第四話 青い木陰、重なる体温
待ち合わせたわけではないのに、なぜかその足は自然と図書館へ向いていた。
菜月に会った日から、ちょうど三日。
心のどこかで、淡い期待を抱いていたのだと、認めるしかなかった。
開館間近の図書館の入り口付近には、すでに数人の人影があった。
そのざわめきの中に、ひときわ輝く存在を見つける。
――菜月だ。
私を見つけるなり、菜月はぶんぶんと大きく両腕を振った。
「怜!早く、早く!」
無邪気に響く声に、周囲の視線が集まるのを恥ずかしがりながらも、胸の奥で嬉しさが激しく跳ねる。私はそれを抑え込むように小走りで駆け寄り、その細い肩に軽く触れた。
「……また、日焼けした?」
「うん。ほら、見てここ。皮がめくれてさ……まだひりひりするの」
そう言って菜月はTシャツの袖を捲り、肩の後ろ側を指で押してみせた。
確かに、あちこちの皮膚が赤くめくれている。この三日の間に、どこか海の方へでも出かけたのだろうか。
「どこか、遊びに行ったのか?」
「……」
菜月はふっと口を籠こもらせると、気まずそうに両肩をすくめた。
その小さな反応に、言い知れない引っかかりを覚える。
「……後で、薬を塗ってやるよ。擦り傷用の薬が、家にあったから……」
そう口にした瞬間、自分の言葉の裏にある意味に気づき、わずかに息を呑んだ。
(……家に連れて帰る……?)
それはつまり、二人きりの密室へ招き入れるということだ。
理性では「やめておけ」と警報が鳴っているのに、私の口は勝手に動いていた。
「ここで待ってて」と言い残し、私は走って自宅へ引き返した。
救急箱からキズ用の軟膏を取り出すと、手がわずかに震える。
(私が……菜月に塗るのか……?)
頭を過った一つの可能性に、どきっと胸が高鳴った。
あの子に――触れられる。
アスファルトから立ち上る熱風が、私の頭をぼんやりとさせる。
まるで熱病のようだ。十二歳の男の子に触れたいだなんて……まるで恋でもしているみたいじゃないか。
急いで図書館のロビーへ戻り、菜月を捕まえる。そのまま表の入り口とは反対側の自動ドアから抜け、裏手に広がる公園へ向かった。
大きな楠の木陰。
木漏れ日が揺れる古いベンチに、私と菜月は並んで腰掛けた。
人通りはなく、聞こえるのは蝉の声と、時折吹き抜けるぬるい風の音だけだった。
「……ちょっと染みるかもしれないぞ」
カバンから取り出した軟膏のチューブを絞り、指先に半透明の薬を取る。
菜月は「平気」と小さく言って、着ていたTシャツの襟ぐりをぐっと引っ張り、痛々しく皮のめくれた肩を剥き出しにした。
華奢な首筋。
汗が滲んで艶めき、眩しいほどに輝く皮膚。
ごくりと生唾を呑む。
菜月にもその音が聞こえてしまったのではないかと焦る。言い知れぬ罪悪感と、心の底から押し寄せる衝動の間で葛藤しながら、私は小さく息を吐き出した。
そっと、指先を伸ばす。
めくれた皮膚の境目に薬を馴染ませると、菜月が「んっ……」と短く息を呑んだ。
「……はあっ……」
「……どうした、痛いか?」
「ううん……冷たいだけ」
日焼けの熱を孕んだ肌。
触れた指先から、菜月の体温がダイレクトに伝わってくる。
あの古い傷痕の横を避けるように、私は慎重に指を滑らせた。
首筋から、肩のライン、そしてTシャツの中に隠れた背中の方へ――。
(……これ以上、中へ入ったらダメだ)
頭の中で理性の警報が鳴り響く。
けれど、柔らかく湿り気のある肌の感触に吸い寄せられ、私の指先は止まらない。
その時だった。
「ねぇ……怜……」
菜月が不意に振り返り、私の薬のついた手首をぎゅっと掴んだ。
拒絶されるのかと心臓が跳ね上がったが、菜月は目を伏せ、そのまま私の手を、自分の胸元――服の中へと引き寄せたのだ。
「……こっちも。ここも、ひりひりするの……」
生地一枚を隔てた向こう側で、小さく、けれど激しく打つ菜月の心臓の鼓動が、私の手のひらに直接伝わってくる。
菜月の透き通った茶色い瞳が、まっすぐに私を射抜いていた。
「……なつ……」
手を引き抜かなければいけない。大人の理性として、ここで止めるべきだ。
なのに、吸い込まれそうなその瞳と、服の中で鼓動する熱量に縛られ、私は指一本動かすことができなくなっていた――。




