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刹那の夏、君の体温(ねつ)に溶ける。  作者: 毬藻 闇雪
刹那の夏、君の体温(ねつ)に溶ける。

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第ニ十三話 鹿児島へ



 博多駅を出た新幹線は、滑るようにホームを離れる。

 窓の外を、見慣れない街が後方へ流れていく。


 高層ビル。

 マンション。

 道路を走る車。


 朝の街は、まだ眠りから完全に覚めていない。信号の向こうを行き交う人影も、どこかまばらだった。


 私は窓際に座るなつの横顔を見た。

 日焼けした頬に、朝日が細く差し込む。


 窓枠に頬杖を付いたなつは、黙り込んだまま、流れていく景色を眺めていた。


 膝の上には、母親の住所が記された手紙。

 何度も見返したであろう封筒の端は、ボロボロに擦り切れていた。


「……本当に、鹿児島まで行くんだね」

 なつがぽつりと言った。


「うん」

「お母さん、いるかな」

「いるよ」


 そう答えてから、私は少しだけ間を置いた。

「……きっと」


 なつは返事をしなかった。

 ただ、手紙を大切そうに折りたたみ、リュックの中へしまった。


 新幹線は街を抜け、少しずつ景色を変えていく。

 建物の隙間から見えていた空が、次第に広くなっていった。


 緑が増えていく。


 田園が広がる。


 夏の日差しを浴びた稲が、風に揺れている。

まだ夏は終わっていない。

 けれど、どこかに秋の気配が混じっている。

 強い陽射しの下に広がる田畑の向こうで、山々が青く霞んでいた。


「……きれい」

 なつが窓に顔を近づけた。


「そうだね」

 私もなつの肩越しに、窓の外を見る。


 自分たちの現実を考えると、胸の奥が重くなる。

 けれど、こうして新幹線に乗って、弁当を食べ、窓の外の景色を眺めていると――まるで、ただの旅行みたいに思えていた。


 一生に一度きりの……。


 新幹線は熊本へ近づいていく。

 街並みが途切れ、山の緑が濃くなる。


 トンネルに入り、車内が暗くなった。

 窓に映った自分たちの姿が、外の景色に代わって浮かび上がった。


 なつが、私を見つめる。

 私も、なつを見返した。



 やがてトンネルを抜けると、眩しい光が一気に車内へ戻ってきた。


「……怜」

「ん?」

「僕、お母さんに会ったら……」

 なつはそこで口をつぐむ。


 そして、しばらく考えたのち、ゆっくり顔を上げると、小さく笑った。

「……何て……言おうかな?」

「んー。……お母さん、って?」

「えー。ふふふ」

「会いたかったよって」

「……あはは。それはどうだろ……」

 なつは何かを言いかけたが、無言で口を閉じた。


「……僕なんかが、いきなり行って……迷惑かもしれないのに?」

 完全に不安に押し潰された顔を、隠しきれていなかった。


「……そんなこと」

 ……無い、と言いかけて、私は言葉を失う。

 そうでないとも言い切れない。

 もしそうだったら……


 なつの横顔は、さっきまで窓の外を見ていたときより、ずっと幼く見えた。



「お母さん、僕のこと……」

 再びなつは口を閉じた。


 私は何も聞かなかった。

 聞いてしまえば、なつが抱えている不安を、現実に露呈させてしまう気がしたから。


 だから私は、ただ、「大丈夫だよ」と言った。



 新幹線は南へ進んでいく。

 窓の外に広がる緑は、さらに濃くなった。


 山の斜面。

 深い木々。

 遠くに見える小さな集落。

 空には、夏の名残のような大きな雲が浮かんでいる。


 けれど、その雲の向こうには、もう秋の青さがあった。


 季節は、私たちを置き去りにして進んでいく。

 私はふと、そんなことを思った。

 昨日までいた場所には、もう戻れない。


 今日を越えれば、また別の場所へ行く。

 そして、その先には――なつの母親がいる。


「怜」

「ん?」

「手、つなご?」

 なつが、小さく手を差し出した。

 私は少しだけ笑って、その手を握った。

 細い指が、私の指に絡む。


 強く握る必要なんてないのに、なつはそうして、私の手を握り締めた。



 しばらくすると、なつは窓の外を見ながら、私の肩に頭を預けてきた。


 窓の外では、山々がゆっくりと後ろへ流れていく。


 やがて、遠くの景色に海の気配が混じり始めた。


 空は広く、雲が高い。

 夏の光は、まだ強く残っている。


 それなのに、どこか物悲しい。


 新幹線は川内を過ぎ、鹿児島中央へ向かって走っていく。


 私は窓の外を見ながら思った。

 ――もうすぐだ。


 なつも、同じことを思ったのだろうか。

 握った手に、ほんの少しだけ力がこもった。


 やがて、遠くに街が見えてきた。

 知らない街。


 知らない場所。

 そのどこかに、なつの母親がいる。


 新幹線が、ゆっくりと速度を落としていく。


「……着いたね」

 私が言うと、「うん」と、なつは頷く。


 そして、私の手を握ったまま、窓の外を見つめていた。


 ――鹿児島中央。


 夏の陽射しが、眩しく照りつけていた。


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