頭だ。


頭はまっすぐ水際まで来た。唸りもしない。吠えもしない。ただ若いのが沈んでいるあたりの水面を、じっと見ている。


それから――頭は、前脚を一本、水に入れた。


――っ!


群れの誰も、一度もやらなかったことだ。最後尾も、若いのも、おそるおそるやっただけのことを、頭は迷いなくやった。


怖くないのか?


いや、怖いはずだ。背中の毛は逆立ってるし、喉の奥ではかすかに震える音がしてる。


怖いのに来たのか、仲間を取り返しに。


頭は、もう一歩踏み出そうとした。


〈溶解を発動します。MP:12→11〉


若いのの体から、最後の力が抜けた。


頭の脚が止まった。水面の向こうで何が起きたのか、たぶんわかったんだろう。


頭はしばらくそのまま動かなかった。水に前脚を一本入れたまま、じっと湖を見ていた。


それから、ゆっくり脚を引いた。



群れが帰ったあと、俺は若いのを喰った。


喰掠の理(グラトニー)。


最後尾より、肉が柔らかかった。若いんだろう。血の味も少し薄い。


流れこんできたのは、憧れだった。


――あんなふうになりたい。


頭の背中。一番前を走る、大きな体。どんな相手にも引かない。群れのみんながあの背中についていく。


いつか自分も、あんなふうに。


それから、恐れ。


最後尾の匂いがする水。怖い。でも知りたい。何があるのか、確かめたい。頭に吠えられても、確かめたかった。


……バカだなあ、お前。


噛み砕きながら、そう思った。


好奇心で死ぬのは、若いやつの特権かもしれないけどさ。


〈捕食を完了しました〉

〈対象:餓狼 Lv6〉

〈経験値60を獲得しました〉

〈うち6は上位領域へ転送されました〉

〈経験値54を取得しました〉

〈レベルが上昇しました。Lv9→Lv10〉

〈能力値を吸収しました〉

〈技能の解析を開始します〉

〈対象技能:嗅覚Lv2――解析成功〉

〈技能【嗅覚】は保有技能【匂い写し】と同系統です。自動で統合します〉

〈匂い写しLv1→Lv2〉

〈対象技能:疾走Lv2――解析失敗〉

〈系統の記録を更新しました。餓狼:2〉


餓狼が二。レベルは10で、上限が15に上がってなかったらここで止まってたところだ。危なっ!


疾走は失敗。逃走に続いて、足が速くなるスキルにはとことん嫌われてるらしい。


まあ、粘体だしな。走る脚もないのに疾走って何だよって話だ。



その夜、遠くで遠吠えが聞こえた。


いつもの、群れが呼び合う声じゃなかった。


一頭だけの、低くて長くて太い声。湖の岸の、すぐ向こうの岩場から響いてくる。


頭の声だった。途中で途切れることもなく、ずっと続いている。


呼んでるのか? それとも、湖の中にいる何かに向かって言ってるのか?


――次は、俺が行く。


なんとなく、そう聞こえた。


その声を聞きながら、俺の霊核の奥が、また震えた。前よりはっきりと。前より強く。


【ステータス】

個体名:ヴォイド

種族:腐肉の粘体

段階:1

レベル:10/15

HP:62/76

MP:12/17

攻撃:13

防御:8

敏捷:11

魔力:13

固有スキル:喰掠の理(グラトニー)、変質者(アルケミスト)、■■■

スキル:溶解Lv3、硬殻Lv3、聴音Lv2、熱感知Lv1、震覚Lv2、水化Lv2、水弾Lv3、匂い写しLv2


湖の底で、俺は頭の声が止むのを待った。


あいつは強い。体も頭も心も。


怖いのに、仲間のために水に脚を入れられるやつだ。


……そういうやつとだけは、正直やりたくなかったんだけどな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。