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刹那の夏、君の体温(ねつ)に溶ける。  作者: 毬藻 闇雪
刹那の夏、君の体温(ねつ)に溶ける。

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最終話 刹那の夏、君の体温に溶ける。



 私は人生を失った。

 理由は、まぁいろいろだ。


 ……私は、やはり甘い人間なのだと実感する。

 これまでもずっと、何かに甘えて生きてきた。


 けれど、最近になってようやく気付いてきたことがある。

 これは私だけの物語なのだから、自分のやりたいようにやればいいのだと。


 誰かが眉をひそめたって、自分が正しいと思えれば、突き進んでいい。

 正しい場所へ引っ張っていってくれる、そんな奇特な人は存在しない。



 当たり前だ。



 誰しもが人生の中では迷い、誰しもが正しい道を知らないのだから。


 行きたい場所があるのなら、自らの足で歩けばいい。


 立ち止まってもいい。

 迷ってもいい。


 ときには後ろを振り向いて、座り込んでもいい。 

 目の前が暗く、先に進めないと思うのなら、引き返して別の道を探してもいい。


 悪口を言うやつには、言わせとけばいいんだ。

 どうせ誰も責任なんか取らず、好き勝手いうだけなんだから。


 ……今なら、そう思える。




――――――――――――――――――――




 私は、祖母の暮らす施設の近くへ引っ越した。

 郊外の静かなところだ。


 介護の手伝いをしながら、何とか毎日を過ごしていた。


 あの夏からしばらくの間は、何をしていても、なつのことを考えていた。


 けれど、時間は止まってくれない。


 季節が巡り、仕事をし、祖母のところへ通い、食事をして眠る。

 そんな当たり前の毎日が、少しずつ私の中に積み重なっていった。




 弁護士を通じて、なつと文通をするようになった。


 最初は、なつから一方的に手紙が届いた。

 内容は、その日あったこと。

 学校のこと。

 菜星のこと。

 猫のミイのこと。


 私は、それに返事を書いた。

 週に一度。


 決まった曜日に手紙を書く。

 それが、しばらくの間、私たちの約束だった。


 やがて、弁護士を介さず、お互いの住所へ直接手紙を送れるようになった。


 封筒に書かれた、なつの文字。

 それを見るだけで、不思議と胸が温かくなった。




 あれから一年ほど経った頃だった。


 同封された写真には、少し大きくなった菜星と、以前よりもたくましくなったなつが写っていた。


 海で過ごしているのだろう。

 顔も腕も、真っ黒に日焼けしている。

 写真の中で、なつは笑っていた。

 私は、その写真をしばらく眺めていた。


 互いの住所は知っている。

 それでも、会いに行こうとは思わなかった。

 なつには、なつの時間が必要だった。


 あの夏のことを、私とのことを、ゆっくりと自分の中で整理していく時間が。


 私は、なつの心のケアを、その家族に任せたままにしている。

 そんな後ろめたさもあった。


 その頃、私は祖母の世話をしてくれている介護士の女性と知り合った。


 何度か外で会い、一緒に映画を観たこともある。


 彼女は、ゆっくり話す人だった。

 隣にいると、不思議と落ち着いた。


 それが恋なのかどうか、私には分からなかった。

 ただ、誰かと一緒にいることが、以前ほど怖くなくなっていた。




 あるときは、なつの母親が妊娠したと書いてあった。

 黒木と再婚したらしい。


 勉強の傍ら、黒木の漁を手伝い、一緒に編み物をしているという。


「編み物? 冗談じゃなかったのか」

 私は可笑しくなって、黒木の顔を思い出した。


 なつが初めて編んだマフラーは、菜星のお気に入りらしい。


「なつが編み物?」

 想像してみる。


 ……やっぱり、可笑しい。


 これもまた、なつなりのジョークなのかもしれない。


(でも……なつなら案外、器用に編んでしまうのかもしれないな)




 中学に進学すると、途端に女子から告白されるようになったという。

 毎日靴箱や机の中に、ラブレターが入っていることに、『ウザい』と書かれていた。


 私は口の端で笑ってしまった。


「なつも、ウザいなんて言うんだ……これが中二病というやつか」





 なつは十四歳になっていた。

 


 なつから届いた手紙に、大学を目指していると書かれていた。

 他愛もない手紙の最後には、母親が出産したと書いてあった。


「ふつう、こっちがメインじゃないのか……」


 私は思わず笑った。


 赤ちゃんの名前は、菜陽と書いて「なひろ」。

 男の子だそうだ。


「"菜"にこだわりすぎだろ……」


 一体、何の意味があるのだろう?





 けれど――


 手紙の間隔は、少しずつ長くなっていった。

 一週間が二週間になり、二週間がひと月になる。


 私も、毎回すぐに返事を書くわけではなくなった。


 なつにも、学校があり、家族があり、友達がいる。


 私にも同じように、私の生活がある。


 ――それでいいのだと思った。




 なつは地元の高校に入学し、進学クラスに入ったという。

 本格的に大学に向けての受験勉強を開始すると書かれていた。


 だからあまり手紙を書けないかもしれない、と。

 



 久しぶりに届いた手紙には、女の子から告白されたと書かれていた。


「これで何度目だ」


 私は、ふっと笑った。


 全校生徒が百人にも満たない小さな高校で、そんなに告白されていたら、男子から反感を買いそうなものだ。


 けれど、そんなことを気にしているなつを想像すると、また可笑しくなった。


 同封されていた写真には、すっかり大人になったなつの顔が写っている。


 私の知らない、なつ。


 ……いや。


 私は、あの夏に出会った、たった一瞬だけをともに過ごした、なつしか知らないのだ。



 その頃、介護士の女性の結婚話を聞いた。


 私が煮えきらないと、別の介護士の女性から聞かされたが、そもそも付き合っているつもりもなかったので、少しだけ面食らった。





「女の子と付き合うことになった」


 高校ニ年生になったとき、そう書かれていた。


 そしてなつからの手紙も来なくなった。


 彼女に夢中になっているのだろうか。

 受験勉強で忙しいのかもしれないな……。


 一か月。

 二か月。

 半年。

 一年。


 ――それでも手紙は来なかった。


 なつは、私という呪縛から離れられたのだろうか。


 なつには、なつの人生がある。

 私が願ったことだ。


 なつの人生から、私が少しずつ消えていく……。


 なつが幸せなら、それでいい。

 もう、私のことなど忘れてしまってもいい。


 自分に言い聞かせた。




 一人でも、生きていけるようになったなつを想う。


 互いに欠けている部分を、相手なしでは完成できないからと、依存する必要がなくなったということか。


 あの夏、私たちは、お互いを必要としていた。


 一人ではうまく生きられなかった二人が、偶然出会い、互いの人生に小さな支点を与えた。


 だが、これからは、自らの足で歩いて行けるのだ。


 我々の補完は完成していた――。




―――――――――――――――――――――



 2026年8月末――


 あれから六年後。



 ベランダで洗濯を干し終わり、空を見上げる。

 毎年この時期になるといつも思い出す。


 あの夏、不思議な少年と出会って、無気力に生きていた私は、不覚にも心を動かされ、自分自身が想像もできないような逃避行をした。


 周りに迷惑をかけてしまったことは、反省したが、その行動が間違っていたとは未だに思えなかった。


 また再びあの日が巡ってきたとしても、やはり私はあのときと同じ過ちを犯してしまうだろう。

 あのとき突き動かされた熱量は、なつの渇望を具現化していた。



 久しぶりに行ってみようか――。

 ふと思い立つと、いても立ってもいられなくなった。


 私の足は、なつと出会った図書館に、自然と向かっていた……。




 静かな図書館。


 ぱらぱらとページをめくる音。

 空調の重い響き。


(懐かしいな……)


 図書館の長テーブル。


 テーブルの配置が変わっていた。

 なつと出会った場所は、確かこの辺り。

 左側の窓から、公園の大きな楠が見えていた。


 楠の木陰のベンチで、なつと話をした。

 日焼けの身体に薬を塗ってやり、そのあと土砂降りに遭遇した。


 まるで昨日の事のように鮮明に思い出せる。

 なつの横顔、華奢な身体。

 キラキラと輝く、ヘーゼル色の瞳。

 長いまつげは、西洋のお姫様のようだった。


 本棚に、その本はあった。


「これだったな……」


 私は思わず手に取った。

 図書館の長テーブルに座り、量子力学の本を置く。


 なつが「読まないなら貸して」と言ったあの本だ。


 ……結局読めないままだった。


 外を眺めながら頬づえをつく。

 芝生の上をスプリンクラーが回り、キラキラと光の粒をばらまいている。


 目をつぶって、なつを想う。

 きれいな横顔をしていた。


 思わず目が吸い寄せられた。

 私なんかが触れたら、壊れてしまうと思った。


 ふっと笑みがこぼれる。


 そのとき、ガタッと椅子が引かれた。

 静寂の中、不意に大きな音が響く。


 私の真横に座った学生が、バッグから参考書や、筆記具を取り出し、サラサラとシャーペンを走らせて勉強を始めた。


 私も邪魔にならないよう、本を引き寄せる。


 不意に声を掛けられた。


「その本、読まないなら貸して」


 弾かれたように横を向くと――

 日焼けした黒い肌に、白い歯を見せて笑う。


 なつが、そこにいた……。


(えっ……!?)


 じーっと、こちらを見つめている。

 キレイな茶色の瞳。


「あっ。……どうぞ」


 本を差し出すと、受け取ったその指先が、私の手に触れた。


 あたたかな体温(ぬくもり)。

 胸がどきっと跳ね上がる。


「久しぶり、怜」


 なつは静かに微笑んだ。


「……久しぶり。……どうして?」


 私は混乱して、何も頭に浮かばなかった。


「ずっと待ってたよ。……怜に、会いたかった」


「俺も……」

「約束したよね。すぐ戻るって」

「……した」

「もう、待ちきれなくて来ちゃったよ」


 テーブルの下で、なつが手を伸ばす。

 私は一度だけためらって、その上に手を重ねた。


「おかえり、怜」

「……ただいま。なつ」


 離れていた長い時間が、たった一言で埋まった。


 私は、言葉を飲みこみそうになったが、思い切って言う。



「パンでも食べに行こう」



 離れていても、二人の時間は確かにそこにあった。


 互いを思い、たった一つの思い出を心の支えにして生きてきた。


 それが不幸だとか、幸福だという話ではない。

 そういう人生もある、ということだ。



 観測されていない人生もまた、そこに確かに存在していたのだと。



 なつは、空を見上げて言った。


「月がきれいですね」


 私も空を見上げる。


 日の入りを終えた空の東に、明るい月が昇っていた。


 まだ夜にはなりきらない、青みの残る空。

 その中に浮かぶ白い月が、静かに輝いている。



 私は、ただ一度だけ頷いた。


「私も、同じ気持ちです」


 なつが差し出した手に、そっと自分の手を重ねた。


 刹那の夏、君の体温(ねつ)に溶ける――。





 完。





 ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。


 無事に書き終えることができて、今はほっとしています。


 ……とはいえ、実は書きたかったことの半分くらいは、泣く泣く削ってしまいました。


 伏線として回収できていないものもあるかもしれません。


 なつが、この六年間をどう生きて、何を考えていたのか。


 母親の謎めいた仕草や、再婚相手の夫、その義父母の死。


 なつの父親が、なぜあそこまで狂気に至ってしまったのか。


 そして、怜があの夏、何を考えていたのか――。


 書き始めれば、まだまだ書きたいことはありました。


「年の差BL」などと大風呂敷を広げたわりには、こんな感じで完結してしまいました……。


 でも。


 大人になったなつと怜なら、もしかしたら――

 ワンチャン♡、あるんじゃないかな、なんて思ったりしています。



 それでは……。


 名残惜しくはありますが、これにて終演とさせていただきます。


 最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


 評価やコメントなどいただけましたら、作者の励みになり、飛び跳ねて喜びます。


 よろしければ、ぜひお願いいたします。


 毬藻 闇雪



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